耳鼻科と歯科の治療途中、2週間の旅へ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

24.3.29(金)
この日午前は耳鼻科。歯性上顎洞炎の治療で9回目。前の週に告げていたとおり、次回来られるのは2週間後になるので、2週間分の薬を処方してもらった。

夕方は予約していた歯科へ。3日前に入れた左上差し歯の確認の後、先週から痛み始めた右上第一臼歯の治療開始。麻酔注射の後、かぶせ物を除去し、歯根治療した後、仮詰め。こちらも次回来られるのは2週間後になると告げていた。2週間空けるのは問題ないと言われたが、仮詰めが持つことが前提だろう。取れたりしたらいろいろ大変になる。

帰宅後、麻酔がなかなか切れなかった。上顎洞炎の原因となった左上第二臼歯の治療で麻酔した前回は、帰宅してすぐに麻酔の影響がなくなったが、今回は麻酔がやや多かったようだ。1時間半ほど右側の感覚がなかった。夕食にビールを飲んだが、左側では味を感じるのに右側は味覚だけでなく冷感もないのは、やはり変だね。

24.3.30(土)
4月前半の旅行計画、鼻と歯の故障で何回か断念も覚悟したが、何とか予定どおり出発。
 

盛岡の自宅を出て、新幹線で福島へ。福島交通バスに乗り、学生時代からよく行っていた某YH(ユースホステル)に到着。昨年10月08日に開館50周年のお祝いをしたYHである。YH協会との契約のため、3月末でYHはやめるが、旅館業法による宿泊施設の許可はあと3年ほど有効なので、その間はリピーターのみ泊めるそうだ。

なあんだ。最終日ならなじみのメンバーが三々五々集まり、夜は飲み会とかなると思っていたが、そうはならなかった。宿泊者は私一人だった。

24.3.31(日)
1973年から50年あまり続いたこのYHもこの日で閉館。50年間ご苦労さま。
私が海外一人旅を始めたのも、このYHの影響だった。それ以外にもいろいろ思い出がある。若い頃のゆかりの場所がまた1つ消えるなあ。とはいえ、リピーターのみあと3年ほどは泊まれそうなので、盛大にさようなら。とはいかなかった。やや拍子抜けだな。

路線バスで福島へ出て、福島駅から在来線に乗り、郡山,新白河,黒磯で乗り継ぎ、宇都宮へ。宇都宮で昼食に餃子を食した後、湘南新宿ラインで新宿へ。新宿で小田急に乗り、海老名へ。駅前のビジホにチェックイン。

この日、東京の最高気温は28℃以上あったそうだ。首都圏に40年住んでいたが、3月ってこんなに暖かかったっけ? 4年前、定年退職1か月後の3月29日には、住んでいた横浜で雪が積もった。やはり、温暖化・沸騰化は進行しているようだ。