24.9.24(火)
「東北の街道」監修:渡辺信夫,無明舎出版,1998年初版には、平沢から古雪までの区間について「この間の街道筋は不明」と書かれている。仁賀保駅から海岸近くに出たあたりが平沢漁港で、古雪という地名は本荘市内にある。この日は仁賀保駅から羽後本荘まで歩く予定であるから、この記述が正しければ、この日歩く予定ルートのほとんどは、羽州浜街道かどうか不明ということになる。
一方、森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」からダウンロードした「秋田 01-01 北国街道.pdf」には、国土地理院の地図に街道ルートがプロットされている。
秋田県立図書館のサイトによると羽州街道については、『歴史の道調査報告 1-7』(秋田県教育委員会編、秋田県教育委員会、1984)を基に、森塚良郎氏が『日本の街道地図 5』(2020)を作成し、同じものが同氏の上記ブログに掲載されている。とのことだが、羽州浜街道についてはそうではないのかな。
いずれにせよ、入手できた資料は森塚良郎氏の地図しかないので、そのルートを歩くことにした。前日と同く羽後本荘駅 9:56 の列車に乗った。仁賀保へ。
この日歩いたルートと写真など
本荘のホテルを出て、羽越線の上り各駅停車で仁賀保駅へ。
仁賀保駅待合室の鉄道グッズ
仁賀保駅の待合室には、鉄道グッズが多数展示されていた。前日もこれら鉄道グッズを見始めていたのだが、直後に臨時特急があると気付いて飛び乗ったので、1/4も見られなかった。そんなわけでこの日はゆっくり眺めた。「新京行」という右書きのサボ(行先表示板)があったが、これは旧満鉄のものだろう。
10:25 仁賀保駅からこの日の街道歩き開始。この日は快晴に近かったが、鳥海山の中腹付近だけ雲がかかっていた。
大雨で温泉が枯れ、休業
10:35 かみのゆ温泉の看板があった。暖簾がしまわれていて、大雨で湯が出なくなり休業との表示。雨で温泉が枯れることもあるんだな。
11:12 海岸から少し離れ、羽越線の踏切を渡ったら、下り方向に信号場が見えた。帰宅後に検索したところ、出戸信号場というそうだ。この踏切の少し手前あたりからが、「東北の街道」の記述「この間の街道筋は不明」にあたるようだ。踏切の先で国道7号に合流。しばらく国道を歩いた。1桁国道なので歩道はちゃんとしている。旧街道は左側の砂浜ということかな。
国道から離れ、11:56 出戸町内史跡遺跡案内があった。その地図によると、少し手前に一里塚跡があるらしい。ありゃ。気付かなかった。また、このあたりからJR羽越線は海岸から離れ、羽後亀田まで10km以上、内陸部を通る。12:26 砂浜近くに出て、海を見ながら小用。その先には発電風車が何基かあった。
薬剤散布 立入禁止
12:46 道が右に折れて内陸に向かい始めるあたりに、松食い虫対策で薬剤を散布したので立入禁止との表示。両側松林の道。そういえば最近、松食い虫の害が広がっていると聞くなあ。その少し先には枯れた松の木が何本もあった。これらも虫にやられたのかな。
鳥海山 道の駅にしめ にて
13:00 「道の駅にしめ」に立ち寄り、エビフライ定食の昼食。歩き始めから 10.7km,15,962歩。昼食後、歩きを再開。
海岸近くの未舗装路に入った先、道沿いに発電用の風車が多数立っていた。いくつかの柱には、落雷危険の表示があった。まあ、見晴らしも風通しもよい場所に立っているから、落雷も多いだろう。
発電用の風車 ここを通った
未舗装路は風車のすぐ下を通っている箇所が多く、ブレードの風切り音が「ビュービュー」と唸り、傍を歩いていて少し怖かった。刃物やナイフを意味する英単語 blade が発電風車の羽も意味するんだな。万が一ブレードが折れて飛んできて直撃されたりしたら、即死だろう。作業員が数名いてメンテナンス作業をしていた。危険なので近づくなとか言われるかな。とも思ったが、何も言われなかった。この未舗装は公道らしい。
14:35 風力発電沿いの未舗装路が終わり子吉川の河口近くに出た。14:50 石碑があり、文政二己×年と刻まれていた。×の字が読み取れなかったが、帰宅後検索したら、文政二年は己卯とのこと。×の字は卯ということだった。
コンビニに立ち寄ってビールとつまみを購入。15:35 ホテルに到着し、この日の歩き終了。昼食後は 7.4km,11,390歩。