奥州街道ウォーク 蟹田→平舘 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

台風14号が変則的な動きをしていたのが気になっていたが、過ぎ去って晴れた。先々週に続き、奥州街道ウォークの続きに出た。

21.9.20(月)
先々週と同じ、盛岡下り始発 6:54 の新幹線で新青森へ。新青森からJR奥羽線,津軽線と乗り継ぎ、蟹田駅へ。

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
 

 

9:05 蟹田駅からウォーク開始。旧街道に出たあたりにコンビニあり。ここで昼食用におにぎりを購入。直後に江戸・日本橋から108番目,仙台以北39番目,盛岡以北18番目の宿場、旧蟹田宿の中心を通過。このあたりは先々週も歩いた。


11:47 「吉田松陰乗船の場」という標識に到着。記念碑などは建てられていないようだ。攘夷を主張した吉田松陰は、異国船(おそらくロシア船かな?)を自分の目で確かようと、津軽海峡まで脚を運んだそうだ。歩きか北前船かは判らないが、長州の萩からここまで何日かかったのかな。1500kmはあるだろう。
11:55 吉田松陰乗船場近くの海岸で昼食。蟹田駅からここまで16,916歩,10.7km。
 

12:20 昼食後ウォーク再開。13:15 仙台以北40番目,盛岡以北19番目の旧宿場、平舘宿を通過。近くにある平舘神社、道から本殿まで鳥居が3つあり、3つとも木製だったが白く塗られていた。木製の鳥居というと、無塗装か赤く塗られていることが多いが、ここのは白く塗られていた。他に例はあったような気もするが、多くはないだろう。

 

13:40 平舘台場跡に到着。1847(弘化4)年に平舘に異国船が現れて外国人8人が上陸したため、弘前藩が1849(嘉永2)年に構築した砲台の跡とのこと。吉田松陰の乗船場といい、ここといい、幕末の史跡が多いな。


13:55 予約していた台場跡近くのペンションに到着。かなり早く着いたが、部屋の準備は済んでいるとのこと。すぐにチェックインできた。
いったんウォーク終了。昼食後は8,777歩,5.2km。この日のウォークが約16kmと短めなのは、2日間歩く予定ルートの途中どこかで1泊せねばならず、ちょうどいい宿がここだったため。ペンションというものの部屋は和室で、民宿のような印象だった。部屋で1時間ほど休憩してから、平舘台場跡,平舘灯台など付近を散策に出かけた。

 


ペンションに戻って入浴。しばらくしたら、部屋から月が昇るのが見えた。向いの陸地は下北半島で、手前は津軽半島の海岸。平舘海峡の海面に月の光が反射していた。
この日は旧暦8月14日で、翌日が旧8月15日の中秋の名月。厳密には1日早いが、中秋の名月を海峡を挟んで眺めるとは予想していなかった。なかなかのいい眺めだった。

夕食時に宿の主人と話しをしたら、ペンションを開業して35年になるそうだ。私が昨年60歳で雇用延長せず退職した事を話したら、何か仕事をしたほうがいいよ。と言われた。仕事でも趣味でも、何かすることがなければセカンドライフは有意義にはならない。それは確かだ。コロナ禍の今は、特にそうかもしれない。