神田明神…都会の寺社をめぐる…神田祭2017① | MCNP-media cross network premium/RENSA

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夕方から新宿で藤本美貴の15周年ライブ。
毎度ながらその前にどこかに寄り道を考えたものの、さすがにここしばらく相次いで寺社巡りをしたので少し間を置きたいところ。
 
そういえば前回銀座界隈を散策した時にもらってきた神田祭の紹介ペーパーがあった。
 

 

あわせて公式HP等も改めて調べてみるとこの週末がちょうど大祭の山場らしい。
 
しかも祭のメイン会場となる神田神社(神田明神)は今年に入って改めて巡っている東京十社のひとつながら、以前に参拝したことがあったので後回しにしていた一社。
 
隔年開催の神田祭に合わせての参拝もなかなかないチャンスなのでまずはここを目指すことに決定。
 
問題は当日の混雑具合がまったく読めないこと。
各種行事は9時くらいから始まるようだし、そうなると地元を朝6時半すぎには出ないと…。
 
結局早起きはしたものの体がついていかず予定より一本遅い電車での出発となりましたが、ちょうど地元始発の上野東京ラインだったので乗り換えなしの状況となりました。
 
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移動中の車内でこの日のスケジュールをいろいろ検討した結果、今回も東京メトロを使っての移動が便利と判断、上野で銀座線に乗り換えるときに東京メトロ24時間券を購入。
まずは神田明神最寄駅となる末広町を目指します。
 
IMG_20170515_180104530.jpg
 
末広町から地上に出れば神田明神までは徒歩5分ほど。
今までこの位置関係をよく理解していなかったので、以前参拝した時にはわざわざ御茶ノ水まで出て歩いた記憶がありますが、歩く距離もこちらの方が短くて済みそうです。
 
まだ10時前の時間帯だったので街は静かでしたが、どうやら表参道となる御茶ノ水側はすでに大変なことになっていたようです。
 
末広町からの通りのビル等にも神田祭の提灯や幟などが見受けられ、改めて街を挙げてのお祭りなんだなと実感します。
 
 
さて自分が歩いたルートはいわゆる裏参道へのアクセスになります。
こちらからだと神田明神の男坂という急な石段が待っています。
 
朝から今日は一日歩くことは覚悟していたので、いつもの痛み止めを服用しての登坂となりましたが、この段階ではまだなんとかなりそうです。
 
 
石段の手前からお囃子と祭りの喧騒が聞こえてきました。
やはりすでにこの日のメインイベントである神輿宮入が始まっているようです。
 
神輿宮入とは、大小200を超える神輿が練り歩きながら、各地の氏子たちによって境内に運び込まれるもので、朝から暗くなるまで続くそうです。

 

自分が境内に到着した時にはさすがにものすごいことになっていましたが、逆に本殿である御神殿への参拝客は数えるほどで、まずは神田明神のお詣りを済ませました。

 

 

実は今回の参拝を決めた理由の一つがこの神田祭に合わせて奉安される平将門の御神像を拝むことでした。

 

拝殿の左側にそのお姿はありました。

白い幕を通してその表情までしっかり拝むことができました。

これを見るだけででもこの時期に参拝する意味はありますね。

 

でも知らない人も多いようで、自分が参拝している間にこちらに視線を向けた参拝客はいませんでした。

 

 

参拝を済ませて外に出ると再び神輿宮入の喧騒に包み込まれます。

ひとまず幕の隙間からその様子を眺めてみましたが、やはりここはちょっと角度が悪かったですね。

 
 
この後は一度御神殿の裏に設置された御朱印授与所に向かいます。
その途中にもたくさんの出店がありましたが、さすがにまだ空いていました。
 
途中にあるのは銭形平次の碑。
 
 
銭形平次は物語の中の人で実在はしないわけですが、こうした碑が建立されるのも江戸っ子の心意気というヤツでしょうか。
 
 
御朱印をお願いすると預かり札を渡されましたが、実際には番号もランダムになっていたようで、20番台の人の後にすぐに自分の番号が呼ばれました。
ちなみに御朱印の文字は墨版でした。
 
 
再び御神殿の脇を戻っていくと柵の向こうに神馬・美幸号がいました。
女性の担当者が傍にいて面倒を見ていたようです。
 
 
 
 
このあと御神殿前に戻り、ようやく神輿宮入がよく見える場所にやってきました。
 
 
境内では様々な山車も見ることができました。
 
 
その間も境内には次々と神輿が入ってきています。
 
 
何やらゆるキャラにも遭遇しました。
これは神田祭に協賛している「赤帽」のあかぼうくんでした。
 
 
そうこうしている間にも各エリアを練り歩いた神輿が次々と隋新門から境内へ入ってきます。
 
 
一方、先に入っていた神輿は御神殿前で奉納を済ませるとすれ違うように西の参道から外へ出ていくようです。
 
 
境内の東には天幕の中に平将門を頂いた巨大な山車も控えていました。
 
 
 
 
神田明神への参拝はたぶん二度目ですが、前回は境内をゆっくり回ったわけではありません。
今回も当然ながらゆっくり見る余裕もないので、ひとまず自分が歩けるエリアだけ散策。
 
御神殿の手前にある獅子山。

 

 
獅子山の頂上には一対の石獅子。
 
 
説明書きによると「文久二年(1862)十一月両替屋仲間より神田社前へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落としの作り物を納む」という『武江年表』の記述から江戸末期の製作ではないかとのこと。
 
 
獅子山は関東大震災で崩壊したものの平成二年に再建。
この石獅子はその際に紛失を免れた親獅子二頭。
 
 
この時間帯の境内には外神田地区連合の万世橋町会の神輿宮入の真っ最中。
 
 
 
 
万世橋町会が境内から西の参道へと向かう頃、隋神門の前には次の宮本町会の神輿が待機しています。
 
 
そして再び威勢のいい掛け声とともに宮本町会の神輿が御神殿に向かって進み始めます。

 
そして宮入を終えた宮本町会の一団も境内を後にしていきました。
 
 
次の神輿が動き出す間に境内を横切って移動する人たち。
 

 
外神田地区連合の宮入が終わってひと段落でしょうか、次の日本橋一地区の室町一丁目会が宮入の待機中。
 
 
境内には前日に山車で街を練り歩いたこち亀の両さんのバルーン。
 
 
神輿宮入はこの後も休みなく続いていきます。
 
 
せっかくなので隋神門を潜りたかったですが、残念ながら一般の参拝客は迂回して参道を後にすることになります。
 
 
神楽殿ではお囃子の音が絶え間なく響いていました。
 
 
ひとまず神田明神を後にします。
それでも滞在時間は50分くらいだったようです。
 
 
隋神門のすぐ脇には「巴大纏御防記念碑」が建立されています。
明治時代に大纏とともに消火道具一式が建立され、東京大空襲で焼失したものが、6年前に65年ぶりに石造りで復活したそうです。
 
 
隋神門の外の参道も大混雑。
次の神輿が境内を目指してやってきています。
半被の背文字の「大」から察するに順番からすると神田大和会でしょうか。
 
 
警備の関係でこちらから参道へ入れないということで、やむなく東へ回り込んで退出することにしました。
 
 
往路は男坂を一気に上がってきましたが、帰りは路地へと続く石段を下っていきます。
一本裏の路地から御茶ノ水方面に出ようとしたら、別の神輿の一団が正面から路地に入ってきたのでここでもあきらめて後退、さらに別の路地を東に移動してようやく最初の通りまで戻ることができました。

 
このあたりの町についての案内板もありました。
最近ブームにもなっている古地図との対比もあって興味深いです。
 
 
外神田のこの辺りの旧町名は神田明神下御薹所町(おだいどころまち)。
当初は寺町だったものの、有名な明暦の大火を経て、延焼を防ぐために大きな寺社を市中の外側に移すという方針のもと、武家屋敷として再建され、後に町屋が形成されていったようです。
 
 
歩道を進むと「明神下神田川本店」がありました。
うなぎの名店だそうです。
 
 
 
通りを南下してぶつかったところが国道17号でした。
日本橋を起点に北上する国道17号線はこの辺りで北西に進路を変え、そのまま地元群馬を縦断して新潟まで続んですね、ちょっと感慨深く思いました。
 

 
国道17号に沿って右折、ゆるやかな坂を上がった先に再び宮入を控えた神輿の一団に遭遇しました。
 
 
神田明神の参道正面にようやく到着しました。
神輿宮入は岩本町三丁目町会でしょうか?
 
 
男坂を上がってからここまで約80分ほどでした。
 
初めての神田祭、そもそも江戸三大祭(神田祭・山王祭・深川祭)や浅草の三社祭も見たことないわけですが、こういうゆったりした観覧ができるのならば悪くないですね。
 

ただ大混雑は避けたいので、あえてその日を狙って上京はないかな。