遠野・釜石街道歩き 最終7日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.4.21(金)
釜石市内のビジホをチェックアウトし、前日と同じ 9:02 のJR釜石線気動車に乗り、陸中大橋駅へ。前回は近くのバス停で路線バスに乗ってビジホへ戻ったので、この駅で乗降するのも初めてとなる。前回の足ヶ瀬駅と同じようなパターンだな。この駅に来ることも、これまた2度とないだろう。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:28 陸中大橋駅から歩き始め、国道283号を甲子川沿いに下った。10:35 砂子渡銭座跡という標柱があった。藩の貨幣を鋳造していたのかな。
11:00 前、尿意を催したので洞泉駅に行ってみたがトイレがなく、木陰で小用。その先で旧街道へ入る角をうっかり通り過ぎてしまった。

 

甲子町宿駅跡の水路

 

正午前に釜石の市街地に入り、甲子町宿駅跡という標柱があったので立ち寄った。近くには昔の水路もあった。
 

12:53 ラーメン店に入り昼食。陸中大橋駅から 20,825歩,13.9km。13:20 昼食後、歩き再開。東日本大震災での津波の浸水高を示す表示が多くなってきた。

釜石はリアス式海岸の入り江の奥の狭い平地の街である。製鉄産業華やかなりし頃は岩手県で2番目に人口の多い市だったそうだが、こんな狭い平地によくそれだけの人口がいたもんだ。
その後、新日鉄釜石製鉄所のラグビーなどで町おこしにも取り組んだが、時代の流れには抗えず、衰退一方。4年前のラグビーワールドカップの会場となったが、2試合の予定が台風による土砂流入で、1試合中止になったのは象徴的だった。

 

釜石港

 

製鉄所脇や駅前を通り、15:00 釜石港に着いた。釜石街道の終点がどこであるか明確な定義はないが、ここでゴールとしよう。昼食後は 9,852歩,6.6km。
帰宅後にスマホのGPSアプリの記録を見たら、この地点の elevation は46m と記録されていた。不正確だな。港の埠頭近くなのに標高46mもあるはずはない。GPSアプリの不具合かな。

港から釜石駅へ戻り、15:57 の JR釜石線の気動車に乗って帰宅。沿岸部は晴れていたのだが、途中の花巻付近まで来たら黄砂で霞んでいた。

参考文献,引用文献:
1.東北の街道:監修:渡辺信夫,無明舎出版,1998年初版
2.『大槌・釜石街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十四集』
(岩手県教育委員会 昭和56年)(ネットからダウンロード)