おくのほそ道ウォーク 今庄→木ノ芽峠→敦賀 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

今庄から敦賀へ出る旧街道は、木ノ芽峠(標高628m)か山中峠(標高389m)のどちらかを越える。曾良日記には「木ノメ峠ニ趣」と記されている。後続の芭蕉と等栽がどちらを通ったかだが、金森敦子著『芭蕉「おくのほそ道」の旅』によると、木ノ芽峠のほうが本街道だが、山中峠を通った可能性も排除できないようだ。
山中峠のほうは北陸本線の旧ルートで、明治時代に造られたトンネルが複数残っている。複雑な地形で交通の難所となっている区間の道はおもしろいね。
私は金森敦子説に従い、木ノ芽峠の方を歩くことにした。わりと海岸に近い峠だが、標高628mと意外に高い。新田義貞が敦賀から福井へ逃げる途中、軍勢に多くの凍死者を出したのはこの峠らしい。ほそ道のルートでは月山(標高1984m)に次いで2番目に高い地点だろう。その次は山刀伐峠390m,堺田峠350mあたりかな。この先の柳ヶ瀬越えも意外に高そうだ。弥彦山(標高634m)のそばを通ったが、あの山とほぼ同じ標高の峠かと思うと少し覚悟が要る。


途中に公共交通機関もなく、山の中の峠越えだが、峠の手前から少し左に下ったところに、今庄365温泉がある。冬は今庄365スキー場として営業し、関西方面からのスキー客も多かったらしいが、近年の雪不足やスキー人口減少などで業績が振るわず、昨2020年に業務委託先の業者が撤退を申請した。と、ネットに掲載されていた。いずれスキー場としての施設は閉鎖になるだろう。今庄365温泉の宿泊施設も受託営業していたらしいが、コロナの影響もあってか、現在は日中の温泉営業のみ。宿泊施設はすべて休館。コロナ禍が収束した後、宿泊施設の営業は再開されるかな? 望み薄だろうな。
ルート沿いに路線バスは実質的にないので、ここに泊まれないとなると、今庄から敦賀まで30kmほど歩いて標高628mの峠を一気に越えなければならない。箱根八里(32km)の箱根峠が標高846mだそうだから、それよりは200m低い。歩いて歩けないことはなさそうだし、332年前に曾良も1日で歩いている。今庄から敦賀まで一気に歩き切るのを目標にした。

21.10.02(土)
敦賀のビジホを出て駅へ。久々に山の中の道となるので、コンビニでおにぎりを購入。JR北陸線敦賀駅 7:03 のに乗り今庄駅へ。
1駅手前の南今庄駅は敦賀の1駅隣だが、間に在来線最長のトンネル、北陸トンネルがあるので、駅間距離は16.6kmもある。JR西日本の在来線では最も長い駅間距離だそうだ。ちなみに、北陸トンネル入口の標高は36m,出口の標高は167mだそうで、入口と出口で131mの高低差がある。また、南今庄駅の標高は156m,今庄駅の標高126m とのこと。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

7:22 今庄駅からウォーク開始。栃ノ木峠へ向かう道、国道365号の旧道から、県道207号の旧道へ右折。曾良日記:「快晴 日ノ出過ニ立 今庄ノ宿ハヅレ 板橋ノツメヨリ右へ切テ 木ノメ峠ニ趣 谷間ニ入也 右ハ火うチガ城 十丁程行テ 左リ カヘル山有 下ノ村 カヘルト云」

「宿ハヅレ 板橋ノツメヨリ右へ」はこのあたりか。文政の道標というのがあった。
鹿蒜(かびる)神社前の先で旧街道を見落とし、うっかり新道を進んでしまった。「下ノ村 カヘルト云」は、このあたりらしい。おくのほそ道でも「かへるやま」と言及している。雁にかかる歌枕、帰山(カヘル山)だそうだ。

県道207号と交叉するところで、40代後半くらいの男性が話しかけてきた。「旧街道を歩いているんですか?」「そうです。」「旧街道はこの田圃の中を通っていたんです。」「区画整理で道が変わりました。」事前に調べて携行した地図にもそのように線が引かれていた。
8:23 県道207号から木ノ芽峠へ左折する道との分岐点に着いた。県道207号は、旧国鉄北陸本線の旧線跡を拡幅して道路に転用したもので、左折せずに県道を直進すると、北陸本線の旧トンネル群を通る。
左折して木ノ芽峠へ向かった。初めは沢沿いの道で、途中から山に入った。細い道だが山道ではなく、舗装された車道である。熊除けの鈴を付けた。熊除けの鈴を付けて歩くのはいつ以来かな。倶利伽羅峠以来かな。9:30頃、今は廃墟同然の二ツ屋宿跡を通過。間の宿なのかな。

 

10:12 車道の終点に着いた。コンクリートの塀があり、塀の開いた所から今庄365スキー場に入れる。入ったあたりがゲレンデの下端で、リフト乗り場になっている。
この地点は昨年福井まで歩いた後、車で下見に来た。その時のゲレンデ跡は芝生のようだったが、1年後の今ではすっかり草ぼうぼうになってしまった。おくのほそ道ウォークでスキー場の中を通るのは、これが最初で最後になるだろう。ゲレンデ跡の斜面にはコンクリート舗装の道があり、その途中の右側に旧北國街道の旧道があった。
今庄365温泉から上ってくる道と交叉して山道を進んだら、スキー場のリフトと交叉。もうこのまま閉鎖だろうな。言奈地蔵堂の手前でスキー場の建物が見えた。その少し左に今庄365温泉があるはず。そこに泊まれればこの峠越えももう少し楽だったろうな。

 

木ノ芽峠にて


11:00 木ノ芽峠着。今庄駅から 11.2km,19,091歩。峠には藁葺き屋根の民家があり、しかも現住住宅。失礼ながら、よくまあこんな所に。という感じである。昔は峠の茶屋をやってたのかも。段ボールにマジックで「今庄に買物に行く」と書かれて家の前に置かれていた。施錠もされていないようだったが、こんな所まで来る泥棒もいないだろう。

峠を後にし、山道を下り始めて10分ほどで、男2人+女1人の3人連れとすれ違い、「こんにちは」と挨拶した。11:50 国道476号の木ノ芽峠トンネル入口付近に出た。その先、新保という集落に出た。ここからは敦賀市のコミュニティバスがあるが、この路線は予約制で、1時間前までに予約が要るとのこと。しかも市中心部への上り便は午前と昼、中心部からの下り便は昼と午後のみで、1日3往復。地元住民の通学・通院用の時刻設定で、とても木ノ芽峠ウォーキングには使えない。
新保の集落を抜けて国道476号に出た。川沿いに下り、葉原という集落の先で国道476号から右の峠道へ入った。現在の国道はこのまま川沿いに下るが、少し先が岩場の難所のようで、昔の街道はその難所を避けて隣の沢に移動するルートである。狭いながらも舗装された車道だが、予想以上に急な上り坂だった。
峠を越えた先はそれほど急ではなかった。
峠を越えた所の集落に神社があり、携行したおにぎりの昼食タイム。木ノ芽峠から 6.2km,11,782歩。


13:30 昼食後ウォーク再開。14:00頃、国道476号を横切り北陸自動車道上り線の高架下をくぐったあたりから国道の旧道に入り、北陸自動車道の上り線と下り線が立体交差する地点が見えた。北陸自動車道のこの区間は、上り線と下り線が立体交差して左右入れ替わっている。地形の影響でこうなっているのだろうが、都市高速以外の高速道路で、上り下りが左右入れ替わっているのは、知っている限りではここと、東名の大井松田~御殿場だけだな。


12:42 JRの北陸トンネル入口付近を通過。開通から60年近く経った今でも、在来線最長のトンネルである。
私が中学1年の時、北陸トンネル火災事故が起きて多数の死者が出たなあ。その時のニュースは今でもよく覚えている。私の妹が溺死する4日前だった。
トンネル入口手前にデッドセクションが見えた。おくのほそ道ルートに近いデッドセクションは、小山,黒磯,村上,糸魚川,津幡に次いで6か所目。全体としてどうあるべきか、将来を見据えてどうすべきか、在来線の交流電化は、よく考慮せずに失敗した例である。敦賀まで交流電化から直流電化に変更したとき、地元は「琵琶湖一周直流化」というお祝いまでした。
2024年にはここ敦賀まで北陸新幹線が延長される予定だ。引き換えに敦賀以北が第三セクタ化されるだろう。整備新幹線による3セク化で、デッドセクションまで抱え込んでしまうのは、新潟県に次いで福井県が2例目となる。

15:05 気比神社を見学。越前の一宮だそうだ。ほそ道ウォークでは、陸奥一宮,出羽一宮,越後一宮,越中一宮に次いで5か国目の一宮となる。ただし、越後と越中には一宮が複数ある。越後一宮の彌彦と居多には両方立ち寄ったが、越中一宮は高岡の射水神社だけ行った。

15:30 敦賀駅前のビジホに到着。この日のウォーク終了。昼食後、7.4km,11,711歩。曾良日記では今庄を「快晴 日ノ出過ニ立」で「未ノ刻 ツルガニ着」。日の出に今庄を出発して14時に敦賀に着いたという。快晴で歩きやすかったのだろうが、やはり相当速いペースである。

21.10.03(日)
前日の歩行距離は事前の予想よりは短く、25kmほどだったが、上り500m,下り600m の標高差はやはり疲れた。この日はビジホで1日休養。