三国街道を歩く 9日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.5.21(日)
前日と同じ六日町 8:48 の上越線電車で石打へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:05 石打駅から歩き始めた。9:36 新しい「石打村役場跡」碑と、古い「石打村道元標」が並んで立っていた。

旧塩沢宿の中心に差しかかり、11:04 紬の工場の前に記念碑が立っていた。魚沼地方特産の紬は「越後上布」と呼ばれ、千年以上の歴史があるそうだ。塩沢がその中心で、駅前には「つむぎ記念館」もあるそうだ。

 

歩道のタイル絵 一覧

 

塩沢宿の町並みを進むと、歩道のタイルに雪の結晶の絵が描かれていて、その解説板があった。
11:14 1568(永禄11)年創業という大塚薬局の前を通過。今の建物はそれほど古いようには見えなかった。旧本陣はここにあったそうだが、大塚薬局が本陣を兼ねていたのか、本陣跡に今の建物を建てたのかはわからない。

 

清水街道と三国街道の追分

 

国道17号を斜めに横切った後、旧六日町宿に差しかかり、11:56 清水街道こと国道291号と合流。清水峠を越えて上州から越後に抜ける街道である。
JR上越線の清水・新清水両トンネル,新幹線大清水トンネルや関越自動車道の関越トンネルのあたりは実は清水峠ではなく、そこより数kmほど北東に本来の清水峠があるそうだ。本来の清水峠には 1885(明治18)年に国道が開通したものの、現在は廃道同然で通れないそうだ。

六日町から先の旧街道ルートは、事前調査でははっきりとは判らなかった。GPScycling のデータでは国道17号を通っているが、geocities にあった三国街道の記事では、国道より川沿いの県道364号の方を通っている。県道364号で岩之沢川の橋を渡った後、田圃の中の農道へ入った。

13:20 宇津野新田の手前に、旧街道の痕跡と道標があるそうなので行ってみた。道標には「右ハ六日町江戸海道」と刻まれていて、右の旧道へ入ったらすぐに上越線の線路に遮られた。旧街道は線路の向こう側に続いていたんだろうな。
その先には「魚沼コシヒカリ発祥地」の碑があった。コシヒカリは越前・福井県が発祥の地と聞いたことがあるが、今ではすっかり新潟の特産品みたいになってるね。

 

発祥地碑の隣にある旧街道案内地図

 

その先で四十日川の橋を渡った。四十日は「しとか」と読むそうだ。このあたりには六日町とか五日市とか、市の立つ日付の地名が多いが、この「四十日」も関連あるのかな。
13:35「しとか」川の先で昼食。石打駅から 26,287歩,17.4km。14:00 昼食後、ウォーク再開。

14:40 旧五日市宿に差しかかった。五日町駅の正面付近が旧宿場の中心らしい。宿場の名は五日市だが、駅名は五日町。まあ意外によくある微妙な違いだね。

県道364号は国道17号を越えると県道266号となった。ここから先の区間は、資料によってルートがかなり異なっている。geocities にあった三国街道の記事から推定したルートを進んだ。ただし、既に旧街道が失われた区間も多々あるそうだ。
名木沢川を渡った所から左斜めの道へ。赤坂川を渡った後、県道71へ。旧浦佐宿に差しかかったあたりで、県道363号へ。

旧浦佐宿の中心付近で右折し、16:10 浦佐駅でこの日の街道歩き終了。昼食後は 14,042歩,9.4km。16:18 の電車で六日町に戻った。