日光東往還歩き 3日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.4.13(日)
朝、野田のビジホをチェックアウト。茂木本家美術館や関宿城博物館などを見学した後、茨城県結城へ。駅前のビジホにチェックイン。このビジホは今年2月02日、南米旅行で羽田空港へ行く前日に泊まっている。

25.4.14(月)
結城駅でJR水戸線に乗り、小山で乗り換えて古河駅に着いた。JR東北本線で唯一、茨城県にある駅である。この駅は初めてだな。「ふるかわ」と読みたくなるが「こが」である。万葉集では「許我」、吾妻鏡では「古我」と書かれているそうだ。そういえば春日部も戦前は「粕壁」と書いたそうだ。
古河駅西口で朝日自動車の路線バスに乗り、境町へ。9:00 住吉町バス停からこの日の街道歩き開始。

 


↑この日歩いたルートと写真など
印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

 

10:05 5番目の旧宿場、谷貝宿に差しかかったあたりで、タカかワシか、猛禽類らしき形の石像を見た。前回の歩きでは左右一対のカエル石像を見たが、ここら辺の人はこういう石像が好きなのかな。

県道56号と交叉した先で、10:50 6番目の旧宿場、仁連宿に差しかかった。仁連は「にれい」と読むそうだ。東漸寺という寺に樹齢500年の菩提樹があるという記事があったので、行ってみたが見当たらなかった。

 

旧諸川宿 染谷商店

 

旧諸川宿 大橋醤油店

 

国道125号と交叉した先で、11:50 7番目の旧宿場、諸川宿に差しかかった。ここは古い建物がわりと多く残っているようだ。

12:10 諸川宿の先に「下七五三場」という名のバス停があった。後で検索したら「しもしめば」と読むらしい。森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の地図によると、ここが瀬戸井道との追分らしい。

12:55 寿司活魚京平という大衆食堂があり、ここで昼食を取った。歩き始めから 23,813歩、15.8km。ここの主人は話し好きな人で、アジフライ定食を食べ終わった後、いろいろ会話した。日光東往還の少し西側の道が鎌倉街道だそうだ。13:40 昼食後、街道歩き再開。


大戦防という変わった名の交叉点を通過し、14:00 8番目の旧宿場、武井宿に差しかかった。このあたりに戊辰戦争での官軍兵士の墓があるそうで、昼食を取った時に、店の主人からもそう聞いていたのだが、どれがその墓かはわからなかった。
武井宿の少し先で、「街道歩き旅」と「街道・古道歩き」の日光東往還歩きは、どちらも少し西のルートを通り、「鎌倉街道」と記している。昼食を取った店の主人から聞いた鎌倉街道の話しと合致するかな。

 

線路がないのに踏切警標

 

14:25 踏切警標があったが、線路はない。踏切跡かな? そうではなさそうだ。

 

吉田用水

 

結城といえば、やはり結城紬が有名かな

 

15:30 道を間違えたことに気づき、数百m引き返した。現在の県道から斜め右に入る旧道の位置を間違えたようだ。


9番目の旧宿場、結城宿に差しかかり、16:00 JR水戸線の踏切を越えた。踏切の名は「境街道踏切」。日光東往還の別名だろう。この日の東往還はここまで。踏切から線路脇の道を通り、駅を越えてコンビニに立ち寄った後、ホテルへ戻った。昼食後は、15,586歩,9.2km。