おくのほそ道ウォーク 木之本からの芭蕉ルート | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

芭蕉と路通が歩いたルートのうち、木之本から関ヶ原までの区間は鉄道路線から離れているうえ、1日で歩ける距離ではないので、途中で区切る必要がある。区切った地点で宿に泊るか、路線バスで宿に戻るかとなる。タクシーで宿に戻る方法もあるが、私はこれまでおくのほそ道ウォークではタクシーは使わないポリシーを貫いてきた。
木之本・関ヶ原間の路線バスを調べたところ、浅井(あざい:長浜市役所浅井支所付近)と、春照(すいじょう:米原市役所伊吹支所付近)に路線バスがあるのが判った。春照で区切って、木之本→春照,春照→大垣とすると2日続けて30kmほど歩くことになる。2日で歩けない距離ではないし、現役サラリーマンの頃だったら時間優先で旅行日数を短縮するため、ここで区切っただろう。
定年退職した今ではそれほど時間や日数を短縮する必要はなく、寄り道しながらゆっくり歩きたい。という訳で、浅井と関ヶ原で区切って、木之本→浅井,浅井→関ヶ原,関ヶ原→大垣と、3分割することにした。3日続けて20kmほどとなり、余裕あるウォークができるだろう。

21.10.17(日)
先週までは異常な残暑だったが、この日はこの時期にしては強い寒気が上空に来たとかで、朝は肌寒いくらいだった。北海道では初雪観測とか。長浜駅 9:10 の北陸本線で木ノ本駅へ。木ノ本駅もこれで4回目になる。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

9:30 6日前と同様、木ノ本駅からウォーク開始。国道303号に入ってすぐの所にある道標、6日前はこの追分から北國街道を南下して長浜に向かう曾良ルートだったが、この日は関ヶ原へ向かう北國脇往還へと左折した。国道365号とその旧道、北国脇往還を南下。
9:57「犬のシッコ等をささないで下さい」と書かれた看板があった。一般的には「させないで下さい」だと思うのだが、このあたりでは「ささないで下さい」と言うのかな。

11:05頃、阿弥陀橋を渡って高時川を越えた。11:41 「浅井発祥の地」という案内板があったので、立ち寄って写真を撮ったら、近所の人に「熱心やな。わしら近くに住んどってもめったに来んのに。」と言われた。
12:15 「大谷市場跡」という碑があり、その隣に「往還絵図」という案内板があった。詳しい地図が表示されていたので、印刷して持ってきた地図と見比べた。10分ほどかけて、必要な事項は紙の地図に書き込んだ。このあたりは長方形に区画整理されていて、道も直線。時々、交差点を直角に曲がる。昔の街道とはかけ離れているだろうな。

12:35 小谷城戦国歴史資料館に立ち寄って30分近く見学。13:25 旧小谷伊部宿を通過。


14:30 道の駅「浅井三姉妹の郷」で遅めの昼食。自然薯そばを食した。地産の自然薯らしい。2011年のNHK大河ドラマ「江」では、浅井三姉妹の末妹、江が主人公だったなあ。浅井三姉妹については、私があれこれ記事を書くまでもないだろう。
また、昨年11月19日に盛岡で『原敬100回忌記念 特別収蔵資料展「ハラケイ入門・改」』を見に行ったが、その時の解説板に、原敬は戦国武将浅井一族の血を引くことが書かれていた。
昼食のすぐ後、数百メートルほどで長浜市役所浅井支所に到着。銘板の表には「長浜市役所浅井支所」,裏には「浅井町役場」と書かれていた。

 


道を挟んで浅井一家の銅像があった。姉川の戦いまでは平和だった。と書かれていた。それ以降の波瀾万丈は書くまでもなし。この日のウォークは浅井支所で終了。木之本駅から 17.5km,37,324歩。


長浜駅から浅井支所までは路線バスがあり、平日は8往復だが、この日は日曜日で5往復。こういうことは事前に調べておかないと、長時間待つはめになる。15:20 湖国バスの路線バスで長浜へ戻った。