おくのほそ道の後、伊勢へ | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

昨年秋、おくのほそ道のルートを歩き終えた。芭蕉と曾良はおくのほそ道を歩き終えたすぐ後、伊勢神宮への旅に出ている。そのうち私も伊勢神宮へ行ってみようかなとも思っていたが、南の方に行く用事ができたので、大垣から伊勢神宮まで歩いてみることにした。

22.10.04(火)
桑名駅前のビジホを出て、8:09 発の養老鉄道で大垣へ。養老鉄道、昔は近鉄養老線だったな。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:30 大垣駅からウォーク開始。南下してすぐに大垣城の堀に着いた。堀を反時計回りに城の西側へ。西側は水門川で、水路と堀を兼ねたもののようだ。川沿いに南下。
9:50 市役所の向いを通ったあたりから、ヒノキのいい香りがしてきた。何だろうと思ったら、枡の工場があった。
 

「奥の細道むすびの地記念館」前を通過。おくのほそ道を完歩し、ここに着いたのは昨年10月21日だった。記念館の前に昔の船着き場らしき場所がある。芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」なので、大垣からは揖斐川を下っている。ここでその船に乗ったのかな。今はそんな川船はないだろうから、水門川の水路沿いに歩くことにした。

 

水門川のヒガンバナ

 

10:08 新幹線の高架下を通るあたり、水門川の堤防は、少し枯れ始めてはいたが、ヒガンバナで真っ赤だった。
10:48 国道258を越えるあたりに「大垣古美術名店街」という朽ちた看板が見えた。古美術商が何軒もあったのかな。

 

ポルトガル語でも書かれている

 

その先、堤防にごみ捨て禁止の看板があり、日本語とポルトガル語で書かれていた。自動車関連産業ではブラジル出身者が多く働いているらしいので、ポルトガル語でも書いてあるのだろう。
名神高速の下をくぐった後、揖斐川との合流地点近くに差しかかった。この辺りは洪水のメッカ美濃三川。やはり堤防を長く長くして、合流地点をなるべく下流側にしている。長年の治水の賜物だね。

11:50 揖斐川に架かる県道30号の橋を渡った。ここからしばらくは揖斐川左岸(東側)の県道232号を歩くことになる。県道232号は堤防の上の歩道のない、やや狭い道で、交通量が多く、トラックやトレーラーも頻繁に通り、歩くのは要注意だった。

 

今尾渡し

 

13:20 今尾渡し道標というところがあり、立ち寄った。このあたりに渡し船があったようだ。ただこのあたりは河川改修で流路が大きく変わっているので、位置は離れているかも。

西小島水位観測所を過ぎた 14:40 頃、岐阜県警のパトカーが通りかかり、この堤防の上は危険だから、堤防から降りるよう言われた。それもスピーカで言われたので、周りの車にも聞こえていて、ちょっと恥ずかしい。スピーカを使わないで、肉声で話して欲しいな。
確かに歩道のない道で、トラックやトレーラーも頻繁に通るので、歩くのは少し危険で要注意だった。おくのほそ道ウォークで歩いた、親不知の国道8号トンネル・落石除けよりはましかな。

県道で、歩行者通行禁止でも自動車専用道路でもないので、歩くなという法的根拠はないだろう。でもまあ、仕方なく降りて、堤防の下を歩いた。それもまた一興さ。

15:25 揖斐川に架かる県道の海津橋を渡り、右岸(西側)へ。15:40 養老鉄道石津駅でこの日のウォーク終了。大垣駅から 24.9km,37,737歩。この日は昼食を取るタイミングを逸し、結局、昼食なしで歩いた。石津で 15:54 の養老鉄道に乗り、桑名のビジホに戻った。