宮古街道ウォークへ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

昨2021年、奥州街道とおくのほそ道を歩き終えた。今年はどこを歩いてみようか。自宅近くに宮古街道があるので、これかなと検討。盛岡から始まり、最も近い海岸の宮古に至る街道で、閉伊街道とも呼ばれている。
ただ、五街道や主要な旧街道については書籍が多数出版されていて、ネット上の情報も多いのだが、宮古街道のような地方の旧街道ではそうはいかない。ネットからダウンロードした宮古街道の経度緯度データも、かなり大雑把だった。
いろいろネット検索したら、全国遺跡報告総覧 にある、宮古街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十五集(岩手県教育委員会 昭和56年)という調査報告書の地図が最も信用できそうだったので、この地図に従って歩くことにした。

22.3.30(水)
自宅を出て、奥州街道と宮古街道との分岐点「惣門」へ。住所を匿んでおきたいので、自宅からここまでのルートは載せません。

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で


10:20 宮古街道ウォーク開始。鉈屋町の通りを東へ。大慈清水を通り過ぎ、もりおか町家物語館前のT字路を左折。このT字路を直進するのが遠野街道とのこと。
この近くには以前「岩手川」という日本酒の醸造所があったそうだが、2006年に倒産したそうだ。何でも、名前に「川」の字が入っていると「川は流れる」に通じるため、お祝い事には向いていない酒とされて、売れずに倒産した。と聞いたことがあるが、作り話だろう。


10:40 コンビニでおにぎりとペットボトルのお茶を購入。コンビニの後、目の前の十六羅漢に立ち寄った。その後、盛岡城下の同心町で下級武士が多く住んでいたという、上手小路へ進むつもりだったが、一つ北側の道を歩いてしまった。コンビニと十六羅漢に立ち寄ったせいで間違えたのかな。
国道4号のバイパスを越え、簗川に出た先で国道106号に合流。その少し先の砂溜交差点を11:10頃通過。ここが宮古街道の旧道と、江戸時代末に開かれた新道との追分だそうだ。新道は簗川に沿って現在の国道106号となっているが、難所がある。旧道はこの簗川沿いの難所を避けて北側の山を通る。左折して旧道へ入った。
白滝の横を上り、11:55 最初の一里塚、八木田一里塚を通過。競馬場の脇を通って次第に山の中へ。13:25 高畑(たかばたけ)一里塚を通過。切り通しの両側が塚らしいが、あまり原形をとどめていないように見える。

13:30過ぎ、川目の集落で農家の間を抜けた後、未舗装の道を通って林道に出た。未舗装の林道だが、車はかろうじて通れそう。ここから先、数kmは山道となるので、前述の「宮古街道」(岩手県文化財調査報告書第六十五集)の地図と、現在の国土地理院の地図とを、事前に見比べてルートを推定。手元の地図に書き込んで持ってきた。
峠へ向かう道は北向きの斜面を通り、雪が溶けにくいため、道にはまだ残雪が多く残っていた。じきに車は通れそうがない道となり、峠の手前ではカモシカらしき蹄の跡が山道の雪の上にあった。靴がズボッ・ズボッと残雪にはまり、息が切れて時々立ち止まったうえ、スギの木が多くてかなり目が痒かった。

14:22 大倉峠を越えた。越えた後は南向きの斜面で、残雪はなかった。
峠の南側は広葉樹が多くてスギは少なく、この時期は葉のない広葉樹の間から、近くに高圧送電線が見えた。下って行く途中、少し上に見晴らしの良さそうな場所があったのでそこへ上り、送電線の見える方向を、地図に書かれている送電線と比較して位置確認。こういうのはありがたいね。峠南側の道には電力会社の標識があった。送電線の保守用に使われているのだろう。歩きやすい道だった。

14:50 大倉峠一里塚を通過。一里塚にしてはずいぶん小さいような気がしたなあ。塚の少し先に旧宮古街道の標識があった。山道に入った後は最初に見た旧街道の標識だな。標識のすぐ先で舗装された林道を横切り、そのさきで未舗装の別の林道に出た。未舗装だが車の通れる道で、山道は終了。じきに先ほどの舗装林道に合流。

 

旧宮古街道案内板 - この前でカメラを落として破損

 

舗装道を10分ほど下ったところに、旧宮古街道案内板が立っていたので、この写真を撮ろうとしたところカメラを落とし、舗装の上にかなり強めにぶつけてしまった。
カメラをチェックしたら、右矢印[⇒]スイッチが壊れたようだ。写真は撮れるのだが、メニュー選択や設定で右矢印[⇒]を使えないので制約がある。露出補正で露出をプラスさせることができなくなってしまった。やれやれ。思えばこのデジカメ、もう15年以上も使ってきた。頑丈なカメラだなあと思っていたが、ついに壊れたかあ。


採石場の脇を通り、国道106号の旧道に合流。江戸時代末に開かれた新道と合流したことにもなる。簗川沿いに東へ遡り、橋を渡ってまた旧道に入ったあたりに、曾利田の一里塚があるはずなのだが、標識などは見当たらなかった。
旧築川宿に入ったあたりには馬継場跡があったらしいのだが、標識や案内板などは見当たらなかった。長洞神社を過ぎて、飛鳥口バス停に近いところまでやって来た。バス停は国道沿いにあるが、この国道は旧街道から斜面を数十メートル上ったところにある。斜面は山林で、下からバス停は見えない。農家が1軒あり、家の前にお婆さんがいたので、バス停への道を尋ねた。家の横に細い道があり、山道の入口とのこと。


「なんぼもねえがら、だんだん行げばよいよ。盛おががら歩って来たの?」
「バスが来んまでいづつかん(一時間)? おらほでお茶゛こでも飲んでぐがい?」
お婆さんに言われたとおり斜面の山道を上り、16:20 飛鳥口バス停に着いた。ここでこの日のウォーク終了。奥州街道との分岐点から 29,734歩,17.8km。

東日本大震災からの復興の一環で、盛岡宮古横断道路が全通したのは、昨21年3月だった。これに合わせて21年4月から、盛岡⇔宮古を走る106急行バスの運行パターンが変わった。平日7往復は特急となり、横断道路を通るため飛鳥口は通らない。これにより国道106号沿いの飛鳥口バス停を通るのは、平日5往復の急行のみとなった。
日中は割と暖かかったが、夕方はやはりまだ冷えるな。パーカーを着て1時間ほど待った。17:20 の106急行バスに乗って帰宅。