2021年10月、熱中症でやられた内臓機能もだいたい目処がつき本格的なリハビリ目的でそれが得意な病院に転院する少し前、関東で大きめな地震があった。

耐震性は一般家屋以上の大学病院でも嫌な揺れを感じたもんです。寝たきりだと災害時に下手したら何も出来ずに死ぬなと実感して何としても歩ける様になろうと決心した瞬間でもありました。


 そんなこんなで妹と病院のケースワーカーさんが見つけてくれた群馬の病院に転院。介護タクシーからコロナの検査の為待機所に移動する一瞬久々に外気に触れたけど、仰向けの顔に小雨模様の空から落ちる雨の感触は妙に覚えてる。


入院最初の夜だけ個室で次の日には大部屋に移されることになったが、その病院の入院患者の殆どが寝たきりでボケてる年寄りというのを知る。何なら僕が一番若いらしかったw

意識があっても看護師さんや介護士さん、療法士さんに良くなろうという気もなく好き勝手言う団塊の世代にすぐウンザリして『こんな奴等と一緒に終わってたまるか、意地でも退院してやる』とリハビリのモチベーションが上がったのは事実。


2021年から22年の年末年始は膵炎になり点滴だけで年越して散々な正月。

でも療法士チームのおかげでリハも上手く進んで血圧低下の問題も無くなり、3月には歩行器や四点杖(下記参照)で歩ける様に。転院以来5ヶ月ぶりに外に出て敷地内の桜も見る事が出来た。





因みにリハビリといえば松葉杖のイメージがあるが病院内では全く見なかった。療法士に訊くと松葉杖は慣れないと難しいし危ないので今は四点杖が主流らしい。ちょっとした豆知識w


四点杖で歩行訓練を始めると会う人に皆驚かれるのが面白かったw 

半年前には半身も起こせなったから無理もないけど。療法士さんにもこれだけ回復した人は極めてレアケースだと言われたりw


22年5月にもなると自立歩行が出来る様になり自力でトイレも行ける様になる。

こうなればしめたもので、柔軟(股関節と足首がとにかく動かない)と歩行訓練の毎日。


本当なら22年中には退院するつもりが11月からコロナのクラスタが院内に発生して病室に隔離され、僕も罹患したりして身動き出来なくなったり(隔離明けに僕のいたフロアで8人くらい名札が無くなっていた…😰)それ以外も色々ゴタゴタで退院は翌年に延期せざるを得なかった。

その間に担当療法士さんの計らいで部署のパソコンを借りて部屋探しが出来たのは大きかったな。


23年5月に外出許可を貰いスマホを入手して不動産屋で部屋の契約まで漕ぎ着ける事に成功。

2023年6月1日に退院して現在に至る。


まだ足は万全ではないけど何とか一人で生活出来てます。

係わってくれた関係者の皆さんには感謝しかない。死ぬ事は別に怖くはないけどまだ聴きたい音楽や観たいライブもあるしもう少し醜く足掻いてみますw


ご静聴ありがとうございましたm(_ _)m








 前回からの続き

 熱中症でICUから一般病棟に移って意識が回復した頃、最初に搬送された病院に人工透析の設備がなくその時いた某大学病院に一度転院してたのを知る。

2021年9月に入り喉に発声補助のアタッチメントを付けられ地声ではないにしろ看護師さんと意思疎通が劇的に楽になる(一発で喋れたのは珍しいらしい)
ちょっとしたサイボーグ気分を楽しむ余裕も出てきたw
ある時期を境に自力で痰も吐ける様になりナースコールで吸引を頼む事もなくなって、腎機能も正常値に復活、人工透析はもう必要なしとなりひと安心。
そのうち食事も経管栄養から口で食べる流動食になりすぐ普通の食事に(とは言っても味が薄くて不味い事この上ない)

気管切開の穴は勿論縫合して跡がベンツのマークみたくなってるのでメルセデスの義体に換装したと言ってるw

で、リハビリが本格的に始まったんだけどこれが大変。
まずは上体を起こしてベッドの縁に座るのが最初の難関。元々低血圧で貧血気味なのが災いして頭を上にすると血圧が急降下。おまけに腹筋も背筋も失くなってるからそもそも上体を支えられず、座る体勢になっても前にグニャリと倒れてしまうのは自分でもビックリ。
結局東京の病院にいる間は出来ずベッドで手足のリハビリで終わった感じ。
一度看護師さん総出で横になったまま車椅子に移乗させてくれて昼飯食べたのが大イベントだった(笑)

余談だけど大学病院てのは日に一度大規模な回診があるんだけど本当に白い巨塔みたいなインターン引き連れた大名行列が来るのね。

10月になると診察も不要になり、いよいよリハビリしかやる事が無くなった為にリハビリに注力してて家族も来やすい故郷の病院がいいだろうと転院が決定。
退院の日は親しくなった担当看護師の一人が前の晩夜勤だったのに僕が出るまで残業してくれて涙のお見送り。
それにしてもストレッチャーのまま固定されて介護タクシーに乗る経験をした人はなかなかいないんじゃないかw

次回最終章群馬編「急」につづく










 おひさw 3年半ぶりかな。
やっとログイン出来たので更新してみる。

2021年8月1日の恐らく夜(この日の昼間のツイートは残ってる)、就寝中に熱中症を発症して三途の川のほとりで1日以上キャンプした模様。
連絡が取れなくなった会社の人が見に来て倒れてるのを発見され救急搬送というお粗末。

完全に意識が戻ったのがパラリンピックの開会式の日で身体中管だらけで自力で起き上がれない状態。2週間寝たきりだとあっという間に筋力が失くなるのを身を以て知る。
おまけに気管切開されてて声が出ないしペンを持つ握力もなく筆談さえ出来ないから、暫くは看護師さんが用意してくれたあいうえお表を指さしての会話で8月が終わり。
因みに腎機能低下で人工透析を受ける体になってるのを知った時は『終わった』と思ったもんです。でも言われてみたら当たり前なんだけど、腎機能が正常値になれば透析はしなくて済むという知見を得たのが一番の収穫かなw

つづく




 年が明けて1月8日、遂に出た2回目の「緊急事態宣言」で手持ち無沙汰なので更新。


去年メジャーデビューして本来なら鬼の様にライブをやっていた筈のフィロのスも、ご他聞に漏れずというかメジャーだからこそ会社の意向もあったと思われる慎重な動きに終始しました。

でもそこは大人のグループ、転んでもただでは起きない本領発揮で著しいスキルアップを成し遂げたのを11月19日のOnline Live "World Extension" で見せてくれました。

今後の方向性を示唆するその日のライブ動画2本がYoutube公式に上がったので是非。








 コロナで日常が一変した1年が暮れる。
「復活の日」みたいに劇的な終末にはならなかったものの南極でも感染者が出たそうで、まさに現実は小説より奇なり。

プライベートでも今や生きる糧となってるライブもなくなり、経済的にもそれどころではない詰む手前まで行ったりして散々でしたが何とか年は越せそうですw
体調を崩す顔見知りのフォロワーさんが何故か続く中、健康を維持出来ただけで良しとしますか。
来年はまたどこかの箱でお会いしたいものです。



最後に、表現を生業にする人には受難の年となった今年の象徴とも言える天才の早逝を悼んでこのMVを。
(やっと観られるようになりました。)





来年こそは良いお年を。