奥州街道仙台以北ウォーク 花巻→古館 江戸後期の街道 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

21.5.18(火)
前回は江戸前期の区間を歩いたので、この日は後期の街道。盛岡8:42の在来線で花巻へ。9:30 花巻駅からウォーク開始。

この日歩いたルートと写真

 

9:50 仙台以北18番目の宿場、旧花巻城下発祥の地という案内板前を通過。10:05 県道298号に出た。国道4号の旧道だろう。江戸中期に通された新街道のせいか、ここから日詰郡山宿の手前まではほぼ一直線。

10:25 国道4号線バイパスとの合流地点を通過。合流地点のすぐ脇に宮ノ目一里塚があり、立ち寄った。また、ここからは新国道を歩くことになる。街道歩きなどで整備された国道を歩くことはよくあるが、単調で退屈な気分になることが多い。この区間は一直線なので、特にそう感じる。
11:36 江曾一里塚を通過。近くに餓死供養碑があった。12:00 国道4号のバイパス分岐から石鳥谷の旧道、県道265号へ。12:50 七福神という日本酒の醸造所があった。石鳥谷は南部杜氏発祥の地だそうだが、残念ながらここの蔵元は廃業したようだ。

12:55 仙台以北19番目の旧宿場、石鳥谷宿を通過。13:17 5日前に歩いた道、江戸前期の街道ではなくその迂回路に合流。14:00 花巻を出てすぐに始まった長い長い直線が、やっと終わりに近づいた。14:05 ファミレスに立ち寄り昼食。花巻駅からここまで 27,552歩,21.09km。


14:35 昼食後、ウォーク再開。15:15 仙台以北20番目の旧宿場、日詰郡山宿を通過。日詰は紫波郡紫波町の中心部である。紫波町は銭形平次の原作者、野村胡堂の出身地で、記念館もあるそうだ。旧宿場のこのあたりには銭形平次のモニュメントが何か所かあった。そのうちの一つが町営らしき駐車場入口あたりにあり、付近を小学3~4年くらいの児童が下校しているところだった。
その小学生のうち何人かが「スズメが轢かれて死んでいる」と騒いでいた。見たら舗装路の上でスズメが一羽ぺちゃんこになっていた。私にも「スズメが死んでますよ」と言ってきた。「あれまあ。可哀想だね」と答えたが、小学3~4年の諸君、こういうことはよくあるんだよ。これから先、君たちの長い人生には、もっともっとショッキングな事がたくさん待ち構えているんだよ。

 

21年5月22日追記:この写真の木彫り、タヌキではなく、ツキノワグマらしいです。訂正します。


16:10 月の輪という日本酒の醸造所があった。石鳥谷で見た七福神と違い、操業しているようだ。店の前に、信楽焼ではなく木彫りのタヌキが置かれていて、タヌキの顔にマスクが着けられていた。悪疫退散。コロナ退散。
月の輪酒造を過ぎたあたり、川の手前で旧街道から外れ、国道4号の下をくぐり、JR古館駅へ。16:35 この日のウォーク終了。昼食後は 11,708歩、8.97km。16:57 の電車で帰宅。