22.6.20(月)
前日夜は雨が降り、この日の降水確率はAM20%,PM10%ほど。ただ、朝はどんより曇っていた。
前日のウォーク後、左足裏の土踏まずが痛く、湿布薬を貼って寝た。朝にはだいぶ良くなったが、まだ少し痛いのが気になる。少し迷ったが、歩くことに決めた。大館 8:41 の電車で前山駅へ。
↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
9:06 前山駅からこの日のウォーク開始。ほどなく、46番目の旧宿場、前山宿を通過。交通安全の案山子があった。前山宿を過ぎた後、いったん陽が射し始めたが、五義民首切塚のあたりで雨が少しパラパラ。ただ、その後は晴れてきた。
10:00 過ぎ、47番目の旧宿場、坊沢宿を通過。10:20 坊沢一里塚跡を通過。
11:10 48番目の旧宿場、綴子(つづれこ)宿に差しかかった。綴子神社に立ち寄ったら、内館文庫跡の解説板があった。江戸時代の庶民教育に関する資料が残っているそうだ。
その先で明治天皇御巡幸御小憩所跡,肝煎役所・駅馬役所跡を通過し、羽州街道の道標のある所を東へ折れ、裏山のような所の未舗装路に入った。オンロード四駆なら難なく通れるだろう。FF車だとぎりぎりかな。
11:30 綴子小学校の裏のあたりで、いったん未舗装の旧街道から離れ、国道7号沿いにある道の駅「たかのす大太鼓の館」へ。11:40 道の駅で昼食。前山駅から 14,828歩,9.5km。
綴子地区と最寄りのJR駅鷹巣は4kmほど離れているが、鷹ノ巣駅⇔大館駅の路線バスが綴子を通る。また、この路線バスは綴子から先の羽州街道のルートに概ね沿っていて、平日18往復,土休日11往復あるので、街道ウォーク中に不測の事態があった場合に利用できそうだ。
12:15 昼食を食べ終わり椅子から立とうとしたら、左足裏の土踏まずがけっこう痛かった。ここで街道歩きを中断して、大館行きの路線バスに乗ろうかなとも思ったが、少し歩いたら痛みが和らいだので、続行することにした。
ウォーク再開。道の駅から国道7号を横切って、綴子小学校裏を通る未舗装の旧街道に戻った。12:35 大堤一里塚跡を通過。じきに舗装路に出た。
県道200号と糠沢川の橋を越えた後、山に入って、草ぼうぼうまでではないが、草だらけの道になった。が、すぐに両側が産廃処理場となっている所に出た。こういう処理場は、人家から離れたところにあることが多いね。
そのまま山の道を進んだら、どうも道を間違えたと気づき、引き返したが、その頃から左足土踏まずの痛みが強くなってきた。
引き返して 13:30 産廃処理場の間を通って国道7号に出た。地図にも載っている道だが、処理場の敷地内のような雰囲気だった。公道か私道かはわからない。
産廃処理場のすぐ先で北秋田市から大館市に入った後、左に折れて長坂に入った。名前のとおり、急ではないが長い坂である。13:56 長坂一里塚跡を通過。
長坂を上ったら台地のようなところに出た。その先に早口小学校があり、校門に「羽州街道に門を置く学校」と書かれた碑があった。
早口川の橋を渡り、14:43 早口駅に到着。出発時はもう少し先まで歩くつもりだったが、この頃には左足裏の土踏まずの痛みが強くなっていたので断念。ここでこの日のウォーク終了とすることにした。昼食後は 14,062歩,8.8km。前山駅から歩き始めて20km弱だが、土踏まずの痛さを考え、ここで終了とした。
この早口駅、42年前の高校1年生の時、乗っていた急行列車がこの駅に停車した際、駅の放送が「は~~や~~ぐ~~ち~~」とアナウンスし、思わず吹き出してしまったことを思い出す。
15:15 の電車に乗って大館に戻った。電車のシートから立ち上がるとき、左土踏まずにかなりの痛みを感じたが、ビジホまで歩いて帰った。
部屋でネット検索してみたところ、立ち上がるときに片方だけの土踏まずに痛みを感じるのは、足底筋膜炎とか、足底腱膜炎とかのようだ。
こういうことは初めてだな。ウォーキングに履く靴を買い換え、この日は新しい靴での4日目だった。靴が合わなかったのかな。
22.6.21(火)
この日の天気は晴れだった。足が痛くなければ羽州街道の続きを歩いたところだが、さすがにそれは止めて、帰宅することにした。
22.6.22(水)
朝起きて立ち上がる時、やはりまだ左土踏まずが痛かったので病院へ行った。病名は言われなかったが、湿布薬を処方された。
22.6.27(月)
ブログに日々の出来事を書く時は、なるべく早くアップするようにしているが、足が痛かったせいもあり、歩いてから1週間も経ってからの記事アップとなった。
この日、関東は梅雨明け宣言。6月の宣言は初めてとか。北東北はしばらく雨が続きそうだが、梅雨明け宣言が近いかも。左足土踏まずがまだ少し痛いし、羽州街道ウォークの続きは秋にするかな。