宮古街道ウォーク2日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.4.01(金)
前回のウォークの途中で、デジカメを落として壊してしまった。スマホのカメラ利用に移行する手もあるが、慣れないせいか使い勝手が悪いように感じてしまう。デジカメを買うことにし、この日買いに行った。

22.4.03(日)
盛岡駅東口 7:40 発の宮古行106急行バスに乗ることにした。駅前よりバスセンタで乗る方が自宅から近いのだが、朝食を取れる場所がある駅前からにした。朝、自宅を出て盛岡駅へ。前回ウォークの終点、飛鳥口バス停へ。今回は歩き初めてすぐ、峠の手前に沢沿いの坂道が控えている。標高差も大きい。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:20 飛鳥口バス停からウォーク開始。坂を下って国道106号の旧道へ。簗川沿いに東へ遡ってすぐ、8:37 飛鳥口の庚申塔・道標前を通過。
ここでで谷は2つに分かれる。旧宮古街道は南東側の谷を通り、栃沢の急勾配を区界峠まで一気に駆け上がる。一方、国道106号は北東側の谷を進んで飛鳥の集落を通った後、斜面を登る形で峠に至る。国道は急な上りを避けたのと、飛鳥の集落を通るのと、両方に配慮したのかな。ところで飛鳥は盛岡市内で唯一、上水道のない集落と聞いたことがある。


旧街道へ進み、9:12 舗装の終点に到着。ここから未舗装となる。簗川一里塚の標柱があった。近くに一里塚はなく、標柱の下の方に「ここから東へ900メートル」と書かれていた。
栃沢は、水量が多かった。この時期は雪解け水が多いのだろう。ところどころ残雪もあり、残雪の上を歩かなければならなかった。


簗川の一里塚は、結局見落としてしまった。事前に調べたところ、宮古街道で一里塚が残っているのは区界峠より西側だけで、峠以東に一里塚は残っていないとのことだった。あれまあ。東に向かって歩くと、ここが最後の一里塚だったのになあ。残念。
9:48 カモシカの群れと遭遇。4頭か5頭だったろう。私に気づいて逃げて行った。カメラを用意する間はなかった。9:57 国道の栃沢橋が見えてきた。峠まであと少し。その直後、沢の北側から南側に沢渡り。もちろん橋などないから、水に落ちないよう、要注意。

沢を上り切り、10:20 JR山田線の脇に出たあたりに、山田線の34kmポストが立っていた。ここから山田線の線路脇、いわゆる「犬走り」を歩いた。線路脇の犬走りを歩くのは、厳密には違法とのこと。都市部では論外だが、原野やこういう山中では事実上黙認である。線路の先に区界駅が見えた。このあたりが分水嶺だろう。峠の標高は 751m とのこと。
山田線は盛岡からここまで、全く別の複数の谷を上ってくる。簗川沿いの旧宮古街道が、いかに難所続きで勾配がきついか、山田線の線形からもわかるな。地図を見ると一目瞭然。

 

兜明神岳


線路からホームの端を通って駅前に出たら、兜明神岳が見えた。47年前の高校1年生の時、兜明神岳近くの山小屋に泊ったことがある。その晩、深い霧に覆われ、試しに腕を伸ばすと、自分の手首から先が霧で見えなくなった。

宿泊だったからよかったものの、昼間にあんな霧に飲み込まれたらどうなるんだろう。自分の手が見えなくなるほどの霧だから、当然足元も見えない。外に出たらどっちがどっちか方向も分らなくなるし、崖があっても気づかない。まさに遭難の危険。霧が晴れるまで、歩かずにじっとしていなければならないだろう。

10:35 区界駅に立ち寄った。山田線は大正時代に、岩手出身の平民宰相原敬が我田引鉄で建設されたものだが、建設前に野党議員から「そんな山奥で誰が乗るのか? 猿でも乗せるのか?」と問われ、原敬は「我が国の法律では、猿は鉄道に乗せてはいけないことになっています。」と答弁したとか。真偽のほどは定かではないが、法律を根拠に反論するのは屁理屈ではなく、正道である。
ただ、開通したら予想以上に客が多かったうえ、釜石から鉄,宮古から硫化鉱を運び、戦時中は支線の小本線(後の岩泉線)が建設されて、煉瓦用の粘土を輸送したという。

その山田線も歴史的役目を終え、もはやかつての栄光はない。宮古~釜石間が津波で壊滅的な被害を受け、三陸鉄道に経営譲渡した後は特に著しい。区界駅の時刻表を見たら、下りは1日2本,上りは1日3本のみ。JR東日本は山田線廃止の機会を窺っているに違いない。廃止は時間の問題だろう。

10:40 道の駅「区界高原」に到着。駐車場にある電光温度表示では 7℃ だった。道の駅の建物へ行ったら閉鎖されていた。昨21年3月に全通した盛岡宮古横断道路はこの道の駅を通らないため、閉鎖となったそうだ。ただ、道の駅の敷地内にあるビーフビレッヂ区界というところは細々と営業していた。少し早めだがここで昼食。「宮古ラーメン」というのを食べた。歩き始めから 9,523歩,4.6km。

11:10 昼食後、ウォーク再開。区界からは閉伊川沿いの国道106号と、その旧道を東へ下る。峠の西側は急坂だが、東側はしばらく緩やかな坂である。JR山田線,盛岡宮古横断道路も並走している。区界の集落を出たあたりで、早池峰山の北側斜面と思われる山が見えた。
このあたりは戦前から終戦後にかけて入植した開拓農家が多いのだろう。離農して放棄されたらしい、朽ちかけた家屋があった。
兜神社に立ち寄ったら、60代くらいの夫婦がいて「頂上まで登るんですか?」と聞かれた。「いえ。登りません。歩いているだけです。」

13:00 この日のウォーク終了地点、黒沢バス停前を通過。尿意を催していたので、立ションできる場所を探しに、バス停の少し先まで行った。用を足した後、バス停に戻った。ここでこの日のウォーク終了。昼食後は 11,892歩,7.8km。
旧街道歩きで1日に歩く距離としては短めで、時刻もまだ昼過ぎだが、前後に歩く区切りの都合があるので、この日はここで終了。
黒沢バス停には、盛岡⇔宮古106急行バスの特急が停車するので、平日12往復ある。この日は日曜なので10往復だが、急行しか停車しない飛鳥口バス停よりだいぶ便利である。
バス停前には門馬小学校跡があった。後で調べたら、2017年閉校らしい。けっこう立派な校舎でもったいないが、少子化の影響でやむを得ない面はある。13:24 の急行バスに乗って帰宅。