皆既日蝕当日 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

24.4.08(月)
朝、窓の外を見たら、地面は濡れていた。予報通り昨夜は雨だったようだ。

テレビでは数日前から日蝕関連のニュースが多い。日蝕が見られる場所の天気予報も何度も流している。米国で次に皆既日蝕が見られるのは20年後、2044年の8月、クリーヴランドでは 420年後だとも言っていた。420年後、25世紀ですかい。それまで人類は生存しているだろうか。生存していたとしても、現在のような高度な文明・社会基盤を維持できているんだろうか?


予報によると、クリーヴランドでの日蝕が皆既となる 15:13 の雲量は 60%とのこと。60%か。どうにか見られるかな。雲よ来ないでくれ~。
朝は全天曇りだったが、ところどころ晴れ間が見え始め、9:40 少しだけ陽が射した時間があった。雲よ引け~。

ホテルの前はユークリッドアヴェニュー(Euclid avenue)という通りで、インターステート20号でもある。この通りに沿って、BRT(Bus rapid transit)のヘルス線(Health line)が並走していて、泊まっているホテルの3階の部屋からも、路面に BUS ONLY と書かれた車線が見える。
時刻表によるとこのBRTヘルス線は24時間運行で、日中はほぼ15分おきの運行。日本でもBRTが徐々に増えているが、BRTと路線バスとの違いって何だろね。ネット検索すると、専用道や専用レーンを主に通るのがBRTらしい。


しかし日本では都市部ではなく、ローカル鉄道の廃線・置き換えをBRTと称することが多く、運行本数も少ないため、海外のBRTとは意味が違うような気がする。速くて本数も頻繁になければ rapid じゃないよね。


ホテルを出て、BRTのユークリッドアヴェニュー東66番通り駅(Euclid av & E 66th st sta.)へ。市中心部から 4kmほど東である。

 

日蝕を見ながらのお茶べり会の案内だろう

 

途中、日蝕を見ながらのお茶べり会の案内らしき看板があった。前日もこの看板に気付いていたが、後で写真を見たら、会場は前日見学したドゥンハム・タヴァーン博物館(Dunham Tavern Museum)だった。あそこで日蝕を見ながら談笑するんだな。

 

ユークリッドアヴェニュー東66番通り駅(Euclid av & E 66th st sta.)

 

東66番通り駅の券売機で切符を購入。片道$2.5,1日券$5.0。カードのみだろうと思っていたので、カードで買おうとしたが、私のカードを受付けなかった。現金でもOKだったので、$5紙幣で1日券を購入。10:15 BRTヘルス線に乗って市の中心部へ。Public Square 駅で下車。そこから歩いて、昨日下見したロックンロール殿堂(Rock & Roll Hall of Fame)前を通り、五大湖科学センター(Great Lakes Science Center)前にある皆既日蝕祭(TOTAL ECLIPSE FEST)会場へ行った。

 

駐車場は当然ながら既に満車


会場入口のセキュリティチェックで、ペットボトルの水を廃棄するよう言われた。飛行機と同じだな。会場の一段高くなっている場所にテーブルが多数あり、行ったらちょうど1テーブル空いたところだったので、そこに座った。これはラッキー。11:40 頃だったかな。その頃は快晴に近かった。

まもなく20代くらいの黒人男性二人連れが来て、座っていいかと問われたので、快諾した。二人は缶ビールと缶の清涼飲料水を持っていたので、ビールをどこで買ったか聞いたら、あそこのテントの店で売っていると言った。昨日の記事に、屋台でのアルコール販売は禁止らしい。と書いたが、これは間違いで、OKだった。教えてもらった店でビールを買った。二人はこのままずっといるのかと思ったら、30分ほどで席を離れて行った。


程なく60代後半くらいの白人女性が来て、座っていいかと問われたので、これまた快諾。次に60代の男性1人と女性2人のグループが来て、座っていいかとのこと。先に来ていた女性が私に、お連れさんはいるの? と聞いてきたので、私一人です。どうぞ。と答えた。以後、この4人とずっと同じテーブルだった。

 

日蝕チェイス(Eclipse chase)の飛行機雲

 

上空には飛行機が何機も飛んできて、飛行機雲が多かった。飛行機から日蝕を見るんだろうな。同じテーブルの男性がそれらの飛行機を指差し、chase と言ったのが聞こえた。日蝕を chase する。という意味だろう。

黒人男性が1人やって来て、同じテーブルの4人と話し始めた。お互いの年齢を言い始め、皆60代と分った。白人男性が自分は64歳だと言ったので、Oh. same age. と、私も言い、日本から来たと話した。

13:00 頃から雲が出始めた。ここまで快晴に近かったのにな。曇らないでくれ~。

 


先に皆既となったメキシコからの映像

 

会場には大画面があり、先行して皆既となった所からの映像が出ていた。

クリーブランドにおける予測は、

13:59 蝕の始まり 
15:13 皆既の始まり
15:15 皆既が最大 
15:17 皆既の終わり
16:28 蝕の終わり 
皆既継続は3分50秒 

 

となっているが、場所によって時刻は少しづつ異なる。日蝕は西側から、月蝕は東側から欠け始めるので、北半球での日蝕は、向かって右側から欠け始めるようだ。また、予測自体、5秒程度の誤差はつきものだそうで、天文学者は事前の予測と観測結果との差を利用して、太陽,地球,月の大きさや軌道の測定精度を高めるそうだ。それでも予測通り、蝕が始まった。

 

14時46分 デジカメに日蝕グラスを当てて撮影

 

15時07分


15:13 予測通り、皆既が始まった。直前に薄暗くなってきたのはわかったが、太陽はギラギラで見ていられなかった。ところが、皆既となったとたん、突然パタッと真っ黒の太陽に変身した。周囲から歓声があがった。皆既日蝕って、こういう見え方になるんだな。部分蝕や金環蝕と違い、独特の見え方。もちろん私の人生で初体験。

 

一番よく撮れた写真 プロミネンス(紅炎)が3つほど赤く写っている

これは日蝕グラスなしで撮影

 

15:17 皆既終わり。ダイヤモンドリングが見え、また歓声が上がった。ダイヤモンドリングはほんの一瞬。すぐにギラギラの太陽光となった。会場に来ていた人々は、三々五々帰り始めた。

 

同じテーブルになった4人。男性と左端の女性は夫婦らしかった。

 

金環日蝕や部分日蝕は何度か見たことがあるが、皆既日蝕は初めて見たので感動。決して安くはない旅費をかけて、わざわざ日本からやって来たかいがあった。

今後の皆既日蝕は、下記のようである。
2026年8月12日、北極~スペイン(ただし、スペインでは終わり頃の一瞬だけ)
2027年8月02日、アフリカ北部
2028年7月22日、豪州
2030年11月25日、南アフリカ~豪州
2033年3月30日、アラスカ
2035年9月02日、中国~北朝鮮~日本

日本での次の皆既日蝕は、2035年9月02日(日)に北陸~関東北部であり、周辺国では北京や北朝鮮の平壌でも皆既触がみられるらしい。日蝕中心線近くでの皆既触は2分半ほどで、今回見たものより若干短めのようだが、75歳。後期高齢者1年生。よっしゃ。それまでは健康を保ち、見てやろう。

能登の穴水,新潟の親不知,長野の飯山,群馬の沼田,栃木市,茨城の笠間などが中心線近くで、中心線から少し離れた七尾,富山,長野,宇都宮,水戸でも短い時間ながら皆既となるようだ。日曜日なので、日蝕が終わった後は北関東から都心方面へ大渋滞になるだろな。天気にもよるけど。

今年元日の能登半島地震で被災した地域は、この頃までにどれくらい復興しているかな。
会場を後に、BRT でホテルに戻った。