自家移植を受けた病院へ、最後の外来 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

20.05.12(火)
この日午前は3か月に1度の採血検査。今回は久々に採尿検査もあり。最寄駅まで歩いて行き、電車に乗った。
病院に着いたら、入口で体温検査された。採血開始時刻になり、最初に応対してくれた看護師さんはあちこち探した後、2人目の人に交代。2人目の人は1回で採血成功。採血箇所は、利き手である右手背(手の甲)、薬指の間付け根から3cmほど手前。前回も同じ右手背で小指と薬指の間付け根から3cmほど手前だったので、今回はその少し左。
検査結果は白血病再々発の所見なし。ただし、γGTPが310。白血病退院直後の自己最高記録を更新した。2月に定年退職した後、今までとは違う事もあり家に居がち。そのせいで飲み過ぎ? すみません。言い訳です。
問診で、4月2日以降は岩手にコロナ疎開していたこと、この日は検査のためわざわざ岩手から来たことを話した。岩手県の感染確認者数が未だにゼロなのは、検査数を抑えているらしい。とか言っていた。やはりそうだろうな。
まもなく横浜から岩手へ転居予定であることを話し、転院希望を伝えたら、紹介状を作って郵送してくれるとのこと。「長い間、お世話になりました。」とお礼を言った。初発入院は2005年11月だった。それ以来、この病院にいる医師はこの副院長だけになった。14年半にもなる。
紹介状作成手続・会計を終え、聖マリアンナ医大横浜市西部病院を後にした。思えばここには、初発・再発・自家移植で、延べ230日以上入院した。退院後も通院検査を続けたが、これが最後。もう二度と来ることはないだろうな。これが見納め。


電車で最寄駅へ戻り、昨年から通院している呼吸器科へ。病院のはしごはこれが初めてかな? 受付の手前には靴の消毒マットがあり、さらにスプレー消毒液があった。転居予定であることを話し、転院希望を伝えたら、紹介状は作れるが郵送はしていないとのこと。診察後、午前の診察が終わった後に作成することを打診され、それを待った。
総合病院の血液内科,呼吸器の診療所でもらった処方箋を調剤薬局へ持って行き、薬を受け取った。どちらの診療科も、次は横浜ではなく、実家のある岩手になる。