小さな会場で聴けることは

とても幸運で貴重な経験なのだけど

「その他大勢」になり切れない感じで

不必要に緊張してしまう

とても近いところにいるのに

うまくピントが合わないのも

すごくストレスだ かといって

大ホール用のコンタクトにすると

顔がますますダメになってしまうので

踏み切れない

付け替える場所もないしね

 

この日は

替えの利かない人になれた人生の尊さ

そういう存在である今に至る道の尊さ

私は意図的にそういう人になろうとした

ことはないのだけど それでも一応

常に真面目にやってきた「つもり」

でもやっぱり 振り返れば

全然そうではなかったなと

それが積み重なって こういう違いというか

今風に言えば 魂の格の違い を

痛感しながら 聴いていた

 

すべての存在には価値がある

今はとにかく自分を大事にしなさい

と 読むと安心するのだけど

音楽が素晴らしければ素晴らしいほど

この私に一体どんな価値があるのか

それが今の社会規範では測れないものだとしても

やっぱり何ひとつ 持ってないじゃん

と思ってしまう 逆に言えば

そういう自分に気付くことが

私の修行なのかもしれないし

よくわからない わからないなりに

どういうことに価値があるのか は

そこそこ正確に 理解できていると思う

 

学生の頃は財布を気にしてなかなか入れなかった

公園通りのモスバーガーで

閉店間際 ひとり小腹を満たす なんてね

30年前に働いてた場所で

今は髪を切ってもらうとかさ

人生ってホント 不思議だよね

 

手元が見えないのはやっぱり残念だし

見えてるのに見えないのもすごく悔しくて

私ってつまり 目で聴いてるんだなって

いや それが醍醐味っていうか

必要なことでしょ って思うけど

まぁいっか しょうがない

ステージ上の君様は 素敵すぎる

 

チャクラというものがあって

そこから先はなんとなくしか学んでないけど

感情は胸の辺り っていうのは

チャクラを知らなくても 誰でも

なんとなく理解できることだよね

でもって そのハートチャクラの辺りが

バーンというか バリバリというか

すごく感応する時が確かにあって

この体感を 大切にしたいと思う

こういうのが 特にこの先

とても重要なんだろうなって思う

初めてチケットを無駄にしてしまった

この非常時でも1つ1つクリア出来てたのに

わりとあっけなく 行くのを諦めてしまった

もともと これは行けない と判断してたのに

他の公演を買ってて調子に乗って

見切り発車で買ったはいいものの

会場を調べたら予想以上に遠く

追加料金でも近道できないとわかったところで

息子が体調を崩し ダメ押しとなった感じ

いや 正直 どうしても行くんだって気持ちが

モーツァルトでは持てなかった ゴメンナサイ

 

横浜を諦めるより

アメリカを諦める方が時間がかかった

 

この状況下で日本からはるばる聴きに行く

物好きはいないと思われているのか

海外遠征の情報は直前にならないと出なくて

今月と来月のチケットの間に

どうもアメリカに行かれてしまうらしい

 

曲目を見て すごくショックだった

どうしても聴きたい曲が2曲あって

1曲は このままいけば いずれ

近場でも聴く機会はあると思えるけど

もう1曲は つい最近知った作曲家で

とても聴いてみたいけど そういう機会が

日本にいて持てるのか 皆目わからなくて

 

アメリカには一生行く気ない と

大昔から宣言していた私が

いきなり渡米の準備を始めたかもしれない

それくらいの魅力がある

片道2時間で行ける街は蹴っても

何日かけても辿り着きたいくらい

今の私にとって 圧倒的な魅力がある

 

横浜行きを止めて余った時間で

アメブロを覗いてたら

アメリカの渡航制限の変更について

書かれている方がいて 読んでしまった

もしかしたら飛び込みで行けたかもしれない

私は物理的に行けないことがそこで判明し

また 今 このタイミングで

アメリカツアーが組めるということが

どういうことなのか

薄々わかってはいたものの

遂に現実を突き付けられて

気持ちが戻るまで

横浜に行って帰って来るくらいの長い時間が

私には必要だった

 

ほんでもすぐ立ち直ったけどね アホだから

だってそんなの ヨーロッパツアーの時点で

なんとなくわかってたことだし

そのことでうろたえる段階では既にない

そもそも 皆さんの音楽によって

この3年間どれだけ助けられて来たか

思い返してみるが良い と自らを戒め

 

それと ここがとても大事で

私は 大きな願望は叶わない代わりに

もっと大きなもので守られていて

私が直接的に認識できている人たちに

悲しいことは起きない

なぜなら 私が悲しむから

私が悲しむようなことは 一切起きない

 

そう考えれば 私のチャチな願いなんて

利己的過ぎて どうでもよくなる

こないだの緊張も ホントばっかだなぁって

自作自演は慎まなきゃいけないってのにさ

 

横浜の景色を載せるつもりだったのに

片道2時間 電車を乗り継いで頑張る自分が

どうしてもイメージ出来なかった

本当はモーツァルトのせいじゃない

今になって思うけど

なんで名古屋は日帰り出来たんだろう

まだ若かったのかな 次は泊まりだな

 

アメリカに聴きに行けない現実は

悲しいというか 辛いというか

その曲を聴いていると

自分らしくなくて使いたくない表現だが敢えて

胸が締め付けられる けど

 

すべてのホールで

拍手喝采を浴びてるのが見えるよ

いいなぁ 想像できるのが幸せだ

 

 

違う 思い出した 名古屋は

どうしても聴きたい曲だったからだ

世界は自分が作っていて

すべては自作自演 っていうのが

まだいまいち いやぜんぜん 理解できていない

もしそうなら どうしてこうもまた

望んだことが叶わないのか

やなことたくさん起こるのか

 

初めての会場に入ったら

あまりの小ささにめちゃくちゃ緊張してしまった

そもそもこの緊張自体が間違いの元なことに

アホな私はなかなか気が付かない

 

すべては自作自演 はまだわからないけど

自分の見えている世界と

相手の見えている世界とは違う ということは

よく理解できた というより 思い知らされた

こんなに近いのに 向こうからは見えていない

という よくある ごく当たり前の事実が

その時の私にはすごく堪えて それでも

瞬時に何でもない顔をして

電車に乗るだけの交わし方は身につけている

 

そしてここがまたアホなとこだけど

寝たらすぐ忘れて立ち直るというか

相手から見てどうこうということは

やっと克服したんだった と思い出し

自分の見えている世界を

素敵だな~ 美しいな~と

堪能できることが幸せなのだと

比較的早く気付けたのは良かった(笑)

 

連戦後でお疲れだったはずなのに

そんなところちょっとも見せずに

たぶんすごく難しいことを

なんでもないようにやってのける

モーツァルトを演奏すると

こんな感じになるんだ~ と新鮮だった

私はモーツァルトとは相性が良くないみたいで

いっこも予習しないで乗り込んだんだけど

それが今回は良かったように思う

なんというか いつもと少し違う方向に

とても素敵だった 恥ずかしくて書けない

感動し過ぎると 涙は出ないもの

 

自分の見えている世界を

拡大解釈する悪い癖を止めたい

いま見えるもの いま聴こえるもの だけ

素直に感動できる 素直な人にならなければ

 

いつもと違う場所に素敵なキラキラを付けてくれて

うれしくってアーカイヴ何回も観ちゃった

そんなに珍しくない場所かもしれないけど

全然そんなんじゃないのもわかってるけど

私へのプレゼントみたいで 本当にうれしかった

ありがとうございました とっっても素敵でした

私が好きで手を出すあれこれって 結局

他人軸っていうか

誰かが好きだから自分も好きになった って

ものばっかじゃん やばい

この歳になって気付くというね のんき過ぎ

 

髪や体や服をどうにかしたくて迷走するのも

誰かにこう見られたい なんてやましいものが

見え隠れしてるなぁ って気付いてしまった

それも大事な要素ではあるんだけど

なるべくそう思わずに

自分軸っていうか

自分目線で 自分主体で 考え直してみたら

うまくいってもうまくいかなくても

あまりへこたれなくなったというか

いや 意外とうまくいったかも と

ポジティヴに捉えられるようになってきた

 

いろいろとうまくいかなくて

いらいらすることの多い日だったけど

すばらしい時間はちゃんと用意されていて

なんかもう かっこよすぎて感激した

周りがどうこうとか 相手がどうこうとか

なるべく考えないで 自分目線でいれば

こういう時間を与えてもらえるのかも と

感謝しながら聴いていた

 

音楽に関しては

これもあちこち迷走というか寄り道したけど

そもそもゴールなんてなくて あと

これだけは

自分軸で来たって言っていいかもしれない

書いてて 嘘つくな今どうなんだ! って

自分で突っ込み入れたくなったけど(笑)

でも キッカケとしての他人は

別に否定しなくていいと思うし

あまり寄りかかり過ぎないように

気を付けていればいいことかなって

 

あの曲 実はすごい難しい曲なのかも

昨日モダン楽器の動画を見てて気付いた

だって モダンであれなんだからさ

なんというか 神の領域 なのかも

なのにいつもぼ~っと聴いているという

その道にいないからこそ出来る荒業

幸せな時間を ありがとうございました

さすが3年目にもなると慣れたもので

途中一瞬へたった時もあったけど

最後までしっかり聴けるようになった

ノリノリで 時々踊りながら聴いてて

どうしようかと思ったけど そのままにしといた

説明する都合 私が知らないとどうにもならないので

充分に予習したことが 私にとっても大変大きかった

諸々 息子に感謝デス

 

事前にいろんな演奏を聴いていたのだけど

そのどれよりも 本当にすばらしかった

壮大で 繊細で

よくまぁこんなにピタッと合わせるよね と

名演奏家集団に向かって言うことではないけど

とにかく 演奏も合唱も大変すばらしく

正直いつもはそんなに力を注いで聴かない

ソリストの方々の歌声も 本当にすばらしかった

すばらしいすばらしいってアホみたいだけど

すばらしいとしか言いようがないんだもの

こっそり 激しく感動しながら聴いていた

 

激しく感動しながら

ここにいる方々のように

何かに特別に秀でて 一線で活躍できる人を

本当に羨ましく思い

そういう人生を歩めなかった自分

物事を突き詰められない 熱しやすく冷めやすい

すぐに結果を求めて 辛抱して修めることのできない

自分の存在価値を見失いかけた

 

何より 皆で音を重ねてひとつの音楽を作る

という作業が とても尊く とても羨ましい

私は 一度も無いというわけではないけど

そういう経験と感動が少ないように思う

せめて音楽くらい 独りでなく

誰かと作り上げる選択肢が欲しかったな

独りは自分で選択したことなわけだけど

 

そういう意味では 学校という場は

良くも悪くも チャンスを与えてくれてたんだな

そういう経験も感動も 掘り起こせば

学校生活の中で 得ているもんね

 

そうはいっても

なら今すぐいなくなれるかって聞かれたら

それはとても惜しいわけで

 

少なくとも

この音楽を心からすばらしいと思い

この周波数を身体で受け止められることを

幸運だと思い

それらを息子と一緒に味わえていることを

幸せだなと思えるだけで

ここに存在している価値は充分にあるんじゃないかと

後半は自分を慰めながら聴いた

 

 

一番切ってはいけない時季に

一番切ってはいけない長さにしてしまったことで

私の身体コンプレックスは三十年巻き戻り

四六時中 髪のことで落ち込むようになってしまった

渋谷の街を歩いている時より

コンサートホールの舞台上の女性陣の

きらびやかな姿を眺めた時の方が なんというか

自分のダメさ加減にぶちのめされるというか いや

比べるのもおこがましい それは充分わかっている

 

それでも 薬剤で強制的に髪をコントロールすることは

もうやめたい それがラクなのはわかってるけど

どうしてもやめたいんだ 理由はわからない

 

老いを受け容れられないのは

自分に自信が無いから

今 理解した そうだ

 

なりたい自分が過去の自分というのは

この先なかなか厳しいかもしれないな

君様みたいに 常に今がベスト というのは

男性だから成せる業なのかもしれないけど

女性性にだいぶ欠けてる私としては

一般論に振り回され過ぎないようにしながら

自分らしさを模索し続けるしかないのかもしれない

精神年齢だけではどうにもならない段階に

遂に来てしまった ってとこかな

 

次まで2ヶ月ちょっと それまでに

好ましい自分に近づく努力をしてみよう

憧れの人がいるというのは

苦しくもあり その百倍くらい 幸せでもある

 

いずれ 若返らせてもらえる日も来るだろうから

その時は なりたい自分にならせてもらいましょう