おくのほそ道の後、伊勢へ。5日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.10.11(火)
前々日、桑名駅前のビジホをチェックアウトして、松阪駅裏のビジホにチェックインしていた。桑名から松阪へ移動したので、続きのウォークでは松阪駅から開始地点へ行くことになる。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で


9:20 津新町駅からこの日のウォーク開始。

10:12 明治天皇津八幡町御小休所の石碑前を通過。そのすぐ先の枡形に「縣社八幡神社」の石碑があった。戦後の政教分離策であろう「縣社」の部分を埋めていたモルタルか何かは、ほぼ剥がれていた。石碑を見ていたら、こちらに向かって歩いて来た70代くらいの男性から「何しゃ?」と言われた。何度か視線が合ったのが気に入らなかったのかな。

 

西日本のポリタンクは緑がかった水色

 

10:50 灯油などを入れるポリタンクが数個捨てられていた。色はやや緑がかった水色。西日本文化圏だね。東日本では赤である。

 

小野古江の渡し跡

 

明治天皇島貫御小休所の先で、雲出川を渡る小野古江の渡し跡付近に到着。現在はその西側に県道の橋が架けられていて、橋の両側には常夜燈がある。森下惠介書「伊勢旧街道を歩く」(東方出版)によると、どちらも渡し場口にあったものを現在地へ移設したもので、北側の常夜燈は1834(天保5)年のもの、南側のは1800(寛政12)年だが、1944年の東南海地震で倒壊し、再建されたものだそうだ。

小野古江の渡しのすぐ先に、松浦武四郎生誕地があった。樺太・千島を探検した人物で、「北海道」の名付け親でもあるという。

常夜燈や道標を何か所も通り過ぎ、13時過ぎ、三度川の橋を渡ったところで、六軒追分に到着。名張方面から青山峠を越えてくる青越伊勢別街道とここで合流。追分の道標には「大和七在所順道」「やまとめぐり加うや道」「い加こへ追分」「右いせみち」と刻まれているそうだ。

 

7人のこびと

 

13:40 白雪姫7人のこびとと思われる石像があった。何だろう。

松阪の中心市街に差しかかったあたり、工事通行止区間があった。車は通行止めだが、歩行者は通れるだろうと思ったら、歩行者も迂回するよう言われた。

 

伊勢商人 三井家


通行止区間が終わったところが阪内川で、昔の松阪大橋の絵、その先、本居宣長や三井の絵があった。三井物産はここ松阪の伊勢商人がルーツとのこと。

 

小津安二郎

 

旧松阪宿の中心付近を通過し、14:37 小津安二郎が書かれた看板があった。検索したところ、小津安二郎は東京生まれだが、幼少期を松阪で過ごしたそうだ。

 

冷凍ラーメン自販機

 

14:40 冷凍ラーメンの自販機があった。昔、うどんの自販機があって、加熱されて食べられる状態で出て来たが、この自販機から出てくるのは冷凍ラーメンで、すぐに食べられる訳ではない。自販機にする必要はないだろと思って検索したら、全国に何か所かあるようだ。そんな需要があるのかな。
うどんの自販機は1~2回利用してその場で食べたことがあるが、裏側はゴキブリの巣だよ。とか聞き、それ以降は利用しなくなった。

15:40 「従是外宮四里」書かれた道標。伊勢神宮外宮まであと4里。櫛田宿の中心付近で左へ折れ、16:20 櫛田駅でこの日のウォーク終了。津新町駅から 26.1km,40,245歩。近鉄で松阪のビジホに戻った。