24.4.20(土)
自宅を出て路線バスで巣子バス停へ。10:10 巣子バス停から鹿角街道の続きを歩き始めた。
副鼻腔炎(歯性上顎洞炎)がぶり返したため、頻繁に痰を吐きながらの街道歩きとなった。のど飴も携行。この日歩く予定ルートの半分以上は国道・県道であるが、市街地は多くないので、道端で痰を吐いても問題はないだろう。
↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
国道4号沿いに北上し、10:28 岩手大学農学部の滝沢農場前を通過。岩手大学農学部の前身の一つに盛岡高等農林学校があり、私の父方の祖父はその卒業生である。宮沢賢治の後輩ということにもなる。
祖父は獣医の資格も持っていたらしいのだが、職業として獣医はしていなかった。ただ、獣医の実習経験が役に立ったことはあったそうだ。
次女(私の叔母)が生まれた時、大雪で助産師を呼べず、自分で妻の出産を助けたそうだ。信じられない。また私の母は、ニワトリの捌き方を祖父(母から見ると舅)から教わったそうだ。どちらも、私には到底できないことである。
ちなみに私の父はその逆で、男子厨房に入るべからず。だった。
岩手山
左に岩手山を見ながら国道を北上。このあたりの国道4号線は、東側上り2車線の両脇が防風林になっているが、西側下り2車線の左側には防風林がない。東側上りが元の道で、西側車線は後で車線増の時に付け加えたのかな。
10:50 国道4号線現道と国道282号線の分岐点「分れ」交叉点を通過。「滝沢の分れ」と呼ばれており、ここから国道282号線に入る。
「分れ」追分の碑解説
国道4号線旧道はその少し先にあり、追分の道標があった。ここが元の「分れ」だな」。消防車が何台か北に走って行った。
旧鹿角街道のルートは、このまま国道282号線と重なっているかというと、さにあらず。かなりずれているようだ。『鹿角街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第四十六集』(岩手県教育委員会 昭和55年)によると、旧「分れ」からしばらくは、西側の牧場の中を通っていたらしい。その先では国道282号の東側を通ったりする。
こぶしの花やレンギョウなどを多数見ながら歩いた。春真っ盛りだな。鯉幟を揚げている家もあった。
鯉幟
12:50 焼肉店に入り昼食。歩き始めから 9.9km,15,206歩。
昼食
13:20 昼食後、街道歩き再開。14:04 八幡平市に入った。その直後に「道の駅にしね」があり、トイレを借りた後、小休憩。道の駅でのど飴を売っていなかったため、少し先のコンビニでのど飴を購入。
現国道から左に折れた後、小松川追分碑で右へ。その先で松川に出た。「歴史の道」調査報告によると、旧街道が松川を渡るところは、「オセ渡り」と呼ばれていたらしい。名前からして徒渡りだっただろう。
オセ渡り
「オセ渡り」南側から、迂回して国道の橋を渡り、「オセ渡り」北側へ。
すぐ先に大更(おおぶけ)新道との分岐、松川追分標柱があったが、どの石が道標かはわからなかった。「歴史の道」調査報告によると、「大更御新田」開墾後に開かれた新道とのこと。ただ、いつ頃に開かれた新田、新道なのかは、読み取れなかった。私の読み方が雑なせいで、熟読すればどこかに書いてあるかも。
また、ダウンロードした「歴史の道」調査報告の .pdf 版に、このあたりから先、車之走峠までの地図がない。おそらく.pdf 作成時のスキャン漏れだろう。元の報告書には記載されていると思われる。初日の記事に書いた森塚良郎氏トレースの地図に従って予定ルートを決めた。
向坂追分石の脇の切通しを過ぎた先のあたりが、旧田頭宿とのこと。その先、八幡平市役所を過ぎたあたりが、大更新道との合流地点だが、これまた現在の国道とルートがずれているようだ。
スーパーでトイレを借りた後、16:28 国道からJR花輪線を挟んで反対、東側の旧道へ。このあたりは踏切がないので、しかたなく線路を横断することに。用水路もあって線路がその上を越えていたので、線路の橋を渡って横断。
線路に立ち入るのは本来は違法で、都市部では論外の行為だが、それ以外の場所では黙認されている。ただ、違法には違いないので、よい子の皆さんはまねしないでください。
線路と用水路を横断して旧街道へ出たら、真っ黒な犬と散歩している人がいた。目に入った時、真っ黒なのでクマじゃないよな? とも思ったが、少し離れて同じ向きに人が一緒に歩いていたのでイヌだと安心。その男性と二言三言会話。
平館駅
16:58 JR平館駅到着。この日の鹿角街道歩きはここで終了。昼食から 14.3km,21,059歩。ちなみに地名は「平舘」で駅名は「平館」と、微妙に字が異なっている。
17:08 の上り列車に乗る予定で歩いてきたのだが、着いたらその列車はないことに気付いた。駅の貼り紙によると、「花輪線で昼間集中工事を実施。実施日は、2024年4月16日(火)~19日(金)、4月23日(火)~25日(木)、6月18日(火)~19日(水)。工事実施日は、9:00~16:00頃全便運休で代行輸送なし。代わりに上り臨時列車を1本運転。」
この日は集中工事の日ではなく、日中の運転はあるが、17:08 発の臨時列車は運転なし。帰宅後に時刻表をよく見たら、そのように書かれていたが、定期列車と勘違いしていたのである。
どうも最近、こういう詰めの甘さによるミスが多いな。何事も細心の注意と調査が必要だな。自戒せねば。盛岡行きの路線バスもあるが、最終 16:06 で1時間前に出てしまっている。次の上り列車は 19:55 3時間近く待たねばならない。さてどうしたものか。
駅の手前 800メートルほどのところに、スーパー「ユニバース」があったのを思い出した。あそこにいれば寒くはないだろうし、夕食も取れる。
来た道を引き返してスーパーへ行ったら、電子レンジ,給茶機や、椅子・テーブルのあるコーナーがあった。17:30~19:30 2時間ほど時間待ち。ついでに夕食を買って食べた。
こういう事態を想定していなかったため、この日は比較的薄着で綿の長袖シャツ1枚だった。駅までの道はもう寒いだろうなと思いながら、給茶機で熱いお茶を飲んで体を温め、19:30 スーパーを出た。やや寒かったが、長袖シャツ1枚でぎりぎりしのげた。
列車は遅れず 19:55 定刻に来た。やれやれ。盛岡の自宅に着いたのは 22:05 頃だった。風呂で体を温めて就寝。