宿を移動 途中、峡谷と美術館 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

三国街道歩きで六日町のビジホに6泊した。歩く区間が六日町から遠くなってきたので、長岡あたりの宿に移動しようと、ネットでビジホの空き状況をチェックしていたが、どうも5月25日は長岡も六日町も、ホテルが混んでいるようで予約できなかった。代わりに近隣の町のビジホをチェックし、三条のビジホを確保できた。新幹線の燕三条駅前である。

23.5.25(木)
で、この日は六日町から三条への移動となる。日中に時間があるので、まず清津峡に立ち寄ることにした。

5日前の5月20日に三俣から石打まで歩いた時、清津川の谷から芝原峠を越えて、魚野川の湯沢に出た。峠の手前、八木沢の集落の先に清津峡を通る遊歩道入口の標識があった。長さ 13km の歩道で所要9時間、途中、標高差 500m の急坂には梯子があるという。
この情報によればかなり険しいルートで、この難所を避けるため旧三国街道は芝原峠へ迂回したのだろう。清津峡とはどんなところか、行ける所まで行ってみよう。

9:40 六日町のビジホをチェックアウトし、石打から国道353号の峠を越えて清津峡入口に着いた。駐車場に車を駐め、清津峡渓谷トンネルへ。日本三大峡谷だそうだ。へえ。今まで知らなんだ。
あと2つは黒部峡谷と大杉谷だそうだ。黒部峡谷鉄道には40年前に乗ったことがある。大杉谷へは行ったことがないが、検索したら大台ヶ原の近くとのこと。31年か32年前、知人の夫が行方不明になり、数日だか数週間後に大台ヶ原で遺体で見つかったことを思い出す。自殺だったようだ。

 

清津峡 トンネル出口から下流方向

 

清津峡渓谷トンネルを通り、トンネル出口のパノラマステーションまで行った。険しい谷だね。旧街道が迂回するのもうなずける。

清津峡を後に国道117号に出て十日町を通り、国道252号とその先の峠を越えて浦佐に出た。浦佐の池田記念美術館へ。

3日前の5月22日に浦佐から堀之内まで歩いた時、浦佐の毘沙門堂に立ち寄った。その毘沙門堂楼門の天井画の修復作業が終わり、楼門の天井に戻す前にここで特別展「板谷桂舟 天井画展」として展示するというポスターを見たので、行ってみることにした。

 

特別展「板谷桂舟 天井画展」

 

板谷家は幕府の御用絵師で、5代目の桂舟弘延が制作を担当したものだそうだ。もちろん一人ですべて描いた訳ではなく、スタッフ大勢で描いたものだろう。浦佐毘沙門堂楼門だけでなく、他の天井絵も展示されていた。写真撮影OKだったので、何枚も撮影。何枚か記事アップします。

 

浦佐毘沙門堂の天井画配置図

 

修復終了のうち1枚 配置図のNo.18か

 

これは浦佐以外のものか。

 

下書きも展示されていた。

 

見学後、燕三条へ。駅前のビジホにチェックイン。