2021/12/23 | 脳脊髄液漏出症

脳脊髄液漏出症

2019.5脳脊髄液減少症と診断される。BP2回。
罹患歴30年くらい。
サロン経営。車椅子ユーザー。

久々の投稿です。

その後の病院行きも主治医の転院問題で
休止中なので。特に変化もなく過ごしています。

脳脊髄液減少症という診断が下るまでは、
理由も分からない中での動けなくなった

身体との闘い。
何の病気なのかや病院探し。

そして、やっとたどり着いた先での病名と治療。
希望が少し見えて必死で取り組みました。

途中、障害者手帳や障害年金取得へと臨み
無事にリクライニング車椅子の申請も通り
病態が悪い中での、それらの作業や脳を使う事は
至難でした。


現在、診断が付いてから丸2年半。
この病気を取り巻く環境も厳しい中
各機関も必至に頑張って下さっています。

ただ、ここに来て思うのは、
病気や障害を抱えていても自分の出来ることに焦点を当て活動、活躍されている方達が沢山いて
そういう方を見るだけでこちらも勇気を頂くのですが、

反面、自分の中で何か壊れていく様を感じています。

頑張って生きていれば、きっと、といつも思います。
しかし、希望が見出せないのも事実なのです。

仕事はスタッフに任せているとはいえ、
私が引退した事、コロナ禍、
そういった状態で縮小してきました。

残された人の事考えたら
自死なんて絶対出来ない。

でも、それは残った人の考えでは?

本人は、自分が生きるのが辛いのに、

他の人の事なんて考えられるはずもない。
強くそう思います。

そして、そういった背景に原因は一つだけではない事も強く思います。
きっかけとなる強い事象はあったとしても、
それまでの沢山の苦悩や葛藤の連続、
肉体的精神的疲労の限界、
一番近い身内との関係、

私自身が抱えているものは、
自分で解決しなければならない。

希望?
ただ生きてるだけです。

誰のために生きてるの?
自分の為にでないと意味がないのです。

私は生き急ぎました。
理由は分かりません。
でもたぶんきつかったから。
ずっと、身体がきつかった。
でも仕事して一人で子育てしないといけなかった。

今はきつかったしかありません。
20歳頃からME/CFSだったから。
その頃から脳脊髄液減少症だったから。

全ては他者のために、そう思って生きてきて、
それがなによりの私の生きがいで、
そして行き過ぎて失敗して反省しながらの
繰り返しで。

でも、こうやって倒れてからは
自分のしてきた事に自信が持てなくなってしまいました。

出来ない事が増え過ぎて、自分の価値さえ分からなくなる。

治療受けられて、せっかく助けて頂いたこの命。

感謝づくしで希望に満ち溢れていないといけないのに。
なんとも弱いこの心。

この一年が療養になり、次のステップへと移行するべき所なのに
なぜか希望がない。

自分で自分を責めても仕方ないのはよくわかります。
せめて言葉だけでも、元気でいなくちゃ、
笑っていなくちゃ、沢山思います。

この世の修行とは…

私の中にあるのは、当の本人にしか分からない真の苦の部分とは、

決して誰にも理解できるものではなく
そして綺麗事ではないのです。

まずは自分を生きなければ。
それが出来ない時を過ごしています。

こんな事を書くと、よくないのは分かっていますが、
言えずにいた事をしたためたくて。

すみません。