今日はなんてタイトルをつけようか…ちょっと迷った。自分が消化しきれていないところもあり…、でも、とても本質的なことがたくさん詰まっていて、しかも読むだけで幸せになれる…そんな本をシェアしたい。
さて、どうしてここにたどり着いたのか…、ふとナオキマンさんのYoutubeを見たのがきっかけでした。これね…。
このショーゲンさんのお話、あんまりおもしろかったんで、ついつい本を買ってしまった。こちら…
ひすいこたろう×SHOGEN著「今日、誰のために生きる?」
この本は、我々日本人がどこかに置き忘れて来ちゃったものを、思い出させてくれる。ショーゲンさんは、ブンジュ村の村長さんから、なるべく多くの日本人に伝えてくれ…と言われている。ひすいこたろうさんが「この本を読んだら、きっと誰かにこの本を伝えたくなる」と書いている…。で、私もその一人…。
日本語のすごさ、日本語脳のすごさっていうのを過去記事にメモしたけれど(日本語脳は鳥のさえずりも風の音もメッセージとして受け取る)、このブンジュ村の村長さんも虫の音をメロディとして受け取る日本人について語っている。
今日は日本語についてのところだけ抜粋するけど、本当は全部読んだ方がいい。こんなに素敵な人達が、日本人をお手本にしていたなんて…。
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シャーマンのおじいちゃんは、こう言っていたそうです。
「日本人こそがおれたちの先輩で、真のアニミズムなんだ。
自然災害が来ないように、自然に対して手を合わせるという心がみんなの中にある。
地球上で、虫の音がメロディーとして聞こえる、
虫と会話ができる稀有な民族が2民族だけいて、
それが日本人とポリネシア人なんだ」
このシャーマンのおじいちゃんが、夢の中で日本人からいろんなことを学び、その孫である村長が、その生き方をこの村で実現していたわけです。
「村長には虫の音が、どう聞こえているの?」
僕は不思議に思って聞いてみました。
すると、「おれは牛の鳴き声はちゃんと聞こえるし、気持ちもわかる。鳥の鳴き声も聞こえる。でも、虫の音だけが、工事現場の騒音のように聞こえるんだ」と言うのです。「ガーガーガー、ガチャガチャガチャ」というように。
村長は飼っている牛を見れば、眠たがっているとか、違う場所に行きたがっているということがちゃんとわかります、その日の太陽を見たら、4日後の太陽の様子まで言い当てることもできます。それほど自然と深く通じています。そんな村長でも、虫の音は「雑音」に聞こえるというのです。
中略
「日本人は虫と話をするために、日本語を生んだんじゃないかな」と村長は言いました。自然の中で一番小さくて繊細な声をちゃんとキャッチして、自然と共存共栄して生きていくために、です。
かつて日本人は、世界中で一番、自然から愛されていた人種だったそうです。さらには、「自然ととてもいい距離感で向き合っていて、小さな虫の音にまで耳を傾けることができるほど、ものすごく心に余裕がある人たちだったんだ」と村長は教えてくれました。
ブンジュ村では、村長のおじいちゃんの時代、いや、もっとずっと前から、村に住む人たちは日本人の素晴らしさをよく話していたそうです。だから、この村の人はみんな、長い間ずっと「日本人」に興味津々でした。
そこに僕がやってきたわけですが、当時の僕は「借金取りに追われているのか?」と思われてしまうほど、心に余裕がなかった。
「ショーゲンは、なんでそんなに心に余裕がないんだ?日本人なのに不思議だな」
日本人なのに…。そう何度も何度も言われていた意味が、ようやくこの日、わかりました。
村長はさらに言いました。
「虫の音がメロディーとして聞こえる、会話として聞こえる、その素晴らしさは、当たり前じゃないからね。
なんでそういう役割を日本人が与えられたのか、ショーゲンはもう気づいているでしょ?
幸せとは何か、本当に大切なことは何か、
それがすでに日本人はわかっているからだよ。
だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ。
そのことに気づいてほしくて、ずっとずっとショーゲンに語ってきたんだよ」
中略
「この世が滅亡する時は、日本人に虫の音が聞こえなくなった時だよ。つまり、自然と対話できる人がいなくなった時に、地球の崩壊が始まる。」
そう言えば、ブンジュ村に来たばかりの頃、僕を見て泣いているおばあちゃんがいました。それは、僕が「虫と話ができる日本人」でも「自然を愛する日本人」でも「心に余裕がある日本人」でもなかったからです。
彼らが想像していた「日本人」とはまるで違う僕を見て、僕を不甲斐なく思い、また未来を不安に思って泣いていたのです。
「ショーゲンは日本人だろ?だからショーゲンの心に余裕がないということが、オレたちの不安を煽ることにもなるんだよ」
直接そう言われたこともありました。
虫と会話できない僕を見て、もう世界の滅亡が始まると思ったのかもしれません。虫の音どころか、日本人の感性をまるで持っていない僕に、絶望していたのかもしれません。
そんな不甲斐ない僕を見て、涙を流し始めたおばあちゃんは「いろんな日本人がいるから」と、周りの人から励まされていました。
虫の音が心地よくメロディーとして聞こえるのに、聞こうとしないのは、日本人が今、心にゆとりを失っているからです。
「虫の音をゆっくり味わいながら聞く時間を、日常生活の中に作っていくことで、自然と共存し、すべての生命と仲良く生きていくための術を、日本人は理解することができる」と村長は言っていました。
村長がある日、僕に言いました。
「ショーゲン、なんで日本人は心のゆとりを失ったんだ?
今の日本人は、みんなそうなのか?
空も見上げられない人が多いのか?
誰かに、心のゆとりをもっていかれたのか?
本当の日本人は、そうじゃなかったんだ。
世界中で一番、空を見上げる余裕を」持っていたのが日本人なんだ。
取り戻してくれ、今すぐに。
世界中の人が一番大切にしないといけないのは、日本人だとおれは言い切れる。
だから、その感性を取り戻してほしい。
日本人は、心の豊かさと、ゆるがない心の安定を持っている人であってほしい。
それが日本人の役割なんだよ」
--------------- ここまで
うわ…、ここまで言われてしまうと、日本人として責任を感じてしまうね。心の余裕…とか、自分を大切に…とか、結構耳が痛い話ばかりなんだけれど、妙に納得させられてしまう。自分もそうなってみようかな…と思える。本当はこんなふうに一部だけ抜粋したらよくないかな…と思うほど素敵なことのたくさん詰まった本でした。今日は本当にほんの一部だけ…。
さて、この本の後半部分はひすいこたろうさん。メモしておきたい縄文時代の話がありました。
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かつて、自分の幸せ(My happy)がみんなの幸せ(Our happy)になっていた時代が日本で約1万4000年も続いていたことを知ってください。
1万4000年間も武器を持たずに平和そ貫けた、世界的にも例がない奇跡の時代が日本にあったのです。
それが縄文時代です。
縄文時代の遺跡は日本全国で9万531個所から発見されていますが。戦闘用と思われる対人用の武器はまったく出土していないんです。(狩猟用のヤジリなどはもちろんありますが対人用の武器は作られていないんです)。外傷によって亡くなった人骨もほぼ出ていない。ごく稀にありますが、それも明らかに矢が刺さったような外傷の人骨ではなく、事故で頭を打った程度。
争いが絶えなかった世界史から見て、これは奇跡と言われています。
日本列島は、平和な時代が1万4000年も続いていたんです。
僕らの血(細胞)には、1万4000年もの間、平和が続いた縄文時代の感性が宿っています。
中略
村長は、「自然と共存共栄する秘密は日本語にある」と言っていましたが、日本語の訓読みの言葉(原日本語・大和言葉)の源流は、縄文時代の話し言葉がベースになっていると言われています、縄文の名残は消えたわけではないんです。
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そんなこと知らなかったなぁ。こういうことこそ、学校で教えるべきと思う。(教科書にあったかな…)日本人として、誇りを持てるお話。
やっぱり、私達は争いを好まない。
少し前に見上げた空。