三国街道へ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

児玉往還を歩いて高崎に着いたので、計画どおり高崎から続けて三国街道を歩いてみることにした。主要な旧街道なので、書籍も出版されているかと思ったが、多くはなかった。ネット上の情報もいくつか見つかったが、ルート情報が少しずつ異なっている。

a.「GPSCycling」「三国街道」
 「児玉往還」のデータと同様、歩いた体験談はなく地図データのみで、地図もやや大雑把。
b.「街道歩きの旅」「三国街道」
 児玉往還を歩いた時にデータを入手した「街道歩き旅」とは別のサイト。
 地図は全区間揃ってはおらず、また画像データのため、緯度経度データはダウンロードできず。
c.geocities の「いこいの広場」だか「日本紀行」というサイトに、旧街道を多数歩いた体験談があり、三国街道を歩いた時の記事があった。
 geocities のサービス終了で既に閲覧できなくなっているが、この記事をダウンロードしていたので、これを利用できる。地図は掲載されていないが、沿道の見どころや解説が街道歩きの出版物並みか、それ以上に豊富で、これを利用しない手はない。
 なお、geocities のサイトにあった記事をアーカイブしているサイトもあるらしいが、残念ながらこの記事は見つけられなかった。

いずれにせよ、事前にこれらの情報を見比べて歩くルートを決めざるを得ないようだ。また、現地に行ってから得られるパンフレットや観光案内の地図なども重要だろう。

23.3.12(日)

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:12 高崎駅前のビジホからこの日の旧街道歩きを開始。ビジホの前の道が旧中山道。中山道ウォークで本庄駅から群馬八幡駅まで歩いた 2009年3月15日に、この道を歩いている。ただ、14年も前となると、ほとんど記憶がないなあ。

9:35 中山道との追分、本町1丁目の交叉点で右折して三国街道に入った。県道25号を北上。ここから渋川付近までの三国街道は概ね県道25号沿いで、JR上越線と1~2kmほど離れている。が、県道25号を関越交通の路線バス高崎線(高崎⇔渋川)が通っていて、平日日中は1時間に1本ほどある。この日は日曜のため休日ダイヤだが、帰りはこの路線バス利用が便利だろう。

9:50 JR信越本線の三国街道踏切を越えた。北陸新幹線の延長に伴って、信越本線は高崎~横川,篠ノ井~長野,直江津~新潟と、現在では3区間に分割されている。路線名を見直す計画はないのかな。費用もかかるし、利用者も混乱するだろうからやる意味はないのかな。

10:00 渋川街道との追分を通過。三国街道と別に渋川街道があるんだな。五叉路左の旧道に入った。すぐに国道17号のバイパスを横切って、県道28号に出た。県道25号から県道28号までの旧道は数百mだけ。県道28号の旧道だろうな。

 

右越後××道

 

10:20 県道28号の五叉路に「右越後」と彫られた道標が立っていた。ここで右折するのが旧街道だが、左の方に東方正教会系の十字架が見えた。
3年前の2020年9月21日に、奥州街道の金成宿でハリストス正教会を見ときも、十字架の形がカトリックやプロテスタントのとは違うので気づいたが、ここもやはり東方正教会系だろう。
行ってみたら、日曜だったためだろう、合唱しているのが聞こえてきた。カトリックとは曲や歌詞も違うのかな? 後で検索したら、ハリストス正教会とのこと。

東方正教会といえば、最大のロシア正教会よ! ウクライナ停戦を呼びかけるくらいの気骨はないのかい?

10:25 新幹線の交叉地点の高架下を通った。上越新幹線と北陸新幹線が分かれた直後で、北陸の上り線が上越の上下線を越える立体交差の地点である。両新幹線に乗った時にこの交叉地点を何度も見たが、下から見上げることになるとは思わなかったな。高架下には庚申塔があった。

10:35 「大八衢神」と刻まれた石碑があった。後で読み方を検索したら「八衢」は「やちまた」と読むそうだ。

県道10号を横切った先のルートは、「GPSCycling」と「街道歩きの旅」とで異なっている。geocities にあった三国街道の記事を読むと、「街道歩きの旅」の方と一致するようなので、そちらのルート、三ツ寺公園の東側を通るルートを進むことにした。
11:25 三ツ寺公園に立ち寄り、トイレを借りた。「GPSCycling」のルートはこの公園の西側を通っている。

12:30 三国街道最初の旧宿場、金古宿を通過。12:50 高崎市から前橋市に入った。今の地名は前橋市清野町だが、昔は「野良犬」という変わった名前で、渋川宿の助郷だったとか。
このあたりは蔵が多い。榛名山からのからっ風対策のため、敷地の西側に蔵を置き、主屋はその風下に置いたため、街道東側には蔵が並び、街道西側には母屋が面していて、奥の蔵は見えないのだそうだ。

13:25 イタリアンレストランに入って昼食。高崎のビジホから 23,906 歩,15.3km。14:05 昼食後、ウォーク再開。すぐ先で南下交叉点に着いた。


この南下交叉点から渋川までのルートは、「GPSCycling」と「街道歩きの旅」とで、7km に亘り異なっている。geocities にあった記事にも、この南下交叉点を左折と書かれていたので、左のルートを進むことにした。交叉点の信号の標識によると「南下」は「みなみしも」と読むそうだ。

14:33 伊香保街道(県道15号)との交叉点を通過。西に1kmほどののあたりが野田宿らしいが、野田宿は三国街道ではなく、伊香保街道の宿場とのこと。野田宿に寄り道してみた。
トイレにも行きたかったので、野田宿の西側を通る県道25号バイパスまで行ってみたら、Aコープがあったのでそこでトイレを借りた。
野田宿には宿場や伊香保街道の解説などが多数あったが、「水沢街道野田宿」と書かれた物もあった。伊香保街道の別名かな?


三国街道に戻り、再び同街道を北上。15:12 すぐにT字路にぶつかった。左右どちらの道もすぐに曲線を描いて北上する。「街道歩きの旅」のルートではここを左折、西側の道なのだが、地図を見ると、右折する右側の道に一里塚がある。
「GPSCycling」,「街道歩きの旅」どちらのルートもこの一里塚から外れているので、どちらも正確ではないだろう。geocities にあった三国街道の記事には、この一里塚のことが記載されていたので、記事の文章からルートを推定したが、私のこの推定ルートが正しいか否かの確証はない。
15:17 その「野田の一里塚」に到着。高崎から4里。三国街道歩きで最初に見た一里塚である。

一里塚の後、県道26号に出たところで右折。八木原駅方面へ。すぐに小倉四ツ角バス停のそばを通った。当初の予定ではこのバス停で高崎駅行き路線バスに乗るつもりだったが、トイレに行きたかったので、八木原駅まで行くことにした。
15:50 JR八木原駅に到着。ここでこの日のウォーク終了。昼食後は 9,399歩,6.0km。16:35 の上越線の電車で高崎に戻った。