三国街道を歩く 11日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.5.23(火)
前日まで3日続けて好天の中で三国街道を歩いたが、この日は終日雨の予報。ビジホでデータ整理とブログ投稿。

23.5.24(水)
この日も朝は雨の予報。ビジホで朝食を取っている時に雨が強まってきた。当初は六日町駅 8:23 の下り電車を考えていたが1本パス。様子を見て、1時間後の 9:23 に乗ろうと駅へ行ったら駅の手前で雨。それでも電車に乗っている間に陽が射してきた。次第に晴れてくる予報だったので、このまま晴れますようにぃ~。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:48 越後堀之内駅からウォーク開始。駅前の国道17号を越えた先に三国街道の道標があり、左の「長兵衛小路」に入った。

 

三国街道 堀之内宿 長兵衛小路

 

三国街道の旧宿場、堀之内宿の中心はこのあたりから先らしい。旧宿場からは左折して概ね県道371号を西へ進んだ。
橋を渡り、雨が少しパラパラ来た先で旧街道は民家に突き当たった。その玄関は階段を上る高い位置にあった。豪雪対策だろう。民家の左側が旧街道跡らしいが、個人宅のスペースになっているので、左の公道へ迂回。その先でも雨がパラパラ来た。
国道17号を南へ横切った後、田圃の中の道で雨足が強くなったため、少し引き返して農家の軒先を借り、3分ほど雨宿り。雨宿りの後、西へ進み、北堀之内駅前で国道17号に出たら、また雨が強くなってきた。

11:12 国交省の除雪基地隣にある公衆トイレに到着。ここで20分近く雨宿り。民家の軒先と違い、しっかりした屋根があるので助かる。11:30 雨宿り後、街道歩き再開。除雪基地の先で左に180度折れ、坂を上った。そのあたりで雨はあがった。


その先で農道から山道に入った。国道17号のトンネルの上を越える山道で、距離はたいしたことなし。すぐに舗装路に出て新幹線の下をくぐり、国道を横切り、魚野川の渡場跡と思われる所へ。
12:05 渡し場跡らしき所に着いた。小さな祠があったのはその名残かも。ところでこの渡し場、事前に名を調べたがわからなかった。今では渡し船なぞないから、国道の和南津橋を迂回し、対岸へ向かった。

川岸から上り、製菓工場の前を通り、関越道を潜り、12:40 道の駅越後川口に到着。越後堀之内駅から 15,068歩,9.8km。まずトイレを借りた。用を足した後、昼食を取ろうとしたら、ここの道の駅には食堂がなく、そば・うどんのみ。近くにコンビニがあったが、結局ここの玉子うどんを食べた。
13:00 街道歩き再開。道の駅の近くに 1851(嘉永4)年の道標があるそうなのだが、見つからなかった。

国道17号に合流した後、すぐに右の県道71号へ。三国街道の旧宿場、川口宿に差しかかった。13:18 本陣跡の石碑の前を通過。その先には「句碑の道」という碑があり、その前後には俳句の碑がいくつかあった。
旧宿場を通り抜けた後、上越線の橋の下を潜るが、近くにある川合神社は、478(雄略天皇22)年創建と伝わるそうだが、本当かな。国道17号を越え、県道421号に入った。そのあたりで信濃川と魚野川が合流している。
合流地点の先は、川を眼下に望むルートを歩いた。

 

信濃川と魚野川の合流地点を望む

 

いったん国道17号に合流し、右の旧道を通って県道548号に合流。木津南で国道17号を斜めに横切って旧道へ入り、じきに国道351号に出た。
旧街道のルートはそこで国道351号とJR上越線に遮られている。現在の国道を斜めに横断し、上越線と交叉し、追分地蔵に出ていたそうだ。旧道跡へ進んでみたら、14:48 上越線に遮断された所に出た。国道に引き返し、Uターンするようにして、14:55 追分地蔵の前に着いた。

 

右ハ奈がお加 左ハおぢや

 

地蔵の台座には「右ハ奈がお加 左ハおぢや」と刻まれている。でも何か違和感があるな。古い書体のようには見えないし、「長岡」の旧仮名遣いは「ながをか」では? また、昔は濁点をあまり振らなかったから、「なかをか」「おちや」が自然な気がする。石の置き方も不自然で、後から追加された新しいもののように見える。まあ、私はその方面の研究者ではないから断定はできないし、偉そうなことも言いません。
この地蔵の向いには国道の下を通るトンネルがあり、それが旧街道の跡だったという。トンネルを潜って、数百mほど東へ行ってみたら、上越線で遮られている所で行き止まり。ついさっき行った遮断箇所の反対側ということになる。引き返して、追分地蔵から西に向かった。


15:17 国道291号と交叉。ここで左折して信濃川の橋を渡った所が小千谷の中心街である。1980年9月に所用で小千谷駅で降り、橋を渡って市街へ行ったことがある。43年前ということになる。河岸段丘の上にある駅からゆっくり下って、低い位置の川面を見た時、けっこう高さのある橋だったという印象がある。

交叉点から旧街道を北へ進み、少し引き返すような形で 15:30 JR小千谷駅に着いた。43年ぶりの小千谷駅となるが、43年前の駅舎や駅前がどんなだったかは、ほとんど記憶にない。

 

地下道入口の覆い

 

今回見たら駅前に国道の下を潜る地下道があり、地下道入口には地元特産の錦鯉の形をした覆いがあった。43年前にこの地下道はあったかな? あったとしても、このような色には塗られていなかっただろう。

小千谷駅でウォーク終了。昼食後は 16,209歩,11.0km。15:46 の上り電車で六日町に戻った。