おくのほそ道ウォーク 山中温泉からの芭蕉ルート | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

芭蕉は山中温泉で曾良と分かれ、その先は金沢から同行した立花北枝という人物と同行したそうだ。金森敦子著『芭蕉「おくのほそ道」の旅』によると、山中温泉の後の2人の歩いたルートは少し異なっているとのこと。曾良はこまめに日記を記したから、曾良の旅程はわかるものの、芭蕉の旅程は曾良日記や他の資料から推定するしかないらしい。
山中での曾良日記は「昼時分 翁 北枝 那谷へ趣 明日 於小松ニ 生駒万子為出会也」で、芭蕉と北枝は小松で人に会うため、山中から那谷を経由して小松へ向かったようだ。
このルートだが、3日前に山中まで歩いて来た区間と一部重複している。おくのほそ道のルートでは、往復している区間がいくつもある。短い往復区間や公共交通手段がない場合は私も往復歩いたが、いくつかは片道だけ歩き、往復するのは省略してきた。この区間も、3日前と重複していない区間、山代温泉→那谷寺→串を歩くことにした。山代温泉から山中温泉までは前日歩いているので、山代温泉から歩き始めることにした。

20.10.19(月)
8:30 山中温泉から加賀温泉駅行き路線バスに乗って山代温泉で降りた。
↓この日歩いたルートと写真


 

8:50 山代温泉バス停からウォーク開始。県道11号を小松方面へ戻るルートを進んだ。10:30~11:10「翁 北枝 那谷へ趣」の那谷寺を見学。入場料\600+書庫見学\200は少し高いと思ったが、自然の岩を利用して造った境内は一見の価値ありかな。「石山の 石より白し 秋の風」の句はこの岩のことか。
那谷寺から北上した道は、那谷寺カントリー倶楽部の中を通った。跨道橋の上をゴルフのカートに乗ったグループが見えた。おくのほそ道ウォークでゴルフ場の中を通ったのは、昨年9月23日に内野から弥彦まで歩いた時、新潟ゴルフ倶楽部のコースの中を通った時以来かな。

 

JR北陸線の粟津駅でトイレを借りた後、12:30から駅前の大衆中華で昼食。山代温泉から、20,415歩,15.70km歩。食べ終わって勘定の時、GoToトラベルのクーポン券を見せたら、GoToイートは扱っているが、GoToトラベルは使えないとのこと。

 

どこから来たか聞かれたので岩手と答えたら、息子が盛岡にいると言われた。粟津駅前の大衆中華の主人の息子が盛岡に住んでいるとは思わなかったな。今年春にも盛岡に行こうとしたらコロナで中止になり、旅行費用は払い戻されなかったそうだ。盛岡ではカラオケ店の呼び込みが多いね。とも言われたが、私は長いこと横浜に住んでいて今年定年退職で盛岡に戻ったので、カラオケの呼び込みの事は知らないと答えた。
12:55 ウォーク再開。13:40 串茶屋にさしかかった。3日前にここを通った時は民俗資料館に気づかなかったが、この日は見つけた。常時開館はなく、見学希望の人は連絡してください。と、電話番号が表示されていた。ありゃ残念。この日も見られなかった。芭蕉と北枝は小松へ戻る途中、串茶屋に立ち寄ったのかな。
串からは県道145号を粟津方面へ向かった。おそらくこれも国道8号の旧道だろう。資料館のすぐ先には串一里塚跡があった。東海道回りと中仙道回りの2つの表示が道をはさんで立っていた。中仙道回りとは、中山道・信濃追分・北國街道・高田経由だろう。東海道回りは、東海道・美濃街道・中山道・北國街道・福井経由だろう。
串から先は3日前に歩いた区間と重複しているので、この日のウォークの目標はここ串までだったが、駅から少し離れていて、バスの便も1時間近くなかったので、小松まで歩くことにした。芭蕉宿泊の案内板の前を通り、15:05 JR小松駅に到着。この日のウォーク終了。粟津駅から、11,904歩,9.44km。

JR北陸線で加賀温泉駅へ。駅で降りたらアナウンスがあり、駅の隣のショッピングセンター、アビオシティにクマが侵入し、まだ捕獲されていないとのこと。このニュースは→https://news.yahoo.co.jp/articles/86f6224e5e232d8f515c379282735cec0566ab26
こんな町中、それも新幹線駅工事中の駅前ショッピングセンターに熊がでるかね。路線バスで山中温泉へ戻った。