浄法寺街道2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

1週間前に歩き始めた浄法寺街道の続き。長い街道ではないので、2日目で終えられる。

24.6.06(木)
盛岡駅前の牛丼店で朝食後、6:41発のIGRいわて銀河鉄道の電車で二戸へ。二戸駅前の浄法寺行きバス乗り場へ。
駅前にはJRバス東北二戸営業所の事務所があり、所属のバスが数台駐められていた。バスの合間を女性職員が歩いていた。前の記事に書いた中学の同級生かもしれない。乗る予定の駅前 8:22発は二戸病院始発で、駅前始発ではないため、この女性運転士ではないだろう。来たバスは男性の運転だった。

 

この日歩いたルートと写真

 

前回終了地点の漆沢バス停で下り、8:50 この日の街道歩き開始。

 

9:00過ぎ、砕石場の前で安比川を渡る橋へ。旧街道はこのあたりで現在の県道と分れ、川は渡らずに山側を通る。「盗人ころがしの崖」と呼ばれた崖の上を通るようだ。
地図で見ると砕石場付近から1.5km以上道があり、航空写真でも道を確認できるのだが、最後の数百メートルほどは道がないようだ。ここは県道を迂回することに決めていた。安比川を2回渡り、3回目の橋の手前で旧街道方面へ。

9:35 山から下りて来る旧街道との合流地点付近に着いた。旧道と思われる方へ少し行ってみたが、やはり草ぼうぼうで通れそうになかった。

 

 

道楽稼業 北奥羽軍鶏連合会

 

10:04 「道楽稼業」「北奥羽軍鶏連合会」と書かれた看板があった。看板の下には鳥籠があったが、中は空だった。左脇にも籠があり、そちら側にはシャモが何羽か入れられていた。軍鶏・シャモというと闘鶏用のイメージがあるが、食肉用でもあるようだ。ここのシャモはどちらだろう? 「道楽稼業」「北奥羽軍鶏連合会」という看板からみると闘鶏用? はっきりしたことは分らない。

10:30 「安比の追分石」前に到着。解説に『この畑の中の細い道は「浄法寺街道」のなごりです。』と書かれていが、『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十七集』(岩手県教育委員会 昭和56年)の地図と違っているように思える。

 

安比の追分石

 

上野平の道標

「安比の追分石」の図と思われるが、
報告書の地図では数百メートルほど離れている。

 

同報告書によると、数百メートルほど離れた場所に「上野平の道標」がある。そのあたりでは道標らしきものは見つけられなかった。帰宅後にこの報告書掲載の「上野平の道標」挿絵を見たら、写真を撮ってきた「安比の追分石」と同じだった。どうも資料により食い違いがある。名前が複数あるのはよくあることで、「上野平の道標」、「安比の追分石」という名前の違いは気にしなくてよさそうだが、位置が違っている。
この報告書には「上野平の道標のある分岐点」という写真もあり、「安比の追分石」の場所にそっくりである。どうやら、報告書の地図に書かれた位置が間違っているような気がするが、正確なところはわからない。私しゃ旧街道の研究者ではなく、単に趣味で旧街道を歩いているだけだし。

 

福岡町立似鳥小学校跡

 

11:11 「発達支援センター」というカラフルな建物があり、門柱に「福岡町立似鳥小学校」と書かれていた。福岡町が金田一村との合併で二戸市になったのは半世紀以上前。それ以前の小学校跡かな。なお、朝乗ってきたバスの停留所名アナウンスによると、似鳥は「にたどり」と読むらしい。お値段以上ニトリの社長の名が似鳥なので「にとり」と読むのかとも思ったが、そうではなかった。

12:07 自販機があったので一息。その先に「陸奥合川」バス停があり、待合室もあった。待合室の中で持参したコンビニおにぎりの昼食。歩き始めから、13.0km,19,955歩。そそくさと昼食を食べた後、街道歩き再開。すぐ先で県道から分れ、県道の旧道へ。

 

馬仙峡 男神岩

道の先に通行止の看板が見える

 

ほどなく生コン工場の先で通行止めとなった。そのあたりは馬仙峡の一部で、旧道は崖の下を通っている。落石による事故を警戒して通行止めとなっているのだろう。まあそんなのは自己責任でいいよ。通行止表示の脇を通ってそのまま進んだ。

 

大渕発電所跡

 

通行止が終わった先には大渕発電所跡というのがあった。1914(大正3)年に発電開始した水力発電所で、これで二戸地区に初めて電力が供給されたとか。2013(平成25)年の台風で被害を受けたため廃止されたそうだ。

二戸駅前付近を通り、旧街道の渡船場跡付近へ行ってみた。このあたりの馬淵川は両岸が崖のようになっていて、川の近くには下りられなかった。

 

奥州街道との追分

 

13:57 久府坂追分に到着。奥州街道との追分で、浄法寺街道の終点。昼食後は、5.6km,8,562 歩。奥州街道のこのあたりを歩いたのは21年6月03日で、小繋駅→二戸駅を歩いた。浄法寺街道歩きはここで終了。

帰りの電車発車まで2時間以上あるので、少し先の旧福岡宿付近まで行った。途中に追分の石と解説があり、白鳥道との追分とのことだが、白鳥道についてはよくわからなかった。
旧福岡宿付近から引き返し、コンビニで缶ビールを買い、馬淵川原の公園へ。屋根のあるテーブルとベンチに座り、缶ビールで一息。

 

二戸にトルハルバン?

 

公園にはトルハルバンがあった。韓国済州道の石像である。何で二戸にトルハルバンが? 石碑によると、韓国済州道のライオンズクラブと姉妹クラブのため、贈られたとのこと。


公園を後に、二戸駅へ。16:10のIGRいわて銀河鉄道の電車で帰宅。

2日後、盛岡では「チャグチャグ馬っこ」のお祭りがある。その年の田植作業を終えた農耕馬の労をねぎらうお祭りとのこと。そういえば1週間前の浄法寺街道歩き初日はあちこちで田植え作業(もちろん今は機械)を見たが、この日は一度も見かけなかったな。