三国街道の続きへ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

旧三国街道歩きへ、前回は新幹線・電車・路線バスで現地へ向かったが、今回は車にした。行き先周辺のホテルはけっこう混んでいるようだったが、上越線の六日町駅近くのビジホを予約できた。

さて、六日町までどういうルートで行くか。カーナビの推奨は、東北道→郡山JCT.→磐越道→新潟中央JCT.→北陸道→関越道だった。ほとんど高速道となるルートだが、地図で見ると少し遠回りになる。いろいろ考えて、それよりは距離の短い庄内平野を通るルートにした。

23.5.19(金)
朝、盛岡を出て高速に入り、東北道・秋田道を通って湯沢へ。湯沢の先で国道13号に下りた。山形県に入った後、県道を通って国道47号に出て、最上川沿いに下り、庄内平野に出たあたりで県道に入り、鶴岡の先で少しだけ高速を通った後、日本海沿いの国道7号へ。新潟県に入って村上の手前で日東道に入った後は、そのまま北陸道・関越道に進み、六日町ICで下りた。六日町駅近くのビジホにチェックイン。合併により、今は南魚沼市となっている。
盛岡から六日町まで、車のトリップメータで 475km, 所要8時間ほど。この歳になると、これだけ運転すると結構疲れるね。

23.5.20(土)
六日町 8:48 の上越線で越後湯沢へ。駅前で路線バスに乗り、「三俣中央」バス停へ。前回は「道の駅みつまた前」バス停で路線バスに乗って帰宅したが、今回は1つ先のバス停で降りた。旧三俣宿の集落をもう一度歩きたかったためである。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

10:00 「三俣中央」バス停から歩き始め、旧三俣宿へ。

 

雪崩犠牲者158人を悼む地蔵

 

三俣村大雪崩の解説と地蔵があった。前回、何故かここを見落としたので、立ち寄ってみたかった。
 

国道17号の下を潜り、国道旧道のスノーシェード手前でクマ除けの鈴を着用。「岩鼻雪覆道」と書かれていた。そうか。スノーシェードの訳語は雪覆道か。
10:29 「八木沢口留番所跡 ←50m先」と書いてあったが、それらしき跡は見当たらなかった。


八木沢の集落の先に、清津峡へ行く遊歩道入口の標識があった。長さ 13km の歩道で所要9時間、途中、標高差 500m の急坂には梯子があるという。かなり険しいルートだね。この難所を避けるため、旧三国街道は清津川の谷から芝原峠を越えて、魚野川の湯沢に出るルートになったのかも。

遊歩道入口標識の先で、鶏が二羽放し飼いにされていて、道の反対側には、山羊が2匹繋がれていた。近くの農家が飼っているのだろう。

国道17号の旧道であろう道を上り、10:57 芝原峠を越えた。清津川の谷から魚野川の谷へ。
峠のすぐ先に「荒戸城跡登口」と書かれた標識があった。上杉謙信の死後、後継者争いがあり、上杉景虎を支援する小田原北条の軍を阻止する目的で、上杉景勝が築かせた城だそうだ。

荒戸城跡に立ち寄ってみた。10分ほどで本丸跡に着いたら、60代くらいの男性がいた。城跡登口脇の駐車スペースに春日部ナンバーの車が駐められていたが、その車で来たのだろう。話しかけてみたら、前日まで、かぐらスキー場で春スキーをしていたとのこと。また、だいぶ前に法師温泉から三国峠を越えた時に、ヒルに血を吸われたことがあると言っていた。
私が先月28日に三国峠を越えた時はヒルには遭わなかったが、やはりあのルートにはヒルがいるんだんね。ヒルの出る時期より前でよかった。
また、新潟県側にはヒルはおらず、石畳が印象的だった。とも語っていた。

荒戸城跡から戻って国道の旧道を下りていったら、途中で山菜採りの二人連れとすれ違った。旧道から国道17号に出たあたりには一人で山菜採りをしている人がいた。

国道から県道351号に入り、湯沢の町中へ下りた。12:40 三国街道踏切を渡った。三国街道を高崎から歩いて、最初に上越線を渡る踏切となる。
12:50 越後湯沢駅前で、えび天ざるの昼食。三俣から 16,343歩,10.2km。

13:15 昼食後、ウォーク開始。県道351号との十字路に戻った。この十字路のあたりが三国街道19番目の旧宿場、湯沢宿上宿の中心だそうだ。湯沢宿は上宿と下宿にわかれ、半月交代で宿役を務めていたとのこと。下宿は現在の下湯沢公民館のあたりらしい。いったん国道17号に合流した後、右の道に入った。

上越線の踏切を越えた先、国道のトンネル入口下あたりから 1.5km ほど、データによってルートが異なっている。「GPScycling」のデータ,「街道歩きの旅」の地図では国道17号の東、右側を進むが、geocities にあった三国街道の記事を読むと、いったん国道を横切って山側に行き、再び国道を横切って坂を下っている。
geocities の記事によると、山側から魚野川まで下っていく1kmほどの坂は「赤坂の難所」といわれた急坂であったとのこと。この記事が正しそうなので、そのルートを選んだ。

14:00 国道を横切り、南魚沼郡湯沢町から南魚沼市に入った先、旧道は切通しで遮られていて、階段を下りた。さらにその先で国道をまた横切り、ビルの手前で右の下り坂に入った。旧街道と現国道が微妙に交叉している。下り坂はマンションの脇を通った。この坂が、geocities にあった三国街道の記事「赤坂の難所」だろう。川沿いの難所を避けて、山側に迂回するパターンだね。

 

赤坂の難所

 

坂を下る途中で難所らしき谷が見えた。「GPScycling」のデータ,「街道歩きの旅」の地図では難所の谷の方を通っていて、う~む・・。

「赤坂の難所」を終え、石打丸山スキー場前を通った。このスキー場では滑ったことがある。たしか1988年冬だったので、もう35年も前になる。

三国街道20番目の旧宿場、関宿を通り、14:50前、JR石打駅に到着。湯沢から 10,081歩,6.8km。
駅前には岡村貢という人物の銅像が建っていた。上越線の建設に尽力した人物だそうだ。

 


石打駅前の商店にあった昭和レトロ

 

また、駅の向いの商店には、急行「ゆけむり」のサボ(行先表示板)や、昭和の懐かしい看板があった。この店も昔は賑わっていたんだろうな。15:19 の電車で六日町へ戻った。