「できる」と信じることで広がる世界 | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 最近は何を書いたらいいのやら…と思っている。X(旧ツイッター)を覗けば、不穏なことはたくさんころがっている。最近で言えば、WHOのパンデミック条約だとか、憲法改正。そして、ワクチンの被害は相変わらずだし…。

 

 でも、ちょっと待って…。それらも自分の意識の中で造り出している世界を見ているのだとしたら、不穏なできごとは、ひょっとしたら個々の人々の心持次第で変わっていくのではないだろうか…。先日、矢作直樹先生のYoutube見てたら「外の世界ではなく、自分の内面をもっと見つめるべきです」みたいなことをおっしゃっていた。自分に見えているこの世の有様が、自分の意識の中で造り出しているのなら、まず、自分を見つめるべきだよね。これ、ヨーガ行者の成瀬氏の言葉と重なる。

 

 だいたい、はせくらみゆきさんなんかは良いことしか起こらない世界があるという(「起こることは全部〇」なんて著書もありますね)。どんなこともポンポンポーンと超えていける…ぐらいの勢いである。少し前の記事のコメントで、こちらのYoutube動画を教えていただいた。普段、動画はざっと見るだけなのだけど、はせくらさんの言葉があまりに深すぎて、これ、ついつい書き起こしてしてしまった。

 

 

 この動画の中で、みゆきさん、こんなふうにおっしゃっている。(ナオキマンさんの言葉も含めて…)動画から抜粋。

 

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そうなんです。それぞれの認識宇宙を生きているから、
世界はある意味みんなばらばらだって、ここが大前提。

たくさんの宇宙に横たわる量子スープの可能性の海に今いるんだよ
何だってできるよ何だってやれるよっていうのが、
これ宇宙の太っ腹な…(ところ)。

思考的にはなんでも具現化できる。
全部それを考えた瞬間できる。

「何だってできるって思えない」
「自分に力がない」

と思っているのは勘違い。

何もできないよって思うその信念というかね、
その心の信念体系のようなね
この束っていうところをフォーカスしているだけであって。
私の中でいう成功の定義ていうのがありまして、
それは今この瞬間、今と一つになること
これが成功なんですよ
今を生きることができているか?

そう今この瞬間にぽんっとこう集中する。
フォーカスするっていうことが私にとっての成功の定義で、
で、そうすると他力でも自力でもなく全力になるんですよ、。

自分が一歩進むっていうよりは何かポポンッと行ける
自分の中のパフォーマンスの最高値であり
最適解に運ばれるって感じです。

 

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 はせくらさんは知る人ぞ知るすっごい人なんだけど、このはせくらさんが宇宙レッスンで最初に言われたことが2つ。

1つ目は「全ては周波数でできている。全ては波動。バイブレーション」
2つ目に、「すべてを疑え。信じる限界が現れる限界。自分が見ている...これがそうだと思うと、その周波数の世界で現れる。そこで、”疑う”という手法を通すことによって、自分が信じる限界に穴をあけて少しずつキャパシティを増やしていく。信じた瞬間に自分の固定観念がカチっと固まってしまうから…」なのだそう。
 

 これは、全くエミール師の言葉と同じだなぁ…と思った。エミール師とはベアード・スポールディング著「ヒマラヤ聖者への道」に登場するヒマラヤ聖者で…、過去記事 目に見えない世界の話(4) 究極の解毒と人間の可能性 にメモしてあるので、そちらから再掲。こちらは同著の成瀬氏の序文から…。

 

-------------- ここから

 

 「催眠術は1つしかないということです。それは、人間には神の完全なる御業をみずから成して自分の欲する事物を想像できないと信じ込む自己催眠だけです」

 

 つまり、キリストや釈迦や神々が見せる奇跡は、普通の人間である自分にはできないと思うのが、たった1つの自己催眠だ、ということです。その催眠さえ解ければ、どんな奇跡的なことでも可能になるということを、エミール師は説いているのです。

 私もエミール師と同じ考えです。

 「科学に反するからできない」とか「そんな非科学的なことはあり得ない」と考えることが自己催眠だとエミール師は説いているのです。科学を信じるところからスタートするのは「非科学的」なのです。

 なぜなら科学は常に進歩するからです。

 進歩するといういことは、以前の科学は正しくないということです。100年前の科学には、今から見えれば、間違いを多く見出だせるのです。・・・ということは、100年後の科学から見れば、今の科学は間違っているということになるのです。

 「人間が宙に浮くということは、科学的にあり得ない」という考えが非科学的だというのは、お判りでしょうか?その自己催眠さえ解ければ、その先には無限の可能性が拡がっているのです

 

------------ ここまで 

 

 私たちは、とても無力だと思い込まされているだけなのかも…。私達の見る世界は自分の脳の中で造り上げられている世界なのだと思えば、「できない」という思い込みを捨てることは、可能性を拡げていくことなんだというのは、なるほど当たり前のことなのかもしれない。それにしても…、 「科学を信じるところからスタートするのは「非科学的」」というのは、何ともねぇ…。

 

 しかし、そうは言っても…、昨今の全体主義への道筋のように思える世界的な動き…気になる。それに対して、みゆきさん、保江先生との共著”愛と歓喜の数式「量子モナド理論」は完全調和への道

 

  

 

で、こんなふうにおっしゃっている。

 

「これを本にしたかった理由の一つとして、管理社会、超監視社会へと向かって現在進行中なので、今後大変になる、といった論調もありますよね。けれども私の中では、それもありだと思いますが、そうでもないとか、それほどでもないバージョンも存在すると思っているのです。

 とはいえ、皆が同じ一つの現実を見るというわけではなく、それぞれの人の認識、日々の振る舞いや想念、言葉、それらの総体が一つの基盤となって、また、そこと同じ周波数のものがつながりながら、この世界もできていくのです。別に、一つに縛る必要はない。

 ただ、それに適したうまい言葉がないのですね、

 そんなときにモナドに出会い、「これだ、モナドだ」と思ったのです。

 この世界の豊かさの多様性、それを含む大いなる予定調和の神なる世界というのがわかったうえでクリエイションできたらと。

 このホログラフィックな世界は、豊かさに満ちており、わざわざ決定論的にペシミスト(悲観論者)的な世界ばかりにいかなくてもいいよ、ということなのかなと思いました。」

 

 つまり、憲法改正、戦争への道とか、WHOのパンデミック条約とか、そんな不穏な動きもあるけれど、そういう世界ばかりではないよ…、というお話。同時に様々な宇宙が存在するので、そういった悲惨な世界もあれば、そうでもない世界もある…ということなのかな。でも、そのためには私達の日々の振る舞いや想念、言葉…がとても重要で、私達の生き方が問われる…ってことになるんだと思う。

 

いや、これはもうちょっと深堀しないとね。

こう、何かポポンッと行ける世界にね…行きたいものです。