おくのほそ道ウォーク 金石への寄り道 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

曾良日記の金沢滞在最終日9日目は「翁ハ雲口主ニテ宮ノ越ニ遊 予 病気故不行」と書かれている。小野雲口という人をリーダにして何人かのグループで、芭蕉は宮ノ越へ行ったそうだが、曾良はずっと体調が優れず、宮ノ越へは行かなかったようだ。宮ノ越は今の金石(かないわ)で、金沢から最も近い海岸である。
ところでこの金沢市内から金石への道だが、金森敦子著『芭蕉「おくのほそ道」の旅』掲載の地図にプロットされていない。同書の文中には行ったことが書かれているのに、地図に載ってないのは何故かな。
ネットでおくのほそ道関連の検索をしても、金沢と金石の歩いた記事やルートの情報は見つけられなかった。おくのほそ道のメインルートから逸れた寄り道のような区間だから、書籍にもネットにもあまり取り上げられていないのかな。まあ、そんな訳で、自分で見当をつけてルートを決めることにした。
金石は、金沢市内を流れる犀川の河口にあり、かつての犀川は香林坊,片町あたりを流れていて、江戸時代の治水工事で流路が変えられ、かつての河道は用水路や金沢城の外堀に転用された。とのこと。現在の地図を見ると、片町あたりにそれらしき水路が2本ある。2本のうちどっちが元の犀川なのかわからないが、南側の方が今の犀川から分かれているように見えるので、それに沿って歩くことにした。

20.10.13(火)
松任でJR北陸線に乗り金沢駅へ。私が1年だけ住んでいた頃の金沢駅は地上の駅だった。その後に高架駅となり、2015年には北陸新幹線が延伸されて新幹線の駅となった。高架の金沢駅で乗り降りするのは初めて。
↓この日歩いたルートと写真


 

9:10 金沢駅からウォーク開始。武蔵が辻を通り、近江町市場へ立ち寄った後、繁華街の香林坊,片町へ進んだ。芭蕉と曾良が金沢で初日以外8泊した宿「宮竹屋」は片町にあったそうだ。犀川大橋から少し上流方向にある句碑を見た後、M3V推定金沢金石ルートへ行った。10:20 長町武家屋敷跡へ。前田土佐守家資料館と金沢市老舗記念館を見学。他にもいろいろ見所はあるようだが、この2か所だけにした。

12:10 北陸自動車道と国道8号バイパスが一緒に通っているところを地下道で通過したが、この少し手前あたりから旧道ではなく、整備された現代の道となった。12:35 県道8号を越えたあたりから旧道らしき道に戻った。12:50 金石本町の大野湊神社を見学。13:10 金石の本龍寺を見学。句碑があった。
13:20 金石港へ出た。ここから数キロ東には内灘というところがある。内灘闘争で有名な場所で、五木寛之の小説「内灘夫人」の舞台でもある。だいぶ前に読んだことがある。
昼食を取れる場所がないか探したらあったので、13:40 から昼食。金沢駅から 23,125歩,17.56km。
 

昼食後、金石バス停で14:35 発の路線バスに乗り、金沢市の中心部武蔵辻で降りた。バス代\380。武蔵辻で、前々日乗った宿泊先ホテルのそばを通るバスの便がすぐあったので、それに乗った。15:50 前々日降りたバス停の1つ先の徳丸バス停で降りた。バス代\460。金石から徳丸までバス2本で\840かかったが、翌日バスの中で「バス1日乗車券\600がお得です」とのアナウンスがあった。あれま。知ってれば僅かだが\240節約できたな。でもまあ、知らない土地での初の乗車区間だからしかたないな。
松任のスーパー銭湯併設ホテルに戻った。