『小林秀雄 対話集』から;
(*これは別のブログでも載せたものです。ベルジャーエフ7−1と関連するので、再掲します)
『小林秀雄 対話集』の文庫本に、最初に坂口安吾との対話がある。これは何度かにわたる小林と坂口との異なる対話を、1つの対話集としてまとめたものだろうが、その中で話はドストエフスキイの『カラマーゾフの兄弟』の問題を取り上げている。
2人の問題点の指摘が大変興味ある問題に触れており、その中で、2人は『カラマーゾフの兄弟』について、次のように語り合う。
坂口:僕がドストエフスキイに一番感心したのは「カラマーゾフの兄弟」ね、最高のものだと思った。アリョーシャなんていう人間を創作するところ・・・・・。
小林:アリョーシャっていう人はね・・・・。
坂口:素晴らしい。
小林:あれを空想的だとか何とかいうような奴は、作者を知らないのです。
坂口:ええ、馬鹿野郎ですよ。あそこで初めてドストエフスキイのそれまでの諸作が意味と位置とを与えられた。・・・・・
小林:我慢に我慢をした結果、ポッと現れた幻なんですよ。
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坂口:僕はアリョーシャは文学に現れた人間のうちで最も高く、むしろ比類なく買ってるんですよ。・・・・
小林:そうか?
坂口:人間の最高なものだな。
小林:ウォリンスキイという人が、アリョーシャをフラ・アンジェリコのエンゼルの如きものであると書いてるのを読んだ時、僕はハッと思った。あれはそういうものなんだ。彼の悪の観察の果てに現れた善の幻なんだ。あの幻の凄さが体験できたらなあーーーと俺は思うよ。
坂口:それはそうだよ。アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。しかしドストエフスキイという奴は、やっぱり裸の人だな。やっぱりアリョーシャを作った人だよ、あの人は・・・・。
小林:裸だ。だが自然人ではないのだよ。キリスト信者だ。
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巧みに巧んで正しい位置に心を置いた人です。