三国街道を歩く 4日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

前回(3日目)は中山本宿で旧街道歩きを終え、関越交通の路線バスでJR沼田駅へ出て、上越線で渋川に戻った。4日目は中山本宿から歩き始めることになるが、中山へはJR吾妻線の中之条からも路線バスがある。時間も距離も沼田からの方が近いのだが、同じバス路線で往復するより別路線の方が楽しみがある。

23.3.19(日)
という訳でこの日の朝、渋川 7:52 の吾妻線に乗ったら、次の金島駅(前回の歩き始め)で車内アナウンス。上り電車が遅れているのでしばらく待つとのこと。単線だからしかたがない。5分遅れで発車。中之条で電車からバスへの接続時間は6分。ありゃ。ぎりぎりになるかも。
電車が中之条に着いたのは8:22。1番線到着で跨線橋を渡る必要はなく、すぐに改札を出られた。中之条駅前定刻 8:25 の路線バスへ行った。2分の乗り継ぎ時間で間に合ったが、実際にバスが発車したのは8:30。まあ、こんなもんだろう。そう焦る必要はなし。
高山運輸倉庫(株)の路線バスが中山本宿バス停に着いたのはほぼ定刻の 8:56。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:58 中山本宿バス停から国道145号を西に向けて歩き始めた。すぐに右の旧道へ。国道との分岐点に文化7年の道標があり、「此方川田村ヲ経テ沼田道」と刻まれていた。

 

浅間山かな?

 

その少し先で、左に雪山が見えた。浅間山かな? 浅間山にしては少し近いような気もする。浅間山は見る方向によって形がけっこう違うので、浅間山かどうか自信はない。

三国街道本道と近道の合流点を過ぎ、そのすぐ先で県道36号に合流。前回(3日前)に越えた中山峠が南に見えた。合流地点の歩道に木のガードレールがあり、霜が降りていた。

9:28「街道一の清水」前を通過。馬糞岩とも呼ばれるそうだ。水はほとんどなかった。9:48 県道の赤根トンネル手前で左の道に入った。県道の旧道だろう。


9:55 県道の旧道と分かれる地点に、林道入口の標識。林道だが舗装はされていてFF車でも難なく通れそう。念のため熊除けの鈴を着けて林道へ。
10:02 鳥居があり、福守石というのが祀られていた。別名は摩羅石で、隣には真ん中に縦の凹みがある石。

 

福守石。女陰と男根に似た自然石

 

2つとも自然石だが、男根と女陰に似ているため、並べて福守石と名付けたんだろう。安産や子孫繁栄の福守石ということかな。ただ、元は県道のトンネル入口付近にあり、トンネル建設時にここへ移設したとのこと。
その先に「塩原太助馬つなぎの松」というのがあった。塩原太助がどういう人物か詳しくは判らないが、この日の午後、塩原太助記念公園に立ち寄った。
10:09 金比羅峠を通過。ここで高山村からみなかみ町に入る。林道の日陰には雪が残っていた。今朝の高山村の最低気温はマイナス1℃とのことだった。

この峠から中部北陸自然歩道に入り、峠を下る。途中で金刀毘羅宮に立ち寄った。1853(嘉永6)年に建てられた石宮だそうで、地図にも記載されているが、予想より小さかった。金刀毘羅宮のあたりを不動峠というそうで、そこからは下り坂が少し急になった。
10:32 自然歩道から林道に出た。中部北陸自然歩道の標識があるので、自然歩道はここに出るのが正しいルートなのだろうが、国土地理院の地図によると、山道はもう少し北まで続いている。


舗装されてはいるが、けっこう急な坂を下り、10:47 旧道入口に着いた。ここで林道から右の山道となる。
geocities にあった記事には「左にはいっていく古道がのこっている。すこし入って様子をうかがったところ歩いていけそうだが、この先塚原にでるあたりで道はなくなっているとのことだったので、古道探索は断念した。その結果街道はおおきく迂回することになる。」と書かれていた。

ところがその山道に少し入ってみたら通れそうだった。駄目なら途中で引き返すつもりで進んでみた。途中、倒木が多いと感じたが、問題なく通れる山道だった。草ぼうぼうでもなかった。結局、その山道を通り、11:15 溜池の横に出た。溜池の堤防に沿った道はコンクリート舗装したてで、車両通行止め。コンクリートは固まったばかりのようで、真っ白に近かった。日曜のせいか工事作業はなし。
溜池のすぐ先が三国街道7番目の旧宿場、塚原宿である。このあたりは古墳が多いので「塚原」という名だとか。

塚原の北で県道36号を越え、赤谷川を渡る「弁天の渡し」へ向かった。河岸段丘を下り、行けるところまで行ってみたが、桃野発電所の前で道は終わり。標柱や案内板はないから渡しの場所はわからない。
中山本宿バス停から 8.3km。今は渡し船などないから、近くの橋に迂回せねばならない。上流側の橋は1kmほど、下流側はそれ以上離れている。どちらも川沿いに進むのは無理そうで、迂回距離は4kmを超えそうだ。桃野発電所は水力発電所で立入禁止だが、後ろにある導水管の脇は立入禁止ではなかった。

 

桃野発電所

 

河岸段丘を一気に下っている導水管。迂回路を短くするため、導水管の脇の斜面を上ろうかとも考え、少し近づいて見たらけっこう急そうだったので、来た道を引き返して迂回することにした。

河岸段丘を上って引き返し、塚原の交叉点から県道36号を西へ歩いた。12:09 桑畑があった。近くに養蚕農家があるのだろう。その先、右側に三国峠方面の山が見えた。まだ真っ白で、旧街道の峠にもまだ雪があるだろうな。県道の橋を渡って国道17号に合流したあたりが、三国街道8番目の旧宿場、下新田宿の中心らしい。

12:40 塩原太助公園で持参したおにぎりの昼食。午前に越えた金比羅峠の手前に「塩原太助馬つなぎの松」というのがあったが、その塩原太助の記念公園で、資料館や渋沢栄一揮毫の石碑もあるという。どういう人物かな。中山本宿バス停から塩原太助公園まで、20,990歩。

昼食後、弁天の渡し北側へ。13:05 弁天の渡し北側から対岸に送電線が見えた。1時間少し前に行った桃野水力発電所から始まる送電線のようだ。発電所から対岸のこの地点まで 4.8km。

弁天の渡し跡と思われる箇所を迂回し終えたので、渡し北側から旧街道を西へ。国道17号を横切り、廻戸(まわっと)の集落を通過し、さっき立ち寄った塩原太助記念公園の前を通過。


ここから越後の長岡までは、概ね国道17号沿いを進むことになる。JR上越線・新幹線や関越自動車道は水上を通って北上するが、旧三国街道や国道17号線は月夜野付近で西に向かい、三国峠を越える。
関越トンネル開通で、自動車輸送の主力ルートを関越自動車道に譲った訳だが、幹線国道には違いないので、食事を取れる場所やコンビニは多いだろう。

三国街道9番目の旧宿場、今宿を通過。下新田宿-今宿-布施宿と、宿場間の距離が短いな。バス停の間隔も短めなので、路線バスの時刻を意識しながら、バスルート沿いでバスが来る直前の行けるとこまで行こうと歩き、13:47 新治支所入口バス停で歩き終了。弁天の渡し北側から 3.1km。
定刻 13:59 の路線バスに乗ってJR上越線の後閑駅へ。後閑駅での乗降は初めてだな。電車で渋川のビジホに戻った。