次元の話(1) 私たちは4次元以上の高次元の存在 | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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分野は多岐にわたります。

 少し前にはせくらみゆきさんと周藤丞治さんのこの本を読んで、いろいろと高次元の話が出ていた。が、しかし…、全然わからなかった。

 

    

 

 既に我々は3次元より高次元に暮らしているようなのだけれど、ピンとこなかった。そんな折、こちらの本に、なるほどね…と思った高次元の話があった。

 

矢追純一氏と保江邦夫氏の対談本

「極上の人生を生き抜くには」

 

    

 

 その部分、以下に抜粋

 

----------- ここから

 

矢追

 先ほど、次元の話をしましたが、1次元が点で2次元が平面、3次元が立体といわれていますよね。

 そして、次元は低いほうから高いほうは見えないが、高いほうから低いほうは見えるという。

 

保江

 そうですね。

 

矢追

 とすると、我々がいる3次元世界のこの状況というのは、4次元以上の存在にしか見えないはずですね。

 

保江

 なるほど、そうですね!(パンと手をたたく)

 すると、我々の魂が4次元以上の高次元の存在ということなのですね。まさにそのとおりです。

 

矢追

 その4次元のものが、肉体レベルの3次元を見ているということになります。

 

保江

 本当ですね。まったく気づきませんでした。

 

矢追

 今、僕らがいるのは3次元世界です。肉体だけのレベルでは、2次元しか見えないはずなのですよ。

 それで、虚心坦懐にこの景色を見ると、2次元的にしか見えていないのです。

 

保江

 確かに、網膜に映っているのは2次元ですね。

 

矢追

 今、自分が見えているのは単なる平面の絵なのに、それを翻訳しているのです。

 「この後ろには奥行がある」とわかって見ているわけです。

 ただ、2次元である証拠に、見ている対象物の後ろ側は見えていません。

 ですから、僕らは、2次元の絵を見ながら自分で翻訳して、3次元として捉えることができています。つまり、4次元の存在が我々を見ているということになりますね。

 

保江

 お見事です! 科学者でも僕を含めて誰1人、今の論考を発想していませんでした。

 

矢追

 そうなのですか

 

保江

 僕も、今いわれた瞬間に悟りました。そのとおりです。

 平面の世界に蟻がいたとしたら、蟻は、自分がいる平面の世界すら認識できません。1次元の線の世界しか見えていないのです。

 

矢追

 そうですね。

 

保江

 だから3次元の世界にいる我々は、3次元の世界は認識できません。実際は2次元の世界としてしか認識できていないにも関わらず、3次元の世界を縦横に移動することができる…。つまり、認識できているのです。

 ということは、我々の主体である魂、あるいは心は、4次元以上の存在であるということですね。この論法は、世界初です!

 僕は一応専門家で、国際会議まで開いた人間ですから、すでにある論考でしたらまず知っています。

 しかし、こんな簡単なことを、どの科学者も気づけなかったのです。我々が3次元の世界を認識できているということは、我々の本質は4次元以上の存在ということ…、この事実はすごい。

 この論考は簡単で、かつ我々の本質、魂が高次元の存在だということを見事に証明しています。

 

矢追

 そうですか。嬉しいですね。

 

保江

 ですから、3次元の肉体が死んでも、4次元以上の魂には死は訪れないということになります。死を恐れる人にも、福音となりますね。

 

--------- ここまで

 

 保江先生が思わず「ぱちん」と手を打って、感嘆している。この発想…、確かにすっごいクリーンヒット。この事実はすごいことなのかも…。納得させられてしまう…。

 とはいえ、我々の魂が4次元以上の存在…ってちょっとピンと来ない。そもそも、魂って目に見えないし、思い描くことがそもそもできない。それが4次元以上ってどういうことだろう。

 

 でも、この話を読んで思い出したのがヨーガ行者の成瀬雅春氏の空中浮揚。(参照:目に見えない世界の話(14) 空中浮揚と磁性とプラーナ) ここに細かなエネルギーの話が出てくる。

 

-------- ここから再掲

 

 部屋の中で「空中浮揚」をおこなうときには、その部屋の中の空間を非常に細かい精神液で満たすのも、そのテクニックの1つである。それは、たとえば発砲スチロールを砕いた細かな粒を部屋中に埋めつくすようなものだと考えればいい。そうすると、地上1メートルの位置でも、発砲スチロールの粒が私の身体を支えてくれるように、精神液の波動が私の身体を支えるものになってくれる。その精神液の細かさが細かいほど、エネルギーとしては大きなものになるのである。

 現在はリニアモーターカーにしても何にしても、大きなエネルギーを物理的に起こすために、大きな反発力を得ようとしているのだが、もっと文明が進むと、今のような磁性の概念ではなくなる。本当に大きなエネルギーを得るためのものというのは、今使われている磁性ではなく、もっともっと細かい

 これから科学が進歩するポイントは、磁力にしても何にしても、どのくらい細かいものを拾いあげられるか、すくい上げられるかにかかってくる。現代の科学では、まだそういう細かい部分は見えて来ていない

 UFOなども、非常に細かなエネルギーをうまく使っている、地球に来るときは多少粗くなるようだが、それでも、今の地球のエネルギー系統よりはずっと細かい。「空中浮揚」に使うエネルギー形態というのは、そういう細かい電気的、磁気的エネルギーである。

 あるレベル以上に細かい部分というのは、今の科学では見つかっていない。だから、現時点では「空中浮揚」や肉体が半透明になるなどというのは、おとぎ話のようなものだと思われても仕方がない。しかし、何百年後、あるいはもっと先かもしれないが、それが科学の一部になるときがくるのかもしれない。

 現代科学では、地球をとりまいている電離層やいろいろな電気的、磁気的な層から出てしまうと何もない空間というように思われているようだが、事実はむしろその逆なのだ。宇宙空間は現代科学では見つけられない、きわめて細かなもので満たされている。それが細かすぎるのでつかめないだけなのだ

 

------------ 

 

 エネルギーというものに対して、「細かい」という形容詞は普通はつかない。エネルギーというものを形容するとしたら、「大きい」、「小さい」、「高い」、「低い」が普通だ。

 成瀬さんは、はっきりとは書いていないけれど、この細かなエネルギーって、多分、より次元の高いエネルギーってことだと思う。ここからは素人考えだけど…、お豆腐で次元を考えてみる。

 

 お豆腐を1次元で半分にしてみよう。上から見て、長い辺の半分で切ってみる。お豆腐は2つになる。

 次に、2次元でそれぞれの次元で半分にしてみる。上から見て、長い辺と短い辺のそれぞれ半分のところで切ってみる。お豆腐は4つになる。

 3次元にすると、高さ方向が加わる。2次元でそれぞれ半分に切って4つになったお豆腐を、さらに高さ方向で半分にする。お豆腐は8つになる。

 お豆腐自体が3次元の存在なので、これ以上、半分に切ることはできない(多分…)。でも、次元を増していく毎に、細かく分割することができるようになることは直観的にわかると思う。

 

 こんなふうに、細かなエネルギーというのは、多分、より次元の高いものではないかと私は思う。再掲した部分の最初に、成瀬氏は「部屋の中の空間を非常に細かい精神液で満たす」と書いている。精神液ってよくわからないけど、おそらく、我々の魂が作用するもの。それが非常に細かいものであると…。

 このあたりは文章から読み取ることしかできないけれど、成瀬氏の魂が非常に次元の高いものであって、それが高い次元で空間に作用するってことなんだろう。誰にでもできることではないので、おそらく、次元の高さも人によって違うのかもしれないなぁ。

 でも、我々は3次元世界を認識して生きているので、我々の魂は少なくとも4次元以上なんだろう…。

 

次元の話…、いろいろとおもしろそう。