おくのほそ道ウォーク 金沢→松任 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

金沢滞在7日目の曾良日記は「高徹ニ逢 薬ヲ乞 翁ハ北枝一水同道ニテ寺ニ遊」で、曾良は体調が悪くて薬をもらったが、芭蕉は「寺ニ遊」で、どこかの寺に行っている。どの寺へ行ったか名前が書かれていないのだが、石川県教育センターのホームページによると、宝泉寺か高巌寺のどちらかと推定されているそうだ。
宝泉寺は3日前、高巌寺は前日近くを通った。事前の予定では立ち寄ってみるつもりだったが、どちらもうっかり忘れてしまった。このため、金沢から次のウォーク目的地松任まで歩く前に、この2寺に立ち寄ることにした。

20.10.14(水)
3日前と前日に金沢中心部からからホテル近くのバス停まで路線バスに乗った。ホテルから松任駅まで2kmほどあるので、このバス停のほうが近く、本数も日中毎時3本あるので、この日はこのバス路線を逆方向に金沢駅まで乗った。8:50 駅からウォーク開始。

 

↓この日歩いたルートと写真


 

9:05 高巌寺に着いた。予想よりだいぶ小さい寺だった。次に寶泉寺へ。寶泉寺の手前で東茶屋を通った。寶泉寺も思ったほど大きくなかった。東茶屋を後に、兼六園へ。金沢に1年住んでいた時以来なので、36年ぶりとなる。
芭蕉と曾良は9泊に及ぶ金沢滞在の後、次の宿場野々市まで大勢に見送られながら歩いたそうだ。その野々市に12:45頃さしかかった。富樫氏資料館というのがあったので、立ち寄ってみた。入場は無料で、農家だった古い建物にいろいろ資料が展示されていた。解説の人に、喜多家を見たか聞かれたので「通り過ぎました。見学できるんですか? と質問したところ、入場料\400で見学できる。富樫家は農家の建物だが、喜多家は商家の建物なので、比較しながら見るのも面白い。とのこと。
富樫家の後、喜多家へ行ってみた。元は金沢にあった江戸時代の建物だが、明治に野々市の大火があってこの場所にあった商家が焼け、たまたま金沢で売りに出されていたこの建物を移築したものだそうだ。同様の古い建物は金沢ではほとんど取り壊されたのに対し、この建物は野々市に移築されたため残ったそうだ。今では文化財として保存されている。とのこと。人間同様、建築物の運命もわからないもんだな。
芭蕉一行は野々市から4人になったそうだ。喜多家を出た後、サブウェイを見つけたので昼食。金沢駅から、23,298歩,18.03km歩。


昼食後、旧北国街道の国道157号とその旧道を西へ。国道8号バイパスの下をくぐる所は横断歩道がなく、車の切れ目を見計らって渡った。渡った所から県道291号。この県道の旧道が終わったところで、iPod のウォークメータを起動していないことに気づいた。あ~あ。
県道8号との交差点で、宿泊先のホテルに最も近くなったが、そのまま直進。翌日のウォーク開始予定地点がJR松任駅のため、直進して松任駅まで進み、そこから引き返すルートである。松任駅で目的のウォーキングが終わるため、駅からホテルまでは公共交通機関に乗ってもかまわない。という自己満足ルールにより、バスがあればいいな。と思っていたが、駅前で金沢方面行きの路線バスが走り過ぎるのが見えた。ありゃあ。間に合わなかった。で、ホテルまで 2km 追加で歩くことにした。途中のコンビニで晩のビールとつまみを買い、ホテルに着いた。昼食後は、ウォークメータを起動し忘れたので何歩かわからないが、7km くらいかな。