遠野・釜石街道歩き 6日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.4.20(木)
この日は標高差も傾斜も大きい難所、仙人峠を越える。予定距離は短めに設定した。釜石市内のビジホを出て 9:02 のJR釜石線気動車に乗り、足ヶ瀬駅へ。前回は近くのバス停で路線バスに乗って帰宅したので、この駅で乗降するのは初めてとなる。だがまあ、この駅に来ることはもう2度とないだろうな。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:45 足ヶ瀬駅から歩き開始。標高 473m は、釜石線の駅で一番高いそうだ。国道283号を東へ向かって川沿いに遡った。1時間ほどで、国道の仙人峠トンネル入口に到着。足ヶ瀬駅から 9,073歩。


ここから仙人峠を越える山道に入るが、遊歩道として整備されているそうだ。約5.5キロの遊歩道で、途中、標高887mの仙人峠を越える。遊歩道入口付近の標高は559mなので、320m超の標高差を上ることになる。峠までは2.1km、峠から陸中大橋駅までは3.4kmとのこと。

国道を挟んで遊歩道入口と反対の北側には、岩手軽便鉄道仙人峠駅跡の記念碑と解説板があった。1915(大正4)年に開通した軌間 762mm(2’6”) の軽便鉄道で、国有化後は旧国鉄最後の 762mm 路線となったそうだ。
1067mm に改軌されて釜石線として全通したのは1950(昭和25)年だそうで、それまでは峠の反対側の陸中大橋駅との間に貨物用のロープウェイがあったが、旅客は2時間半から3時間ほどかけ、仙人峠を歩いて越えていたそうである。
駕籠もあったと資料に書かれていたが、駕籠なんていう近世の物が戦後の昭和25年まであったんだな。かなりのぼったくり料金だったようだ。

熊除けの鈴を着け、11:05 自然歩道に入った。出だしは斜面を上るつづら折り。11:27 「入口から0.7km」の標識。ここでつづら折りがいったん終わり、尾根沿いに上るルートに。つづら折りよりは傾斜が楽になった。11:40 尾根脇の小さな山との間、小さな峠を通ったらいったん下りになり、左が山で右が沢という斜面を通るルートになった。右の斜面はかなり急で、滑落したら助からないだろう。ここまでのルートは、この急斜面の上に出るルートだったのだろう。

 

仙人峠

 

12:08 1時間ほどで仙人峠に着いた。入口から2.1kmという標識あり。ここで持参したおにぎりの昼食。遊歩道入口から 4,996歩。かつては仙人堂という神社があったらしい。

12:32 昼食後、歩き再開。標高887mの仙人峠から標高254mの陸中大橋駅へ向けて峠道を下り始めた。高さ634mの東京スカイツリーとほぼ同じ標高差 633m を 距離 3.4km で下ることになる。
一昨年10月03日、おくのほそ道歩きで木ノ芽峠(標高628m)から日本海に面した敦賀へ下りたが、水平距離を考えると、平均勾配はその時よりかなり大きいな。速歩で坂を下ると膝を痛めることがあるから、少しゆっくりくらいの感覚で下りたつもりだが、どうだったかな。

 

中仙人茶屋跡の水槽

 

13:15 中仙人茶屋跡に到着。陸中大橋と仙人峠の中間地点とのこと。旅人向けの石造りの水槽が残っていて、説明板によると長さ 630m の樋で引いてきた水を貯めていたそうだ。旅人向けの他、馬用の水飲み場もあったそうだ。

14:10 峠道を終えた。標高559m→(2.1km)→標高887m→(3.4km)→標高254m、昼食の25分ほどを除き、歩行時間2時間半余りで峠を越えたが、やはり疲れた。予想どおり下り坂はかなりきつかったし、もちろん上りも楽ではなかった。

 

国道283号の下を通り、陸中大橋駅前のバス停に到着。取りあえずここがこの日のゴール。

15:07 の路線バスを待つ間、数百mほど上流側にある大橋鉱山跡へ行ってみた。この鉱山で良質な鉄鉱石が産出されたことが釜石の運命を変えた。遠野から太平洋沿岸に出る主要街道は江戸時代には大槌街道だったのが、明治になって釜石街道に取って代わられたのも製鉄業の影響だろう。
私の母が高校生の頃、脚の悪い釜石出身の同級生がいて、米軍の艦砲射撃による怪我の後遺症だと語っていたそうだ。

 

鉱山社宅の写真

 

鉱山跡へ行く途中には、写真付きの解説板が何か所かあった。昭和14年と昭和58年の鉱山社宅,病院,購買会などの写真があった。かつてここはこういう鉱山社宅街だったんだね。購買会という催しもあったんだ。今では社宅跡は更地となり、桜の木が残っていた。その先には坑道の機関車などが置かれていた。

 

坑道の機関車

 

大橋バス停に戻り、この日の歩き終了。峠から 11,570歩。15:07 の路線バスで釜石市街のビジホへ戻った。