一昨年に羽州街道を完歩した。地図で日本海縦貫線沿いを見ると、琵琶湖西岸の湖西線沿い、柏崎~新潟の信越線沿いと、象潟~秋田以外は歩いている。琵琶湖東岸は東海道・中山道・北国街道を歩いたし、柏崎~新潟は越後線沿いの北国街道をおくのほそ道で歩いたから、日本海縦貫線沿いで全く歩いていないのは、象潟~秋田となった。まあ、そんな訳で、羽州浜街道の象潟~秋田を歩こうかと考えた。
「東北の街道」監修:渡辺信夫,無明舎出版,1998年初版によると、この街道は、「砂丘地のため形跡のない所が多いこと、河川の流路変更で、 渡船場とともに街道の位置がしばしば変っていること」が特徴で、「岩石が海岸に突き出た所が所々にあって険路・難所が多い。」とも書かれている。
ルートを調べると、「岩石が海岸に突き出た険路・難所」は象潟以南に多く、おくのほそ道ウォークで何か所も通ったが、象潟以北にはそれほど多くはなさそうだ。ただし、砂浜を通っている区間は確かに多いように見える。砂浜を歩けず、国道などに迂回しなければならない区間が多そうだが、まあ、それも一興。思わぬ発見があったりするものさ。
24.9.23(月)
前日盛岡の自宅を出て、秋田県由利本荘市のホテルに前泊。「東北の街道」での羽州浜街道は秋田から鼠ヶ関に向かって南下しているが、私は北上するルートを選んだ。この日はJR羽後本荘駅 9:56 の列車で象潟へ。
この日歩いたルートと写真など
象潟駅ホームの観光案内板
10:24 象潟駅からこの日の街道歩き開始。おくのほそ道ウォークで象潟に着いたのは、2018年9月23日。ちょうど6年前ということになる。その時は吹浦駅から象潟駅まで歩いたなあ。木戸跡,熊野神社,船つなぎ石など、6年前にも通った場所を通過。
坩満寺前を通過。おくのほそ道の時や、その後にも一度立ち寄っているので、今回はパス。その先でいったん国道7号の旧道へ。旧道から現国道7号に出た。
森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」からダウンロードした「秋田 01-01 北国街道.pdf」によると、旧街道はかなりの区間で海岸近くを通るようだ。グーグルマップなどの航空写真によると、現在は砂浜となっているので、砂浜の区間は国道7号や他の道を歩くことにした。
11:20 歩道の上にアゲハ蝶がいた。内臓が少しはみ出て、苦しそうに翅をばたつかせていた。車に当てられたか、鳥につつかれたか。可哀想だがまもなく死んだだろう。
11:40 国道沿いの店で、唐揚定食の昼食。歩き始めから 4.9km,7,378歩。12:05 昼食後、歩きを再開。
飛島遠望
12:38 日本海の飛島が、やや浮き上がって見えた。軽い蜃気楼かな。その先で赤石川を渡った。そのあたりからは旧街道ルートと重なるらしい。
12:45 金浦漁港の手前、小山の上に海難者供養碑があったので立ち寄った。
海難者供養の石仏
供養碑の解説によると、左の石仏が慶応元(1865)年の海難者34名を、右が明治19(1886)年と明治25年の海難者計14名を供養したものだそうだ。小山の上からは金浦漁港が見えた。近くにJR金浦駅があるが、40年ほど前にはこの駅の裏に塗装店の看板があり、魔法のランプのアラジンの絵が描かれていたのを思い出す。
観音潟に面した勢至公園の少し先、工場の事務所脇を通る歩道沿いにビワの木があり、ちょうど実が熟していた。南側の直射日光に当たっている実は果肉が崩れ始めていて、甘酸っぱい香りがし、蜂などが群がっていた。
(追記)気になって検索したところ、ビワの実は初夏に収穫するそうです。私がビワの木・実だと思ったのは別のものですね。何の木・実だろう。写真を見て調べたら、どうやらイチジクのようです。
また、この近くには地元出身で、アムンゼン隊、スコット隊に続いて南極点へ向かった白瀬矗中尉に因む、白瀬南極探検隊記念館があるが、以前見学したことがあるので今回はパス。
文化十癸酉年の碑
13:48 石碑があり、楷書体なので私でも「文化十癸酉年」と刻まれているのが読めた。帰宅後に検索したら1813年とのこと。その先、芹田岬方面へ向かう所で、道を少し間違えた。
14:30 波切不動尊と書かれた標柱があり、解説に磨崖仏と書かれていた。磨崖仏というと崖を削って造った仏像だが、近くにそれらしい崖はなく、磨崖仏は見あたらなかった。
方角石
14:42 建武碑・方角石と書かれた標柱があり、行ってみた。建武碑・方角石の隣に、TDK歴史みらい館があったが、この日は月曜で休館日だった。振替休日なのに休館か。翌々日、自宅へ帰る途中、車で立ち寄って見学した。
15:05 JR仁賀保駅でこの日の歩き終了。昼食後は 10.4km,16,439歩。
16:20 の下り各駅停車を待っていたら、15:31 の臨時特急いなほがあることに気づいた。新潟→酒田は毎日運行の定期列車で、3連休最終日のこの日は酒田→秋田を延長運転。事前に調べた時刻表が3月号だったので、この日運行とは知らなかった。各駅でもたった2駅先だが、特急に乗って羽後本荘へ。ホテルに戻った。