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音楽(Music)・映画(Cinema)・小説(Novel)・舞台(Play)…and...

出会いの連鎖-RENSA-を求めて。

メディアの旅人はあなたです。

<当サイトについて>



実際に観覧や体験したものを紹介していくスタイルになります。

映画・舞台・ライブ・イベント・メディアすべて原則ネタバレです。

それぞれのジャンルに沿って各作品ごとにスレッドを立てます。

観覧記録やセットリストなどを速報版で順次更新していきます。

その後の感想等は追記の形で更新していきます。


なお実際に発表されるセットリストとは表記が違う場合もあります。

基本的に実際の現場で記憶・メモしたデータがベースになります。

一部詳細不明なものはネット上の情報を参考にして補足します。

その他、誤記や表記ミスなどはその都度訂正していきます。



◆お知らせ◆


約20年前に始め、ここ数年サボっていた寺社仏閣めぐりを2017年より再開しました。

ひとまずライブ観覧やイベント参加の折には、最寄りの寺社を調べて参拝したりしています。


そのため寺社仏閣めぐりの記事が増えておりますが、すべてはメディアとのかかわりの延長線上にあるとの認識ですのでご理解ください。


ただ訪問先が多岐にわたるため、更新はかなり遅れております。
忘れたころに記事を追加していますが、更新日時は一応時系列のままになっていますので、新規記事として表示されないことをご了承ください。


リンク先としては<TRAVEL(WALK)>もしくは<PRAY(SHRINE/TEMPLE)>のテーマになっています。


よろしくお願いします。







なお、日々徒然やコラム等は、メインブログで更新しています。

 <「あ」…安倍なつみに端を発するエトセトラ > 更新再開しました。



明らかに当該記事と関係ないブログ等の宣伝目的のコメントについては管理人の判断で削除させていただきます。



「八つ墓村」(2026/松竹)

 

 監督:清水崇

 原作:横溝正史

 脚本:尾ケ井慎太郎 清水崇

 

 尾上松也 奥智哉 堀田真由 佐野岳 小野塚勇人 永瀬莉子

 小藪千豊 渋川清彦 高嶋政伸 高島礼子 滝藤賢一

 

 おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★★☆

 

 ★以下、最初からネタバレします★

 

 

※入場特典

 

八つ墓村の明神下バス停に降り立った辰弥の前に現れるフリフリさん、そこへ辰弥を迎えに来た美也子が割って入るシーン。

 

美也子を見たフリフリさんが「ぎょうてえ~!」と叫んで去っていくのを見て「あ、犯人は美也子だな」と一発で確信した。

 

物語の舞台が岡山県の山間部という背景もあったので、すぐに出身地が同じ岡山の岩井志麻子のホラー小説「ぼっけぇ、ぎょうてぇ」が思い出された…小説は未読かな。

 

この「ぎょうてぇ」とは岡山弁で「怖い」を意味する「ぎょうとい」からくる言葉で、この時点では得体の知れない存在のフリフリさんが美也子を怖いと恐れおののく様子に、ある程度ミステリ好きならばすぐに気づくと思う。

 

それくらいミステリとしてはわかりやすい映画だった。

だって清水崇だもん!

ということで、最初にネタバレをしちゃったようなもので、あとは清水崇がどう横溝正史ワールドに挑んだかを楽しめばいい。

 

しばらくしてさらに気づくのは、これって横溝正史を題材にした壮大な「村」シリーズの集大成じゃないか!ということ。

 

そう「八つ墓村」というあまりにもメジャーな作品を松竹からそれなりの予算と豪華キャストを投入されて、思いっきり贅沢な「村」シリーズをやっちゃいましょうって感じでしょうか。

 

だから後半に向ってミステリ要素よりもホラー要素が増し増しになっていくのを見ていて、清水崇監督が嬉々としてこの作品を楽しんで作っている顔が思い浮かぶわけです。

 

就活活動で連敗中の大学生井川辰弥のもとに幼くして別れた母親の死の一報が届く。

その遺体の確認のために母親が死んだという岡山の八つ墓村へやってきた辰弥は、道中で自分を探していたという探偵の金田一耕助と出会う。

 

八つ墓村の名家・田治見家の当主と母親の間に生まれたという辰弥は、病床の現当主久弥から当主を継ぐように言われる。

しかし辰弥の来村をきっかけに田治見家をめぐる連続殺人事件が発生する。

 

辰弥の父でもあるかつての当主要蔵は20年前に村人たちを惨殺したあと行方不明になっていた。

その時に生き残った辰也の帰還で再び村に災いが起こることを危惧する村の若者たち。

田治見家の謎を知る双子の大叔母。

やがて金田一とともに事件の真相に迫る辰弥にも危険が迫る…。

 

物語の背景に横たわる尼子氏と田治見家に纏わる恩讐を再現したパートはまさに清水崇本領発揮というところで、もはやホラー映画と化した映像は美也子に憑依する落武者のごとき怨霊の登場まである念の入れようだ。

 

原作の「八つ墓村」のベースにあるのは実際に起こった「津山三十人殺し」という昭和13年の事件であり、そこに戦国時代の毛利氏に追われた尼子義孝一党を村に匿った田治見家当主をめぐる恩讐を絡ませて伝奇ミステリに仕上げた。

 

今回の映画化ではこの恩讐をより根深いものとして取り上げていて、清水監督お得意の因習ものと絡ませて怪奇譚として完成させた。

その一方で金田一耕助が登場する推理ものというアプローチは薄くなってしまった。

 

ただね、やっぱり「八つ墓村」には「八つ墓村」の歴史があって、当然ながら横溝正史の原作ファンもいるし、同じ松竹で渥美清の金田一耕助役で話題になった1977年の「八つ墓村」(巨匠野村芳太郎!)では『八つ墓の祟りじゃ~!』のインパクト大で社会現象にもなった。

 

96年にはトヨエツ版金田一耕助で市川崑監督の「八つ墓村」があって、テレビドラマでは稲垣吾郎や吉岡秀隆も金田一耕助を演じている。

 

それだけいろんな人にとっての「八つ墓村」があるわけで、ここにきて再び松竹にバトンが渡って令和版の「八つ墓村」がまさかの清水崇監督。

 

実は個人的には「八つ墓村」デビューだったりします。

金田一耕助シリーズは角川の「犬神家の一族」からリアルタイムではありますが、渥美清の「八つ墓村」はまだ寅さんのイメージもある時代で何となく食指が動かず、市川崑監督の「八つ墓村」も結局スルーしちゃった。

 

だから自分の中のイメージとしては渥美清の「八つ墓村」のあのインパクトある映像のまま止まっていたりするわけです。

まさかここにきて清水崇版の「八つ墓村」で初となるとは驚きましたけど。

 

過去の作品のイメージがあまりないこともあって逆にシンプルにこの世界観が「八つ墓村」だと割り切れたので、あとは清水崇監督がどう見せてくれるかを楽しむだけ。

 

それが結果として「村」シリーズの最高傑作だと思えたらそれはそれでいいのかなと。

 

時代背景は特に明示されていないけれど、辰弥はスマホを持っているし、金田一は「昭和生まれ」と自称しているので、ほぼ現代といってよさそう。

 

それでも舞台が岡山の山奥ということで昭和っぽい空気感も感じさせるし、劇中にいわゆるデジタル機器がほぼ出てこないなど「八つ墓村」の雰囲気は保っているのがいい。

 

金田一を演じた尾上松也の飄々とした感じは悪くないが、もう少しわかりやすいキャラにしてもよかった。

 

双子の大叔母を演じた高島礼子に、現在の田治見家当主とかつて虐殺事件起こした要蔵を演じた滝藤賢一がなかなかの怪演も、事件に巻き込まれる青年辰弥役の奥智哉はまだこれからという印象。

 

美也子を演じた堀田真由も手堅いけれど、後半で怨霊にとりこまれるあたりは特殊メイクが雑でもったいない。

 

エンドロールの終わりに映像あり。

 

 ローソン・ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン5

 

「踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!」

                  (2026/東宝)

 

 監督:本広克行

 脚本:君塚良一

 

 織田裕二 趣里 白洲迅 佐々木蔵之介 増田貴久 野呂佳代

 玉井詩織 藤吉夏鈴 齊藤なぎさ 佐藤二朗 松下洸平

 小木茂光 ユースケ・サンタマリア 真矢ミキ 水野美紀

 

 おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★☆☆

 

 

※入場特典

 

まあ面白かったですよ。

確かに「踊る大捜査線」ワールドはそこにありましたし。

 

公開週がシルバーウイークというだけあって、シネコンのチケットサイトをチェックすると自分が座りたいエリアも含めて座席表のマークがどんどん埋まっていく。

 

こりゃあ、この時期は避けてもう少し落ち浮いたらでいいかなと思いながらも、今年の秋はそれなりに観たい作品がラインナップされていて、そこそこの長尺ゆえにタイミングを逃すのも嫌だったので思い切って空いてそうなタイムテーブルで鑑賞。

 

観終わった思ったのは「踊る大捜査線」の原点がテレビドラマだったということを改めて再認識させられたということ。

 

だって、中身がスカスカなんだもん、ほんといい意味でも悪い意味でもスッカスカ。

前半の身代金誘拐事件はすぐに壮大な茶番だとわかってしまうし、メインとなる事件もすぐに犯人はバレちゃうわけで、かといって肝心の人間ドラマも薄味で、そういった場面場面をコントのようなシーンで継ぎ接ぎだらけにしてみましたみたいな感じ。

 

いつの間にか<ODORU LEGEND>なるキーワードでお待ちかねの映画最新作と大々的なプロモーション展開になっているものの、まあ冷静に振り返れば、そもそもテレビドラマの延長線の作品なので、そこのところを割り切ってテレビ発の「踊る大捜査線」シリーズの最新作と見れば腹も立つまい。

 

要は観る側がどこまで期待して待っているのか、言い換えれば作る手がどこまで期待させてしまったのか、そのあたりの塩梅というか、どういうスタンスでスクリーンと対峙するかで楽しめたかどうか決まるのかな。

 

テレビシリーズのヒットを受けて劇場版として「踊る大捜査線 THE MOVIE」が公開され大ヒットしたのが運の尽き…そこから続く年月は作り手側も大変だったと思うわけです。

 

まさに一世一代の当たり役となった織田裕二にしても一時期は青島俊作からの卒業を考えていたようだし、それが昨年の「室井慎次」二部作で12年ぶりにシリーズが再始動。

 

正直、またやるんだ?と思った人も多いだろうし、待ちわびていたシリーズのファンにしても大ラスで織田裕二の青島俊作が登場する映像を見るまでは半信半疑だったかもしれない。

 

いずれにしても鳴り物入りで本格始動となった「踊る大捜査線」シリーズだけにそりゃあ期待するなというのが無理な話で、新作の情報が小出しにされる中でその期待は増していったと思う。

 

ところが公開直前になると周辺情報というか、どんな新旧キャラクターが登場するかとかそっちの話題ばかりになって、どうにも映画としての骨格が見えてこないというか、ストーリー展開や作品の背景などがおざなりになったまま公開初日になだれ込んだという印象が強い。

 

ぶっちゃけ「踊る大捜査線」ファンのために頑張って作りましたっていう意気込みだけが空回りしちゃってるというか、本来の映画ファンへの思いが足りなかったかな。

 

終盤の犯人逮捕に至る怒涛の展開があるかと思えば、意外とあっさりというか、犯人が小物過ぎて盛り上がりに欠けるし、その後にどんでん返しというか、伏線回収みたいなものを期待したら肩透かし。

 

特に過去の名場面と本編に登場しない懐かしのキャラクターたちを走馬灯のように映し出すシーンはなんだったんだろう?

その後の青島の運命を想起させるつもりだったなら意味なかったと思うんだけど。

 

つまり<ODORU LEGEND>はまだまだ続きますってことをやりたかっただけなのかな。

あのエンディングだと青島俊作が上る次のステップと再登場のキャラクターまで期待させてしまうけど、果たして。

 

とりあえず久しぶりにスクリーンで青島俊作の活躍を見るという体験は楽しかったので良しとするか。

 

ただ同じシリーズものということもあって前半の展開が「ダイ・ハード3」へのオマージュみたいな考察があるけどそれは違うだろ?と思った。

 

公開前にいろいろあった佐藤二朗のキャラクターに関しては、ストーリー上でも特に必要ないと思うし、本人の希望通り全カットでも編集できたんじゃなかろうかと邪推ながら思ってしまった。

 

 ローソン・ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン7

 

「サタデー・ナイト・フィーバー」

 “SATURDAY NIGHT FEVER”(1977/アメリカ)

 

 監督:ジョン・バダム

 原作:ニック・コーン

 脚本:ノーマン・ウェクスラー

 

 ジョン・トラボルタ カレン・リン・ゴーニイ

 バリー・ミラー ジョセフ・カリ ドナ・ベスコウ

 

 

「サタデー・ナイト・フィーバー」といえば真っ先にジョン・トラボルタのあのポーズが思い浮かんでくる世代。

 

またビー・ジーズ(BEE GEES)が歌う挿入歌の数々が大ヒットしたことで音楽映画としても今でも語り継がれる名作。

 

当然公開時もオンタイムなのだけれど、1970年代後半の数年間(高校時代が丸ごと当てはまる)は映画館から距離を置いていた時期で、その間はアイドルと洋楽にハマりまくっていたこともあって、映画そのものよりも大ヒットしたビー・ジーズのサウンドの方が強く印象に残っている。

 

そんな「サタデー・ナイト・フィーバー」は何度か地上波オンエアで観る機会があってもスルーしてしまったこともあって、気がついたら公開から50年近く未見のままだった。

 

今回はCS放送でのオンエアを録画してついに初鑑賞と相成った。

 

パラマウントのクレジットに続くオープニングシーンでいきなり“ステイン・アライブ”が流れ、ジョン・トラボルタが街を闊歩する映像。

 

さらに最初のディスコのシーンでも“恋のナイト・フィーヴァー”が流れ、ダンスの決めポーズとして有名になったフィーバーポーズで踊るジョン・トラボルタ。

 

惜しげもなく挿入される「サタデー・ナイト・フィーバー」を代表するダンスミュージックと象徴的なダンスポーズ。

 

もちろんこの作品が世界的に大ヒットしたことを知る今だから「なんと贅沢な!」と感じるのだろうけれど、まさにその後のダンス映画や音楽映画…いわゆるミュージカル映画とは異なる…の一大ムーブメントの呼び水となった70年代の青春映画の代表格。

 

それにしてもあれほど話題になったダンスシーンが今見るとなんとも陳腐でつまらなく思えてしまうのか。

間違いなくあの時代の最先端のダンスシーンを背景にした作品なのだけれど、時代が変わればこうもイメージが変わるものなんだなと改めて思う。

 

例えば「バックトゥザフューチャー」で過去にタイムスリップしたマーティが、高校のパーティーに飛び入りしてエレキギターで“ジョニーBグッド”をかき鳴らし、その場の空気を一変させたように、もし現代のダンス文化がそのままあの時代のディスコのステージに降臨したら、きっと周りの観客は同じようにあっけにとられるんだろうな。

 

まだなにものでもない二十歳前の青年トニーの日常はペンキ店で働きながら夜はダンススタジオでレッスンという代り映えのしない日々。

そんなトニーが唯一ヒーローになれるのは毎週土曜の夜に繰り出すディスコのダンスフロア。

 

恋人のアネットとダンスコンテストを目指してレッスンを続けるトニーだが、ある日ディスコで踊るステファニーのダンスに魅せられて新たなパートナーに誘う。

 

ブルックリンの片隅で代り映えのしない日々を送るトニーにとって、マンハッタンでの生活を夢見て働いているステファニーの言動は刺激的でもあった。

 

ステファニーがローレンス・オリヴィエやポール・アンカにデヴィッド・ボウイなど著名人と出会った話をする中で「ロミオとジュリエット」の話題になったとき、トニーがシェイクスピアの話をするのに対して、ステファニーが「ゼフィレッリを見た」と1968年にリメイクされた映画「ロミオとジュリエット」(オリビア・ハッセー!)のことを話すなど、同じニューヨークに暮らしながら二人の生きる世界は正反対なのが切ない。

 

一方のトニーの部屋にはブルース・リーやアル・パチーノ(あのひげ面は「セルピコ」か?)にシルベスター・スタローンの「ロッキー」のポスターが貼ってあり、他にも当時のセックスシンボルでもあったファラ・フォーセットのセクシーなポスターがあったりして、あの時代の若者たちが憧れたヒーロー・ヒロインが誰だったかよくわかる。

 

ある日トニーの仲間が対立するプエルトリコのグループに襲われ病院送りになるという事件が起き、残った仲間たちと相手グループを探して夜の街で車を走らせる。

このあたりの構図が先の「ロミオとジュリエット」をベースとした「ウエストサイド物語」の世界観と被ってくるが、実際には襲撃はするもののそれ以上の抗争には発展することはなかった。

 

そのまま傷だらけの顔でダンスコンテストに挑んだトニーは、いつもと違うロマンチックな曲でステファニーと踊り見事優勝を果たす。

しかし明らかに2位になったプエルトリコのペアの実力が上だと気づいたトニーは地元の自分たちに忖度した結果に怒りをあらわにする。

 

この後に物語は一転して悲劇的な展開に向かうのだけれど、失意のトニーはニューヨークの地下鉄に朝まで乗り続ける。

そして最後に彼がたどり着いたステファニーの部屋で、もう一度友達からの始めようと二人で窓辺に寄り添うシーンでエンドロールになる。

 

流れてきたのは名曲“愛はきらめきの中に”で、最後はオープニングと同じ“ステイン・アライブ”で終わる。

 

のちの「フラッシュダンス」とかもそうだけれど、あの時代のダンスをメインとした青春映画のテイストはどれも似ているなと思う。

 

このあとハリウッドの青春映画はブラット・バックを中心とする「アウトサイダー」以降の悩める若者たちの青春群像劇へと傾倒していく。

 

ジョン・トラボルタは公開当時23歳。

前年の「キャリー」では高校生役を演じていて本作で初主演そしてあっという間に人気者になって、翌年にはオリビア・ニュートン・ジョンと共演したミュージカル映画「グリース」もヒットした。

 

監督はジョン・バダム。

この作品のヒットで80~90年代にかけて流行監督となった。

 

「ウォー・ゲーム」「ブルーサンダー」「ショート・サーキット」「張り込み」「バード・オン・ワイヤー」「アサシン」などヒット作を連発も最近名前を聞かないなと思ったら、2000年代以降はスクリーンから離れてテレビドラマを中心に活動しているらしい。

 

 2026.9.2 ザ・シネマ O.A.