羽州街道ウォーク9日目 金山→及位 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

前回歩いた新庄から金山までの旧羽州街道は、ルート沿いに路線バスがあったが、金山から先は県境手前の及位付近まで公共交通機関はなく、JR奥羽線とも離れて通るので、及位まで一気に歩き切るしかない。距離は20km弱と見込まれ、ウォーキングで1日に歩く距離としては長くはないが、峠越えが2回あるので甘く見るのは禁物。

22.5.09(月)
前日金山からバスで帰ってきた時は駅前で降りたが、ホテルからは県立新庄病院前バス停のほうが近いとわかり、病院前発 7:38 の山交バス金山線路線バスで金山へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:15 金山町役場前バス停からこの日のウォーク開始。前日も通った「きごころ橋」を渡り、8:28 仙臺藩士戊辰戰歿之碑に立ち寄った。戊辰戦争で仙台藩が新政府軍,新庄藩に敗れた時の戦死者を弔ったものだそうだ。
そのすぐ隣の民家の車庫に、「昭和の我楽苦多」という看板があった。何かの店ではなく一般家庭のようだったが、何の看板だろう。

8:32 森合峠の案内図があったが、標柱には「中ノ森峠」と書かれていた。事前に調べたところでは、地図や資料などにも「森合峠」と記載されているのだが、中ノ森峠という別名があるのかな?
ここが旧道の入口であるが、少し寄り道して戊辰戦争・三本松戦跡へ立ち寄った。「仙臺藩本営地」という碑があった。

旧道入口に戻り、8:47 旧道に入った。すぐに舗装が終わったが、直線の道で両側にスギが等間隔で並んでいて、旧街道の杉林のような気がした。坂を上っていったん車道を横切り、再度山道を上って、9:06 車道に合流。舗装された道だが、スギの落ち葉がびっしり積もっていた。まあ、FF車でも通れるかな。

 

田山花袋が絶賛した、森合峠から望む月山

 

9:16 森合峠を越え、その先に田山花袋の碑があった。田山花袋が日本一周という本の中で、この森合峠で「月山を見て感動した」と書いてあるそうだ。石碑のあたりから実際に月山が見えた。峠の位置からして、言われないと鳥海山のような気もするが、山の形から見て確かに月山である。

9:24 峠道が終わり、国道13号に出た。ここの案内図の記載は「森合峠」だが、標柱にはやはり「中ノ森峠」と書かれていた。なんでだろう。

9:30 日当の松並木を通過。その先に除雪基地があり、敷地北側の盛土斜面には捨てられた雪がまだかなりあった。
国道13号の旧道がカーブで下るところで、旧街道は一気に下る。前坂という坂だそうだ。その前坂らしき道は見当たらなかったので、旧国道を歩いて下った。10:30 下ったあたりが、旧羽州街道の間の宿、中田宿。お婆さんが山菜を干していた。こごみだろうか。

旧中田宿から国道13号を1時間余り歩き、主寝坂トンネル入口に着いた。何と読むのかと思ったら「しゅねざか」だそうだ。奥羽本線はこの主寝坂峠を避けるために真室川経由のルートになったらしい。

旧羽州街道はこのトンネルの上の主寝坂峠を越えるが、藤原優太郎著「羽州街道をゆく」によると、旧街道はほとんど残っていない。とのこと。しかし国土地理院の地図には、主寝坂峠を越える道が書かれている。トンネル開通前の旧国道のようにも見える。
旧街道は残っていなくても、旧国道が残っていれば通れるだろう。だが、トンネル開通は1960年とのこと。私の生まれた年で、62年も前である。62年も前に国道から外された峠道が、通行可能な状態で残っているのかな。
かなり不安だったが、主寝坂峠越に挑戦。もちろん、通れそうがなければ無理せずに引き返して、トンネル入口へ引き返す決断はせざるを得ない。人里から離れているのでクマ除けの鈴を着け、トンネル入口の右にある旧国道らしき道に入った。ただ、旧街道ではなく、明治以降の旧国道だろう。トンネル入口には長さ808mと書かれていたから、直線で808m先のあたりに下りるのが目安かな。

12:24 標高410mの主寝坂峠らしき箇所に到着。道は峠で二手に分かれていて、東側は更に上に上る林道で、車でも通れる道だったが、北西に下る旧道は、草ぼうぼうになり始めていた。ただ、通れそうではある。

道の痕跡を辿りながら峠を下った。途中、木に躓いて転倒したり、ぬかるみを避けて通ったりしたが、旧及位の集落が見えてきた。方向は合っている。ぬかるみを過ぎた先で、道の痕跡がはっきりしなくなり、道を見失った。ただ、下の方に国道が見えていたので、国道までもう少しと自分を励まし、なんとか主寝坂トンネル出口の横に出た。
この日1つめの峠越えだった森合峠は歩き易かったが、2つめの主寝坂峠は難儀したなあ。

トンネル出口から少し先に、戊辰戦争及位の戦い台場跡の石碑があった。さらにその先、主寝坂橋の手前に、おそらくドライブインだったであろう、潰れた廃屋があった。事前に調べたところでは、このあたりから沢を下る旧道があるはずである。廃屋の裏には道があったが、これが旧街道かどうか確証を持てない。
主寝坂橋の手前で、4人ほどが何かの工事を始めるところだったので、沢を下る道を知らないかたずねてみたが、知らないとのこと。廃屋へ戻り、裏の山道を下った。
途中に丸太を数本渡した橋があり、橋の反対側に墓地が見えた。墓地の横を通った後、真室川に架かる鉄の橋に出た。

 

橋を渡って旧及位の集落に入った。及位番所跡があるとのことだったが、見落としてしまった。13:45 戊辰戦争跡の碑を通過。その先、羽州街道20番目の旧宿場、及位宿の中心部に入った。「及位」は「のぞき」というかなり特殊な読み方をするが、私はこの名を聞くと、NHKの朝ドラ「雲のじゅうたん」を連想する。
黎明期の日本の女性航空パイロットを、浅茅陽子が演じたもので、私が高校生の時に放送されていた。特定のモデルはないとはいうものの、秋田県出身の及位ヤヱが最もモデルに近いようだ。

 

    

変な名前だなあと以前から思っていたが、
自分が乗降するとは予想していなかった。

 

14:30 及位駅に到着。ここでこの日のウォーク終了。金山から、31,790歩,19.3km。持参したおにぎりを食べていなかったので、駅の待合室で遅めの昼食。15:48 の電車で新庄に帰った。