アンデス山脈を越え、アルゼンチンからチリへ。 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.2.12(水)
ホテルをチェックアウトし、ホテル隣のバスターミナルへ。チリの首都サンチャゴ(Santiago)行き長距離バスに乗車。前々日と違い、夜行バスではなく、昼の長距離バスである。トイレは付いていた。
 

乗ったバス。メンドーサのバスタで


乗ったのはアンデスマル(Andesmar)社のバスで、チケットは日本で予約済み。

 

アンデス越えバスルート

右上の拡大アイコンで大きい地図が表示されない場合


定刻 9:00 に発車。所要8時間で、17:00 頃に着くはずだった。が、結果は見事に大外れ。その経緯も書きます。

 

アンデスの残雪が見えてきた

 

11:00頃、バスが急ブレーキ。これが遅れの始まりだった。11:10 途中の町でバスが停車。乗降客なし。隣の席の70歳くらいの男性が、女性客がけがをしたので病院で治療のため1時間ほど停まる。と説明してくれた。この男性、米国フロリダ州在住とのこと。スペイン語も話せるようだった。さっきの急ブレーキで怪我をしたのか? と聞いたら、そうだとのこと。
バスが停まったのはウスパジャタ(Uspallata)という、この先の峠と同じ名の町の病院で、道を挟んで反対側は公園。後で調べたら、サン・マルティン将軍広場とのこと。席に座っていても窮屈なので、ほとんどの乗客は公園に出た。

 

左が病院。右がバス
 

病院前の公園で休憩する乗客


12:10 治療を終えた女性客が病院から出て来て、1時間遅れでバス運行再開。

 

廃止された線路。軌間 914mmか?


13:00 頃、廃止された鉄道線路が見えてきた。中南米に多い3フィート(914mm)軌間のようだ。日本の3フィート6インチ(1067mm)より少し狭い。線路跡とは40分ほど並走。


バスが走っているのはアルゼンチンの国道7号線で、チリとの間の幹線国道らしく、トラックが多かった。山岳区間でカーブが多いせいか、トレーラは見かけなかった。トレーラは通行禁止かな?

 

峠へ続くトラックの列

 

13:40 頃、渋滞の最後尾に付いた。バスや乗用車はトラックの横を追い越していったが、トラックの列はそのまま並んで待っていた。トラックは国境での荷物検査のため、貨物専用レーンで待たねばならないのだろう。

 

狭隘な箇所


道幅に余裕がある場所だとタイミングを見てトラックの横を通れるが、狭隘な区間ではかなり難儀しながら通っていった。

 

トンネル入口。標高 3209m

 

14:40 国境のトンネル入口に着いた。トラックの列は10km以上あったと思う。トンネルが通っているのはアンデス山脈の峠で、大西洋と太平洋の分水嶺の国境である。通称、クリスト・レデントール(Cristo Redentor)峠というそうで、近くにある標高 3,832mのウスパジャタ(Uspallata)峠を1904年に開いた人物、クリスト・レデントールに因む名称らしい。峠にはレデントールの銅像があるそうだ。盛岡から宮古に至る道(現在の国道106号線)を開いた鞭牛和尚のような人かな。

追記:ウィキペディアをよく読んだら、レデントールの銅像が設置されたのが1904年で、この人物が峠を開いた訳でもないようです。

トンネルは標高 3209mのところにあり、長さ 3080mで1980年開通とのこと。開通によって通年通行が可能になったそうだ。南緯32.8度ほどで、九州と同じくらいの緯度だが、標高3,832mの峠ともなると、さすがに冬は通れないだろう。トンネル入口手前から上の方を見上げると、バスが数台旧道を上って行くのが見えた。ウスパジャタ峠へ行く観光バスのようだ。3209mのところからさらに上り、3,832mの旧峠まで行くんだな。メンドーサにもう一泊して現地発着ツアーに参加すれば、旧峠に行けたかな。20kmほど北にある南米大陸最高峰のアコンカグアも見られたかも。

 

トンネルを通ってチリに出た。チリは日本との時差が13時間だが、今はサマータイム期間なので12時間。サマータイム制度のないアルゼンチンとの時差はない。車で標高3000mを越える場所を通るのは、2008年12月30日に台湾の武嶺という3275mの峠を越えて以来となる。

 

税関の手前、車の列

 

税関前の岩山

 

トンネルを出て少し先に国境の税関があった。ここで通関審査となる。乗合バスでの国境検査は1997年9月の米国→カナダ以来28年ぶりかな。15:20 バス専用のレーンに入ったが、前に他のバスが2台いて、2時間半ほど待たされた後、やっと駐車スペースに入った。

預け荷物はすべてバスから下ろしてX線検査。乗客は一人一人、手荷物をすべて持って通関検査。パスポートを出したら、若い男性職員はハポン(Japón)? と言っていた。日本人は一人ではあまり来ないのかな。

ベテランか上司らしき女性職員が来て、英語を話せるか? と聞いて来た。旅行目的、滞在日数、ホテルの名など、税関での質問項目はだいたい決まっているので、私ごときの英語力でも受け答えは難しくない。今回は婚姻の有無も聞かれた。女性職員は若い男性職員に何か説明していた。

18:40 やっとバスは出発。3時間以上、国境での検査に費やした。トラックのレーンは通過にもっと時間がかかるだろう。どうもチリは入国管理に厳しい国だね。

 

つづら折りの下り

こちらのリンク先の写真のほうがすごいです。

 

アルゼンチン側は徐々に上っていく道だったが、チリ側はつづら折りの道だった。エンジンブレーキをかけながら、ゆっくり下って行った。

 

途中で陽が暮れ、サンチャゴのバスターミナルには 21:55頃に着いたが、ここからがまた大変。ターミナルに入るバスが渋滞をなしている。しかもバスタ手前で一般道を何か所か横切らねばならい。45分ほど待たされ、やっとバスタの降車場に到着。
ウルグアイ・モンテヴィデオや、アルゼンチン・ブエノスアイレスのバスタと違い、これはお粗末。チリ・サンチャゴの長距離バスタは隣接して2か所あるらしいのだが、これは見直し要だな。

予定では所要8時間 17:00着だったが、5時間40分遅れで 22:40着となった。バスタからホテルまでは当初地下鉄を予定していたが、遅い時間となったのでタクシーにした。
タクシー乗り場も混んでいるかな。と思ったが、私の前は2組。15分ほど待ち、23:10頃に乗れた。タクシー乗り場近くの出入口では、TAXI と書いた板を持ち、タクシー,タクシーと声を上げる男がいたが、誰も乗ろうとしなかった。よほど悪質な白タクだろうな。

予約していたホテルには、なんとか日付が変わる前に到着できた。やれやれ。昼食も夕食も取っていなかったので、さすがに空腹感があった。ホテルのバーは既に閉まっていたので、フロントで近くに24時間営業の店がないか聞いたら、ガソリンスタンドの売店が開いているという。外国で日付が変わった直後の時間帯に外出するのは好ましくないが、200mほど先のガソリンスタンドに行った。ソーセージを挟んだパンがあったので、水と一緒に買ってきてホテルの部屋で食べた。