20.10.16(金)
山中の温泉ホテルを出て、8:30 の路線バスでJR加賀温泉駅へ。JR北陸線に乗り、小松駅へ。
↓この日歩いたルートと写真
芭蕉の一行は野々市から小松まで4人だったが、小松からは3人になったそうだ。9:40 小松駅からウォーク開始。日吉神社(曾良日記の山王神社)と、その先の多太神社を見学。多太神社には芭蕉の像と、小松での句「むざんやな 甲の下の きりぎりす」の碑があった。この句は解説がないと意味がよくわからない。ネット上にもこの解説が出ているので、ここには書かない。
県道4,11号を南下。おそらく国道8号の旧道だろう。10:40 串茶屋付近にさしかかった。
この旧串村は、江戸時代初頭に茶屋2軒が旅人や人夫の接待を始めたのが次第に発展し、金沢の茶屋街(19世紀初頭)より一世紀以上も前の17世紀中頃、加賀藩内唯一の公認遊郭になったそうだ。その後、大聖寺藩領となって大聖寺藩公認の廓となり、19世紀前半の最盛期には、20軒ほどの茶屋が軒を連ねていた。明治になって公娼制度が廃止され、明治33年(1900年)に約300年にわたる歴史の幕を閉じた。とのこと。
遊女たちは春を売るだけでなく、三味線,舞踊などの芸事、俳句や和歌、生け花、茶の湯なども習って客をもてなしたという。おくのほそ道の1689年には既に公認遊郭だったことになる。芭蕉の一行もここを通ったと思うのだが、曾良日記には記録がない。江戸時代には、金沢あたりから大勢遊びに来ていたのだろうな。串には民俗資料館があるそうだが、どこだかわからなかった。
串からは県道145号を粟津方面へ向かった。おそらくこれも国道8号の旧道だろう。11:40 北國街道の旧宿場、月津宿のすぐ先に一里塚跡があった。12:10 比較的新しい石の道標が左側にあったが、刻まれている字を見ると、方向が逆のような気がする。移設されたものかもしれない。
12:50 旧宿場の動橋(いぶりはし)で北國街道から分かれ、山中方面へ向かう県道150号に入った。13:35 国道8号との交叉点に8番ラーメンがあったので、ここで昼食。前日の昼食も8番ラーメンだったので、2日連続で同じチェーン店のラーメンとなる。小松駅から 23,325歩,17.90km歩。
昼食後、県道150号を南下して14:40頃、山代温泉の温泉街を通過。山中温泉より宿が多いような気がする。山代から県道11号に入り、大聖寺川沿いに山の方へ向かった。15:40 山中の温泉ホテルに到着。この日のウォーク終了。昼食後は10,556歩,8.31km歩。
曾良日記では、小松を巳ノ上刻に出発し、山中には申ノ下尅に着いたと書かれている。9時頃小松を出て、17時頃には山中温泉に着いたってことだが、芭蕉一行にしてはわりと時間がかかっているなあ。