登り街道(八戸街道) | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

先々週・先週に浄法寺街道を歩いた時は、『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十七集』(岩手県教育委員会 昭和56年)で下調べをした。

この報告書は浄法寺街道と八戸街道に関する報告書なので、次は八戸街道を歩いてみよう。と、単純に考えた。奥州街道福岡宿から八戸に至る街道である。なお「八戸街道」は岩手県・南部藩での呼称で、八戸藩では「登り街道」と呼ぶそうだ。

24.6.12(水)
盛岡駅前の牛丼店で朝食後、6日前の浄法寺街道2日目と同じく、6:41発のIGRいわて銀河鉄道の電車に乗車。二戸の一つ先の斗米駅で下車。この駅は初めて。7:55 斗米駅からこの日の街道歩き開始。

 

この日歩いたルートと写真

 

ちょうど便意を催し始めていたが、斗米駅にはトイレがなかった。すぐにスーパーがあるのが見えたが開店前。ダメ元で行ってみたら、入口は開いていて脇にトイレあり。開店準備中の職員がいたので、聞いたら「どうぞ」とのこと。やれやれ。トイレを借りられた。


トイレの後、馬淵川の橋を渡り、国道4号の旧道、旧奥州街道に出た。このあたりの奥州街道を歩いたのは3年前、21年6月06日だった。その時は二戸駅から三戸駅まで歩いた。

 

堀野清水

 

堀野清水の前を過ぎ、8:22 登り街道の起点となる追分に到着。

 

ここから登り街道(八戸街道)

 

堀野一里塚(仁左平の一里塚)

 

8:53 堀野一里塚前を通った。『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告』では「仁左平の一里塚」と記している。名前を決めて塚を造ったのではなく、塚を造った後で「xxの一里塚」という呼称が定着したのだろうから、名前が複数あるのはよくあること。なお「仁左平」は「にさたい」と読むそうだ。

 

文政六年の供養塔

 

9:05 仁左平の集落に案内板があり、その向いに供養塔と地蔵があった。『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告』によると、供養塔には「文政六年」(1823年)と刻まれているそうだ。

 

未舗装路入口

途中からは地理院の地図に記載なし

 

仁左平の集落の先、道路沿いの木の枝を切り落とす作業をしていて、9:30 そのすぐ先で未舗装路に入った。『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告』の地図では、八戸街道はそのまま北東方向に進んでいるが、途中からは国土地理院の地図に道の記載がないため、その区間は南側の道を予定していた。

ところが現地へ行ったら通れそうな道があったので、その方向へ進んだ。オンロード四駆車なら難なく通れそうな道だった。また、道沿いには本新田の一里塚があるらしいのだが、これは見つけられなかった。結局、地理院の地図にない道は無事通れ、10:09 当初予定の道へ出た。

 

猿越峠の風力発電

 

その先で舗装路に出て、10:30 風力発電の羽(ブレードって言うんだっけ?)が見えた。そのあたりが猿越峠で、かつては駕籠置き場があったそうだ。ところがそこから先の道を間違えた。峠の東側200メートルほどは地理院の地図に記載がないが、航空写真では道らしきものが見えるので、そこを通る計画を立てていた。

 

この道を間違え、風力発電所脇から沢へ下りて行った。ところがなかなか道に出ない。11:10 旧国道か旧県道らしき痕跡に出た。どうやら道を間違えたと気付いた。いったん東へ向かったが、薮が深まって先には進めそうがなく、引き返して西へ。12:00 無事に薮の中から現国道395号に出た。

沢に滑落したり、脚を痛めたりしなくてよかった。この間違いは反省せねば。スマホのGPSアプリで位置をよく確認する等、間違いに気付く方法はいろいろあったはず。

現国道を歩いて風力発電所前へ戻り、今度はスマホのGPSアプリで位置を確認。分りにくかったが、何とか道を見つけられた。発電所変電設備の脇あたりを通るのが正しかった。2時間近く山中をさまよったことになる。

 

↑ここから入り

↓ここに出るのが正しいルート

 

 

 

今度は10分ほどで地図にある道(未舗装路)に出た。やれやれ。峠からここまでの地図にない区間(300メートルほどか?)は、オンロード四駆車なら通れるだろう。

 

林道沿いの養蜂箱

 

13:03 国道395号を横断して県道へ。国道に出る直前の道路脇には養蜂箱が多数あり、ミツバチが多数飛んでいた。道からは4~5メートル離れているが、念のため虫除けスプレーをかけてから脇を通った。

観音林の集落の中に稲荷神社があった。社殿の階段に腰掛け、持参したコンビニおにぎりとペット茶での昼食。歩き始めから 14.3km,24,479歩。神社のトイレを借りた後、晴山方面へ。横枕バス停でこの日の街道歩き終了。14:10 のJRバスで二戸駅へ。

この日の盛岡は真夏日。今年の旧街道歩きは4月16日に始めたが、2か月経って北東北もだいぶ暑くなってきた。続きは秋かな。