おくのほそ道ウォーク 中山道曾良ルート | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

曾良は長浜から舟で彦根に着いた後、中山道を東に向かって大垣へ行っている。

私は2009年に中山道を歩いた。2月に東京・日本橋から歩き始め、6月に岐阜県垂井まで歩いたら、その直後にAPL白血病再発と診断された。

曾良が歩いたこの区間は私も一度歩いているが、せっかくだからまた歩くことにした。歩く方向も前回と逆となり、また違った趣があるだろう。

 

21.10.14(木)

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

長浜駅 9:04 の電車に乗り、米原で乗り継いで彦根へ。9:30 彦根駅からウォーク開始。前日、佐和山城跡へ行こうとして行けなかったので、この日行ってみることにした。
途中で道を間違え、イオンモールの周囲を1周してしまった。何でこんな間違いをしたかな。道に迷うときはこんなもんかな。でも 10:01 佐和山城趾へ上る道の入口に着いた。
10:20前頃、佐和山城趾に着いた。関ヶ原の合戦の時点で石田三成の居城だったそうで、東軍に寝返った小早川秀秋の軍勢が先鋒としてここを攻め、関ヶ原の3日後に落城したとのこと。その時の戦いでも、佐和山城内で東軍に寝返った者が何人か出たそうだ。いったん崩れると、連鎖してこうなるんだね。

 

 

城趾からは彦根の町並みや琵琶湖が見えた。

佐和山城趾から北側へ山道を下った。途中で東に折れて鳥居本方面へ下る道があるそうなので、探しながら歩いたら「塩硝櫓跡入口」という道標があったので、このあたりかと周囲を探したが、そこではなくてその先だった。
山道を下りたあたりに、トンネルか何かの工事をしている箇所があり、そこから数百メートル離れたあたりで、5~6の人が何かを測量していた。測量にはドローンも使われていた。ドローンの利用はだんだん増えているな。
11:20 近江鉄道鳥居本駅に着いた。彦根駅から 4.9km,8,935歩。

10分ほど休憩した後、ウォーク再開。旧鳥居本宿を通り過ぎ、11:45 北國街道との追分から右に折れて摺鉢峠へ向かった。12年前、2009年の中山道ウォークで、この摺鉢峠を越えた後雨が降ってきて20分ほど雨宿りをしたが、どのあたりだったかな。
摺鉢峠にある神社へ立ち寄ろうと石段を上っている最中に、遠くからチャイムが聞こえてきた。正午を知らせるチャイムだな。
摺鉢峠を越えて名神高速道路に突き当たったところに、工事中通行止めの標識があった。名神高速の法面工事で、北國街道との追分の所にも表示があり、前日通った時からここの通行止を知っていたが、車両だけ通行止めで歩行者は通れるだろう。と予想し、この日歩いて来た。通行止め標識の間を通って、そのまま進んだ。
12年前の2009年に、名神高速横のこのあたりですれ違った2人組に声を掛けられ、中山道を歩いとるの? 和田峠を通った? どんなとこでした? と聞かれたのを思い出す。あの2人もあのあと中山道を歩いたのかな。
10分ほど歩いたら法面の工事現場に着いた。ちょうど昼休み中で工事は中断。弁当を食べている人もいた。作業リーダらしき人に「この先、通りにくいですよ。」と声を掛けられた。「ありがとうございます。気を付けて通ります。」と返答。削岩機横のコンクリート片の上を通り抜けた。
12:55 旧中山道62番目の宿場番場を通過。その先で国道21号に出て東に向かった。旧醒ヶ井宿にさしかかったあたりで左に折れ、13:55 JR醒ヶ井駅に到着。鳥居本駅から 9.3km,14,646歩。ここでウォーク終了。まだ14時前と、かなり早めの終了。
14:11 の米原行きに乗った。JR東海の在来線に乗るのは久しぶりだな。いつ以来だろう? 米原でJR西の北陸線に乗り継ぎ、長浜に戻った。