日光東往還歩き 2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.4.12(土)
 

 

朝起きたら、ホテルの部屋から朝日が見えた。予報では天気もいいらしい。この日の街道歩きはすぐに東往還の続きに入るのではなく、少し逸れて野田道・流山街道を歩いた後で東往還に入ることにした。野田の街中を歩きたかったためである。

 

↑この日歩いたルートと写真など
印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら


ビジホを出て電車で梅郷駅へ。8:00 梅郷駅からこの日の街道歩き開始。駅前は前回通った旧山崎宿である。いったん日光東往還に入った後、すぐに離れて野田道・流山街道に入ったまではよかったが、その先で道を間違え、400mほど引き返した。

 

「疱瘡神」碑と、アマビエ像。
どちらも疫病退散

 

8:31 石仏数体の右隅に「疱瘡神」と書かれた石碑があった。天然痘退散を願った石碑だね。8:56 アマビエの石像があった。こちらは真新しい像だが、やはり疫病退散を祈念したものである。いつかまたパンデミックが来る時があるだろうな。

 

興風会館

 

8:59 キッコーマン本社前を通過。隣に興風会館というのがあった。キッコーマンの前身に関連があるようだ。

 

その少し先には旧野田商誘銀行の建物。


10:00 蕃昌新田で日光東往還に戻った。この日の東往還歩きはここからということになるかな。10:30 過ぎ、2番目の旧宿場、中里宿付近を通過。

 

江戸川では海まで51km

 

12:01 江戸川の堤防上に出て少し先、宝珠花橋の先に「海から51.0km」という表示があった。江戸川なので、東京湾河口から 51kmということになる。
堤防の上から「台湾料理 鴻鑫」という看板が見えた。何と読むのかな。少し引き返してここで昼食を取ることにした。歩き始めから 25,719歩、16.8km。12:45 昼食後、街道歩き再開。

13:26 電柱に「カラスの巣監視中」と書かれたベルトが巻かれていた。相当しつこいカラスがいるのかな。14時前、日光東往還の本道から少し逸れて、多功道・台町通りに立ち寄った後、本道に戻った。14:40 関宿関所跡の石碑前を通過。そのすぐ先で台町通り・多功道と合流。このあたりが3番目の旧宿場、関宿宿(せきやどしゅく)かな。千葉県の最北端である。

 

スクーターに乗った案山子

 

カエルの石像

 

県道から分かれて利根川の堤防に向かう途中、スクーターに乗った案山子があった。変わった案山子だな。と思っていたら、そのすぐ先に左右一対のカエルの石像があった。変わった物が続くなあ。だれが設置したんだろう。左右一対の像というと阿型と吽型の組み合わせが伝統的だが、ここのカエル像はどちらも吽型だった。

 

利根川では海まで120.5km

 

堤防に上ったら、「海から120.5km」と書かれていた。利根川なので、こちらは銚子からの距離ということになる。利根川に架かる県道の橋を渡って茨城県に入った。茨城県だが、このあたりは常陸ではなく下総である。江戸時代の治水、河川切り替え前の流路が下総・常陸国境だったようだ。

利根川を挟んで両岸に旧宿場があり、4番目の旧宿場、境宿に入った。「住吉町」バス停でこの日の街道歩き終了。昼食後は 13.5km,20,078歩。
朝日自動車バスの路線バスに乗り、東武動物公園駅へ。この路線バスは関宿を経由するので、茨城→千葉→埼玉と、県境を2回越えて3県を跨ぐ。高速道路を通らない路線バスで3県跨ぐのは珍しい気がする。

東武動物公園駅で電車に乗り、春日部で乗り換えて愛宕駅で降り、野田のビジホへ戻った。