奥州街道仙台以北ウォーク 小繋→福岡 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

手元の資料「奥州街道」無明舎出版,2002年初版によると、小繋番所跡から小鳥谷の少し先まで奥州街道のルートは2つあり、本の地図には川沿いのルートと川の北西側の尾根を通るルートが書かれている。川沿いのルートが本道で古文書にも記録があるが、尾根を通るルートについては記録も文献も残っていないという。この本でも川沿いのルートしか述べられておらず、尾根を通るルートについては、地図だけで何の解説もない。それでも例によって両方歩いてみることにした。

21.6.02(水)
まずは尾根を通るルート。この日もおにぎりと飲み物を事前購入。盛岡 7:32 のIGRいわて銀河鉄道に乗り小繋駅へ。

↓この日と翌日歩いたルートと写真→大きい地図で


8:30 小繋駅からウォーク開始。国道4号を東へ。8:52 小繋トンネルの歩道トンネルを通った。車道の小繋トンネルは日本最長の国道、4号線で最南のトンネルとのこと。ここから東京日本橋まで590kmほどトンネルが無いそうだ。山の険しい日本では珍しいな。
9:00 IGRの線路を挟んで小繋番所跡,長楽寺地蔵堂の向いのあたりで、国道から山に入る道へ。9:05 上り坂に入ってすぐ、草ぼうぼうの道になった。オフロード四駆なら何とか通れるかな。9:40 上り坂は終わり、舗装路に出た。

9:48 笹目子・上女鹿沢一里塚を通過。10:00 未舗装路の入口。初めはわりと楽に通れるかな。と思っていたが、進むにつれだんだん怪しくなってきて、ついに車は通れない道になった。前回道に迷って山中を彷徨う羽目になった苦い経験があるので、引き返そうかとも思ったが、道の痕跡はあったのでそのまま進んだ。
1時間半も道なき道を進み、11:40 五月舘追分というところに出た。持参した地図で確認したら、川沿いのルートに合流したところだった。
12:05 小鳥谷の八幡神社に立ち寄り、持参したおにぎりを昼食にした。小繋駅から 15,965歩,9.3km。12:20 昼食後ウォーク再開し、小鳥谷のまっすぐな町中を通った。

 

2ルート刻まれている。下の赤い線が川沿いの本道。上が尾根沿いの道。

 

13:15 明治天皇御野立所という石碑があり、傍らの石に尾根沿いのルートと、穴久保・下女鹿沢一里塚の地図が刻まれていた。13:35 荷坂にさしかかった。思ったより勾配があったが、舗装路である。13:45 峠を越えて白子坂へ。ここは山道で車は通れないが、歩くのは苦にならない。
14:15 IGR一戸駅に到着。ここでウォーク終了。昼食後は 10,633歩,7.4km。

一戸駅には旧機関区のジオラマがあった。旧東北本線最大の難所、十三本木峠の急勾配。ここを越えるため電化前の一戸には機関区があり、沼宮内・一戸間の補機を担当していたそうだ。貨物用最大級のSL、D51の3重連は余りにも有名。検索するとすぐにヒットする。ただこのジオラマは、いわゆる鉄道模型ではなかった。14:55 の電車で帰宅。

21.6.03(木)
前日の尾根沿いルートに続き、川沿いのルート。日を置いて歩こうとも思ったが、天気が良さそうなので、2日続けてこの日も歩くことにした。IGRいわて銀河鉄道、前回と同じ時刻の電車に乗り小繋駅へ。
8:27 小繋駅からウォーク開始。国道4号へ。8:55 前々回ヨノ坂から降りてきたルートとの分岐点を通過。小繋の少し東から川沿いの岸壁に阻まれた難所になる。崖を避けてカーブとアップダウンを繰り返すルートだったそうで、今では正確な位置はわからないとのこと。
9:35 国道トンネルの手前、橋とトンネルの間から旧国道に降りた。段差は2mもないが草むら。旧国道は舗装で歩きやすかった。
9:56 小繋川に架かる橋を渡り上り坂へ。10:05 「川底の道」案内板から、旧街道を戻るように西へ曲がった。途中で川底一里塚への道標を見落としてしまい、国道の方へ下ってしまった。なあんだ。ここで国道と繋がっているんなら、わざわざ遠回りなどして川下の橋を迂回せず、こっちから旧街道に入ればよかったな。
間違えた道を戻り、旧街道へ戻った。10:28 川底一里塚に着いた。一里塚の少し先(西側)で街道が途切れているらしい。説明板によると、東北本線の開通時に旧街道のこの区間は失われたとのこと。
11:05 前日、山道から出てきた五月舘追分を通過。ここからしばらくは前日と同じ道。

道から逸れ、11:45 頃 穴久保共同墓地へ。一戸町のホームページの地図によると、この墓地の少し北西に尾根沿いルートの一里塚、穴久保・下女鹿沢一里塚がある。40歳くらいの男性がいたので、一里塚への道を聞いたが、知らないとのこと。墓地の横に山道があり、少し山に入ってみたが、かなりの急勾配で、ややぬかるんでもいたので、一里塚へ行くのは断念。
前日通った道に戻った12:25頃、すれ違ったお婆さんが声をかけてきた。「どこから?」「盛岡です。奥州街道を歩いてます。」「浪打峠を越えるのね?」「はい。そのつもりです。」
実はこの頃には気温が上がってきてかなりの疲労を感じていて、浪打峠を越えるのはやめて一戸で終えようかな。とも考え始めていた。浪打峠を越えると言ったら、元気が出てきた。やはり、声援やエールには効果があるようだ。元気が出る気がする。
前日も通った明治天皇御野立所碑,荷坂,白子坂を通り、13:20 一戸駅に着いた。持参したおにぎりを食べようとしたが、駅の待合室には「マスク着用」の表示があり、中で食べるのははばかられた。外のベンチで持参したおにぎりの昼食とした。小繋駅からここまで 28,662歩,17.3km。
 

13:40 昼食後、ウォーク再開。一戸の町中には「縄文散歩」のペナントが吊されていた。一戸町にある御所野遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、世界遺産登録される見通しになったのはつい先週のニュース。町の活性化につながるかな。
14:00 仙台以北24番目の旧宿場、一戸宿の中心を通過。駅とは川を挟んで反対側になるが、こういうことはしばしばある。

14:30 小井田橋という橋の入口に、百人一首「契りきな・・」の銘板がはめ込まれていた。「末の松山」所在の一説、浪打峠がこの先にあるのでそれに因んだものだな。一戸・福岡間の馬淵川沿いは難所のため、旧街道は浪打峠を通っていたそうだ。

浪打峠への上り坂は未舗装だが、FF車でも十分通れる道だった。15:00 浪打一里塚を通過。15:08 浪打峠に到着。「末の松山」がどこにあったかは諸説あるそうで、有力なのは宮城県多賀城市のもの。おくのほそ道ウォークで6年前に行ったことがある。

峠には交叉層という地層の説明板があり、両側に交叉層を見ながら峠を越えた。峠の南側、二戸郡一戸町側の坂は思ったより勾配が緩かったが、北側、二戸市側の坂はきつかった。ただし北側は舗装されていた。
16:02 仙台以北25番目の旧宿場、福岡宿にさしかかったあたり、久府坂の石碑があった。浄法寺街道との追分とのこと。「末の松山波打峠従是三十丁」と刻まれているそうだ。
16:20 馬淵川の橋から川沿いの崖が見えた。一戸・福岡間の川沿いはこういう奇岩のある難所のため、浪打峠を通るルートが街道にされたようだ。
16:35 二戸駅に到着。2日目のウォーク終了。昼食後は15,994歩,10.2km。上りの新幹線は40分以上後だった。16:50 の在来線で帰宅。