児玉往還歩き 3日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.3.09(木)

坂戸 7:14 の電車で小川町へ。

 

小川町駅の卒業祝いメッセージ

 

小川町駅には、駅員手作りの卒業お祝いメッセージが掲げられていた。卒業式のシーズンだね。ただ、いずれは日本も秋入学,夏休み前卒業に移行しなきゃならないぞ。

 

8:05 の熊谷駅行き路線バスで奈良梨へ。奈良梨バス停へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:22 奈良梨バス停からこの日のウォーク開始。前々日立ち寄ったバス停近くのカフェの名は何だったっけと思い、店の前まで行ってみたが、書かれていなかった。前々日立ち寄った八和田神社参道の途中で左折。

 

8:39 犬に吠えられた。旧街道歩きやウォーキングでは、途中で何度も犬に吠えられることが多い。今回の児玉往還歩きでは前々回,前回とも犬には一度も吠えられず、犬を飼う人が少ないのかな?  とか思っていたが、3日目にして初めて吠えられた。

 

9:05 旧道が失われている区間に差しかかった。「街道歩き旅」によると、そのあたりに塚があり、一里塚と推定しているが、どれが塚かわからなかった。新道を通った後、旧道跡の北側に行ってみたら、通って通れないことはなさそうだった。

 

旧道から戻ったあたりに今市延命地蔵がある。地蔵堂の前に、鎌倉街道の解説板があった。このあたりは、児玉往還と鎌倉街道が重複しているらしい。その先で、児玉街道6番目、日本橋から14番目の旧宿場、今市宿を通過。寛政二年と刻まれた百万遍碑があった。

 

10:06 寄居町立男衾(おぶすま)中学校裏のフェンスに「祝 全国駅伝出場」の垂れ幕があり、写真を撮ったら、向いの整骨院に車で来た人が話しかけてきた。男衾中学が男子駅伝の強豪校であること、柔道も強くて、目の前の整骨院の整骨師が柔道部の顧問だった。とか説明された。

そんなに興味があった訳ではなく、何の気なしに垂れ幕の写真を撮っただけだったんだがね。

 

男衾というと、映画「鬼畜」を連想するなあ。緒形拳と岩下志麻が夫婦を演じる内容で、82年秋に合宿制の自動車運転免許受講の時、宿泊先のテレビで他の受講生と一緒に見た記憶がある。

映画の冒頭で、子供二人が母親に連れられて男衾駅に入るシーンがあった。その男衾駅はここから1.5kmほど西の方にあるらしい。検索したら、1978(昭和53)年の映画だそうだ。

 

10:30 児玉街道7番目、日本橋から15番目の旧宿場、赤浜宿の中心を通過。赤浜宿の先で荒川の橋を渡るが、現在の県道296号の花園橋は300mほど下流にあり、1kmほど迂回せねばならない。赤浜の渡し跡とかがないか、河原へ行ってみたが、それらしきものはなかった。河原の薮陰で小用。

 

荒川の北側、左岸沿いの道を歩いていたら、川の中にギザギザの岩が見えた。この上流に長瀞の川下りという観光スポットがあり、36年前の1987年に舟に乗ったことがある。一緒に行ったのは3月04日の記事に書いたYHのメンバーだった。長瀞の川下りの途中に岩畳があるが、ここの岩はそれと似ているように見えた。

長瀞の岩畳は中央構造線によってできたものらしいが、中央構造線はその東でこのあたりを通っているのかな。昼前、児玉街道8番目、日本橋から16番目の旧宿場、小前田宿を通過。

 

12:44 「脇往還川越道用土邑」という石碑前を通過。そう、この道は鎌倉街道でもあるが、中山道の脇往還でもある。

13:35 雷電神社という神社の裏で小用。その先で児玉街道9番目、日本橋から17番目の旧宿場、広木宿を通過。14:36 広木の一里塚跡の手前に「歴史の道254号」という解説板があり、それを見に近づいたら、植物の種がズボンや靴にたくさん付いた。後で検索したら、センダングサという花の種だそうだ。

 

ガリガリ君の工場

 

広木の一里塚跡の先にある工場の壁に、ガリガリ君の看板が見えた。ガリガリ君の製造工場で、工場内にはガリガリ君の像もあるとか。

 

14:52 小山川の土手に着いた。「街道歩き旅」記事にあったとおり、水のない枯れ川で、歩いて通れた。河原でセンダングサの種を取り払った。また、このあたりの小山川の堤防は「こだまの千本桜」として有名らしい。

児玉街道10番目、日本橋から18番目の旧宿場、児玉宿を通過。児玉往還の名はこの児玉宿に由来するのだろう。JR児玉駅へ向かった。

 

発車まで40分ほどあったので、駅手前の「競進社模範蚕室」を見学。養蚕技術の改良に生涯を尽くした木村九蔵という人物が、明治27年に建設した蚕室で、「一派温暖育」という方法を考案したという。

世界遺産に登録される前の富岡製糸工場を見学したことがあるが、それ以外にも養蚕の史跡は数多くあるんだな。日本の近代工業化は繊維産業から始まり、それを支えたのが養蚕なのは間違いない。

 

16:00 JR八高線児玉駅に到着。この日のウォーク終了。この日は結局昼食を取らずに歩いた。奈良梨から41,010歩,25.9km。16:16 の気動車に乗った。気動車に乗るのは昨年5月17日の北上線以来となる。越生で東武越生線に乗り換え。こちらは電車。坂戸のビジホに戻った。