羽州街道ウォーク20日目 飛根→前山 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.6.18(土)
朝、翌日の天気予報を見て、羽州街道の続きを歩こうと決めた。ネットでビジホも予約できたので車で大館へ。大館駅前のビジホにチェックイン。
前回(6月8,9)と前々回(5月29,30)は秋田駅前のビジホから歩きに行ったが、今回は大館が拠点。

22.6.19(日)
天気予報は悪くなった。午前中の降水確率はテレビで60%,ネットでは40%。あれまあ。ただ、降っても雨は小降りらしい。外はどんより曇っていたが、降ってはいなかった。かなり迷ったが、歩くことに決めた。大館 8:41 の電車で富根駅へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で


9:20 富根駅からこの日のウォーク開始。9:42 一里塚跡で2人の作業員が草刈り作業をしていた。
「羽州街道を歩いてんの? ちょうどいい時に来たな。ぼうぼうだったよ。」
一里塚跡には句碑があり、1つには芭蕉の句が刻まれていたが、芭蕉とはどういう関連があるのかな。
10:00 烏峠を越えた。このあたりも米代川の湿地帯を避けて山を通るルートだったのかな。

 

 

10:30 製材工場が何軒かあった。日本三美林、秋田杉の製材工場かな。壁に昔の切り出し作業の絵が描かれていた工場があった。
10:55 切石の渡し跡に着いた。ここで初めて米代川を渡る。県道317号(おそらく国道7号の旧道)の橋の名は「米白橋」。読みは「よねしろ」のようだが、米代,米白と漢字表記が異なっているのは何故だろう。何かいわれがあるのかな。

11:30 旧二ツ井町の中心部に入った。「きみまちの里商店街」という看板があった。商店街の中の銀行の壁に、明治天皇行幸の絵が描かれていて、その横には昭憲皇后の和歌の解説パネルがあった。「きみまち」とい名は、昭憲皇后のこの和歌に因む名前だそうだ。また、明治天皇が徯后阪と命名し、読み方は「きみまちさか」だそうだ。
11:50 旧羽州街道43番目の宿場、荷上場宿の中心部を通過。岩堰用水という用水路があった。その先は県道322号(おそらく国道7号の旧道)に入って、藤琴川の橋を渡った。橋を渡った先が徯后阪の難所である。

 


米代川が大きく蛇行する地点で、「一里の渡し」という水運と、北側(右岸)の山を越えるきみまち阪と、どちらも難所だったそうだ。現在はどちらのルートも通れないようで、歩行者用のトンネルを通った。難所を過ぎ、12:30 道の駅「ふたつい・きみまちの里」に到着。ここで昼食。富根駅から、18,623歩,12.1km。

13:05 昼食後、ウォーク再開。すぐに44番目の宿場、小繋宿の中心を通過。1つ手前の荷上場宿と2kmちょっとしか離れていないが、間に難所があるためだろう。難所を挟んで両側に宿場が置かれていることはよくある。小繋を過ぎたあたりで雨がパラパラ降った。大降りにはならないだろうと覚悟を決め、そのまま進んだ。

小繋の先で六文坂と呼ばれる上り坂に入った。途中で国道7号と合流した先の峠には橋があり、橋の下を複線化前の奥羽本線の廃線跡が通っているらしいのだが、国道からその様子は見えなかった。この廃線跡については「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」の記事、「奥羽本線旧線(二ツ井~前山)【前編】」,「奥羽本線旧線(二ツ井~前山)【後編】」に詳しくアップされている。

六文坂の峠を下って途中から旧道に入ったら、薬師山スキー場の入口付近に出た。北緯40°を越えたこのあたりまでくると、この程度の標高でもスキー場があるんだな。
奥羽線を2回越え、45番目の旧宿場今泉宿を通過したあたりから、また雨がパラパラ降った。14:30 過ぎ、JR前山駅前に到着。雨が強くなってきそうなのと、左足裏に痛みを感じていたので、ここでこの日のウォーク終了。昼食後は、9,062歩,6.2km。
電車を待っている間、雨が一時強く降った。通り雨かな。15:01 の電車で大館に戻った。