三国街道を歩く 5日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.3.20(月)
前日に続き、三国街道を歩いた。朝、渋川からJR上越線で後閑へ。後閑駅から路線バスで新治支所入口バス停へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:15 新治支所入口バス停から歩き始めた。すぐに信号機横に「布施宿」と書かれた交叉点を通過。三国街道10番目の旧宿場、布施宿の中心はこのあたりかな。

白狐沢(びゃっこさわ)川を越えた後、左の旧道に入り河岸段丘の坂を上り始めたら、鳩舎があった。伝書鳩用とか?

段丘を上る坂の途中はシェードで覆われていた。雪除けか落石除けか? たぶんスノーシェードだろう。鉄の屋根で覆われているので、GPSの電波は届きにくいだろう。後でGPSログを見たら、やはり誤差が大きかった。

河岸段丘を上った少し先で、道を間違えた。わかりにくい道ではないのだが、何でこんなところで? 道を間違える時はこんなもんかな。

 

藁の恐竜

 

9:57 須川宿一里塚の前を通過。その先に藁で作られた大きな恐竜が置かれていた。そのあたりから三国街道11番目の旧宿場、須川宿となる。旧須川宿では1980年代に、村おこしとして「たくみの里」プロジェクトが立ち上がり、宿場時代の景観を復元したり、新たに農家を移築改装したそうだ。観光地化された状況だが、電線の無い光景はいいねえ。

河岸段丘から下り、「あいのわたし」橋で赤谷川を右岸(南側)から左岸(北側)に渡った。昔は渡し舟だったらしい。そのまま進んだら工事通行止の標識。迂回するため坂を上っていったん国道17号に出た。国道から離れて坂を下ったら、途中に自然歩道の標識があった。その先で旧街道に合流したが、そのまたすぐ先は相俣ダムの壁で遮られていて、旧街道ルートは消滅する。
自然歩道を歩こうと考えていたが、ダムの補修工事で自然歩道も途中から通行止。仮設階段があり、上った後は仮設通路となってダム横の公園に着いた。ダム湖の名は赤谷湖。

 

相俣ダム 赤谷湖

 

旧三国街道はこのダム湖に水没していて、どのみち旧街道は歩けない。11:15 ダム湖畔の遊歩道へ進んだ。少し先のあたりが三国街道12番目の旧宿場、相俣宿だそうだ。旧宿場はダムの建設で水没したのかと思ったら、一部を除きそうではないらしい。

相俣宿は猿ヶ京関所の手前にあり、関所が閉まってから到着した旅人は相俣宿に宿泊したそうだ。名の由来は諸説あるらしいが、前九年の役で敗れた安倍頼時の残党に相俣龍助という者がいて、陸奥から落ちのびてこの地に開いた村が相俣宿になったとか。だとすると岩手とも関連あるな。

ダム湖畔沿いにJ字型の遊歩道を歩き、最後は階段を上って 11:48 国道に出た。国道に出る手前の坂は湖底に沈んだ生井という集落から上る坂で、生井坂と呼ばれるそうだ。


生井坂から国道に出た交叉点の反対側に、猿ヶ京関所跡と資料館がある。資料館へ行ったら、12月~3月は土日祝日のみ開館と表示されていた。あれま休館か。残念。4月~11月は土日祝日の他、月火も開けるそうだが、それでも水木金は閉館ということになる。ずいぶん休んでばかりの資料館だな。

国道17号を西へ進み、12:10 猿ヶ京バス停の先のカーブで、左の旧道に入った。その少し先のあたりが三国街道13番目の旧宿場、猿ヶ京宿の中心らしい。現在のホテル・旅館街とは離れているね。また、猿ヶ京宿に本陣はなかったそうである。

民宿通りを過ぎ、12:28「永井宿 2.7km」の標識に着いた。中部北陸自然歩道の標識で、旧三国街道のルートとのこと。自然歩道に入ってほどなく、耳だれ地蔵の前を通過したところから急坂を下って上ることになる。12:37 沢に架かる猿沢橋を渡った。しっかりした橋だった。

橋からは急な上りとなる。国土地理院の地図では上りの途中で道が途切れて終わっているが、自然歩道は続いている。12:43 崩落箇所があった。崩落幅は狭いが、かなり急で落差も数十mはありそうだ。落ちたら終わりだろう。


急な坂が終わったら自然歩道の標識と解説板があり、若山牧水の紀行文の一節が書かれていた。牧水がこの先の法師温泉に一泊して猿ヶ京に戻る途中、越後瞽女の一行とすれ違ったそうだ。その先が三国街道14番目の旧宿場、吹路(ふくろ)宿。南側の谷に面した斜面にへばりついたような集落である。ガソリンスタンドのところで旧道に入った。


みなかみ町営バス法師線「永井宿郷土館前」バス停で、県道から右に入った。13:40 永井宿郷土館に着いたら、12月1日から4月30日まで休館と書かれていた。5か月も休館? コロナの影響?

13:45 永井宿本陣跡に着いた。三国街道15番目の旧宿場、永井宿の中心はこのあたりか。昭和初期に撮影された本陣の建物の写真が掲示されていた。与謝野晶子が1931(昭和6)年にここを訪れたそうだ。「訪ねたる 永井本陣 戸を開き 明かり呼べば 通う秋風」
13:51 永井宿の外れで引き返した。とりあえず本日の旧街道歩きの終了地点としよう。引き返してもう一度本陣跡へ。歩き初めから 26,013歩,15.8km。

本陣跡から永井宿郷土館まで戻り、ここでバス時間待ち。若山牧水が法師温泉に一泊した時に読んだ歌碑があった。

 

「山かげは 日暮はやきに 学校の まだ終わらぬか 本読む声す」


永井郷土館入口バス停へ行き、定刻 14:47 発のみなかみ町営バスで猿ヶ京へ戻った。猿ヶ京バス停からは関越交通の路線バスに乗り継ぐが、乗り継ぎ時間が30分ほどあったので、周辺を少し歩いてみたら北側の山に残雪が見えた。

三国街道歩き、次回は標高1,244mの三国峠を越えることになる。今冬は5年ぶりの大雪だったので、さぞかし積っただろうな。出かける時期は慎重に判断しなければならない。

15:33 の沼田行き路線バスに乗った。路線バスから他の路線バスへの乗り継ぎは今までに何回かあるが、旧街道歩きやウォーキングでは初めてのような気がする。
後閑駅での電車への乗り継ぎ時間は50分。接続が悪いな。前日も後閑でバスから電車へ乗り継いだが、前日の乗りぎ時間は9分だった。
後閑駅の待合室の天井付近には「一村一寺一山絵巻」という絵があった。上越線の電車で渋川へ戻った。