脳脊髄液漏出症

脳脊髄液漏出症

2019.5脳脊髄液減少症と診断される。BP2回。
罹患歴30年くらい。
サロン経営。車椅子ユーザー。

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眠れないから、車の事でも書こうかな。


車好きが高じて、20代後半からサーキットで走ってました。

初めはサーキット専用車両の黄色のマーチ。
カスタムカーショーに出展した車です。
これはレース用の姉妹車で、片方は実際にプロドライバーがレース走ってましたよ✨
残念ながら写真は残っていません。

丸っこいとスピンしやすかったので、
次に作ったのが3台の車を使用して合体させた180SX。

軽量化の為、後部座席も内装も取り外しています。

もちろん、エアコンさえも外されました。


下り坂で、体が浮き、ハンドルにぶら下がるようになってしまうので

レカロのシート高を変えてもらいました。

ギアは2速に入れる時、バケットに肘が引っかかるので

角度も変えてもらいました。




色も塗料屋さんへ出向き自分好みに選びました。


安定感とパワーがあって楽しかったです。





次に普段乗りのスカイライン。


サーキット用に下ろしたくなかったけど。





これは元々馬力があるから

エンジンは触らず、

ロールバー入れてブーストアップと

止まれないと困るからブレーキはブレンボです。









そして、普段乗りの方は当時2台乗っていて

スカイランがなくなったので

軽をこちらに変えました。






この車は、追従や衝突防止システムはあったものの

自動運転がなかった為、後々買い替えることになりました。

Twitter繋がりの方はご存知ですね。




そしてこの車は、今年に車椅子を乗せるために

福祉士車両へと買い替えをしました。

苦渋の決断でした。




2016年は





GTドライバー運転の助手席に乗せてもらいました。

私は松田選手。娘は柳田選手。

娘は私の血を引いてしまい、スカイラインを乗り継いでくれています。

ロニーかっこいい。



おまけ




残念ながら展示車両です⬆️


昔からの夢は、これに乗りたかった⬇️





注)

私はサーキットでの事故や衝突はありませんでした。

よく車関係の方からはサーキットでの事故で病気に?と聞かれます。



久々の投稿です。

その後の病院行きも主治医の転院問題で
休止中なので。特に変化もなく過ごしています。

脳脊髄液減少症という診断が下るまでは、
理由も分からない中での動けなくなった

身体との闘い。
何の病気なのかや病院探し。

そして、やっとたどり着いた先での病名と治療。
希望が少し見えて必死で取り組みました。

途中、障害者手帳や障害年金取得へと臨み
無事にリクライニング車椅子の申請も通り
病態が悪い中での、それらの作業や脳を使う事は
至難でした。


現在、診断が付いてから丸2年半。
この病気を取り巻く環境も厳しい中
各機関も必至に頑張って下さっています。

ただ、ここに来て思うのは、
病気や障害を抱えていても自分の出来ることに焦点を当て活動、活躍されている方達が沢山いて
そういう方を見るだけでこちらも勇気を頂くのですが、

反面、自分の中で何か壊れていく様を感じています。

頑張って生きていれば、きっと、といつも思います。
しかし、希望が見出せないのも事実なのです。

仕事はスタッフに任せているとはいえ、
私が引退した事、コロナ禍、
そういった状態で縮小してきました。

残された人の事考えたら
自死なんて絶対出来ない。

でも、それは残った人の考えでは?

本人は、自分が生きるのが辛いのに、

他の人の事なんて考えられるはずもない。
強くそう思います。

そして、そういった背景に原因は一つだけではない事も強く思います。
きっかけとなる強い事象はあったとしても、
それまでの沢山の苦悩や葛藤の連続、
肉体的精神的疲労の限界、
一番近い身内との関係、

私自身が抱えているものは、
自分で解決しなければならない。

希望?
ただ生きてるだけです。

誰のために生きてるの?
自分の為にでないと意味がないのです。

私は生き急ぎました。
理由は分かりません。
でもたぶんきつかったから。
ずっと、身体がきつかった。
でも仕事して一人で子育てしないといけなかった。

今はきつかったしかありません。
20歳頃からME/CFSだったから。
その頃から脳脊髄液減少症だったから。

全ては他者のために、そう思って生きてきて、
それがなによりの私の生きがいで、
そして行き過ぎて失敗して反省しながらの
繰り返しで。

でも、こうやって倒れてからは
自分のしてきた事に自信が持てなくなってしまいました。

出来ない事が増え過ぎて、自分の価値さえ分からなくなる。

治療受けられて、せっかく助けて頂いたこの命。

感謝づくしで希望に満ち溢れていないといけないのに。
なんとも弱いこの心。

この一年が療養になり、次のステップへと移行するべき所なのに
なぜか希望がない。

自分で自分を責めても仕方ないのはよくわかります。
せめて言葉だけでも、元気でいなくちゃ、
笑っていなくちゃ、沢山思います。

この世の修行とは…

私の中にあるのは、当の本人にしか分からない真の苦の部分とは、

決して誰にも理解できるものではなく
そして綺麗事ではないのです。

まずは自分を生きなければ。
それが出来ない時を過ごしています。

こんな事を書くと、よくないのは分かっていますが、
言えずにいた事をしたためたくて。

すみません。







気候の変化などにやられている日々を


過ごしています。



でも、2回目のブラッドパッチからは
漏れが止まった感じはしています。

進行を止められた、そのような感じです。

最近は頭が辛いです。
めまいのようなグラつき感。
魚眼レンズで水底を除いているような。

痛みも強いです。

先日、母が来て、
落ちている私に困っている感じがしました。

困っている、ではなく、疎ましく思っている。
私に伝わってくるのは
そんな感じです。

父がこう言っていたそうです。
デリケート過ぎて面倒臭いって。

それを私に言うって事は、母も思ってるのでしょう



いやいや、これは当事者じゃないと

分からないだろうと言う事が

生活する中で山程あります。



私だって、傷付きます。
ただでさえ誰の役にも立てなくなって。

私を殴った姉とは、今普通にやり取りしています。
何年も許せませんでしたが、やはり私は

父も母も姉も本当は大好きなんです。



だから、余計に、疎まれている事、

辛く感じます。

何もかも嫌になる瞬間がしょっ中きます。



でも、やっぱり負けたくないですよね。


自分を奮い立たせます。