奥州街道仙台以北ウォーク 御堂→小繋 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

21.5.30(日)
朝、駅前の牛丼店で朝食。この日歩く予定のルートでは外食できるところがなさそうなので、駅前のコンビニでおにぎりと飲み物を事前購入。盛岡 7:32 のIGRいわて銀河鉄道に乗り御堂駅へ。


↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で


8:15 御堂駅からウォーク開始。国道4号から逸れて旧街道の道へ入り、9:20 御堂観音堂に立ち寄った。諸説ありとの但し書き付きで、北上川の水源だとか。河口まで247kmと書かれていた。河口も見たことがあるが、こんな小さな源流から始まって247km流れる間に、支流を集めてあんなに水量になるんだな。


9:45 御堂・馬羽松一里塚。左右とも残っている。御堂から一戸の間は旧奥州街道と国道4号が離れた所を通っていることが多いため、旧街道の一里塚がよく残っているらしい。
このあたりを地図で見ると、御堂・馬羽松一里塚の少し先のあたりが分水嶺のように思える。農家の庭先にショウブの花が咲いていた。
10:15 未舗装路へ入り、10:32 明治天皇御休憩之跡を通過。10:40 舗装路に出た。未舗装路は、オンロード四駆車なら通れそうな道だった。10:45 奥州街道最高地点を通過。標高は484mとのこと。分水嶺はここより南にある。11:00 中山一里塚跡を通過。残念ながらここの一里塚は残っていない。


11:20 貸切バスがやって来た。観光地でもないのに何でこんな田舎道に? と思って、フロントガラスに表示されている団体名を見たら、「コロナワクチン接種様」と書かれていた。一戸町がワクチン接種のために手配した貸切バスか。高齢者を接種会場との往復に乗せるんだな。

 

11:50 ヨノ坂入口に到着。ここから小繋番所跡まではわりあい急な下り坂で、尾根沿いに下る西のルートと、沢沿いに下る東のルートがあったそうだ。どうせなら両方歩いてみたい。事前に書籍やネットから入手したデータには東のルートしかなく、西のルートの情報は沿道の案内板の地図しかなかったので、ほとんどこの地図だけを頼りにルートを予想して歩くことにした。(後で追記:よく見たら、西のルートは書籍の地図に載っていた。何で見落としたのかな。)

 

西のルート(塚平一里塚経由)の情報はこれだけ。
道もほとんど消失していて、草ぼうぼうの山の中。
さすがにこの地図だけでは迷っても仕方ないかな。


12:05 西のルートの塚平一里塚を通過。この少し先で山道へ入った。草ぼうぼうで、道は痕跡程度。ほとんど消失していた。旧街道の面影もなし。ピンクのリボンが木に結ばれていたので、これを目印に歩いたが途中で見失い道に迷った。この結果、山の中を彷徨う羽目になった。
30分ほど彷徨っただろうか。建物が見えたのでそこを目指して下ったら、小川に出た。幅は2mもないが橋がないので渡れない。川沿いに歩いて幅の狭い箇所を探して何とか越えた。渡った後で見たら、近くには川岸が崖のような箇所もあった。崖に出なくて幸いだったな。
道に出たら国道4号線。小繋郵便局の近くだった。予定より1km以上西に降りてしまったようだ。近くの小繋駅へ行き、待合室で昼食にした。御堂駅からここまで25,632歩,16.0km。持って来たおにぎりを食べた。

このまま電車に乗って帰ろうかとも思ったが、時刻はまだ13:25。東西ルートの分岐点に戻って東のルートを歩く時間はありそうだ。小繋駅前から、先ほどの東西分岐点に行く車道があるので、これを上ることにした。舗装された車道を上り、30分ほどで西のルートの山道入口に戻った。さっきは山道へ入らずにここで引き返せばよかったな。私のような素人が一人で山中を彷徨うのは危険である。

塚平一里塚を通り、14:15 東西分岐点のヨノ坂入口へ戻った。ここから東のルートへ。東のルートは悪路だが轍の跡もあり、通れる道ではあった。ただ、途中はぬかるんだ箇所もあり、オフロード車でないと通れないだろう。14:40 小繋一里塚。東のルートにある一里塚である。左右とも塚が残っているが、歩いてきた道からは少し左に離れていた。旧街道は左右の塚の間を通っていたはずだから、歩いて来た道とは少しずれていたということになる。


15:00 小繋番所跡を通過。小学生の姉弟が遊んでいて、「こんにちは」と声を掛けられた。このあたりが小繋の中心地のようで、駅からは少し離れている。ここでは小繋事件という有名な訴訟があったそうだ。事件が始まったのは一世紀以上も前のことだそうだ。かく言う私も今回のウォークの下調べをするまで知らなかった。岩波新書などでも出版されている事件とのこと。そのうち読んでみようかな。
15:05 長楽寺地蔵堂へ行った。次回はここから北側の山に入るので状況を確認。線路と国道で遮られているようだ。踏切もなし。さて次回どうしたものか。
 

小繋の集落を離れて駅へ向かい、国道4号に出たら消防車と救急車がやってきた。ちょうど国道の電光掲示板もあり、「この先事故」の表示。駅の少し先に消防車が3台ほど停まっていたが、火災はないようだ。野次馬根性で見に行ったら、ワゴン車が後部から近くの倉庫に突っ込んでいた。前部は道路側を向いていて、運転席は大破していた。道路の南行車線にはもう1台の事故車。翌日の新聞によると、乗用車2台の正面衝突で、3人重傷,2人軽症とのこと。
15:40 小繋駅へ戻り、ウォーク終了。2時間余り前にここを出てから戻るまで、13,810歩,8.5km。駅で電車を待っている間にも救急車がやってきた。15:54 の電車で帰宅。