おくのほそ道ウォーク 名立→糸魚川 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

19.11.03(日)

 

↓この日歩いたルートと写真リンク

糸魚川から日本海ひすいラインで名立駅へ。8:50 ウォーク開始。すぐに久比岐自転車道に出た。ここから西へ。集落の中を旧街道が通っているところは旧街道を、それ以外は旧北陸本線の廃線跡、久比岐自転車道を通った。
10:10 筒石の集落へ入った。ここの旧街道は道幅が狭く、昔の漁村の風情がある。

集落から坂を上り、10:35 旧筒石駅跡を通過。現在の筒石駅は、長い新線トンネルが何本も掘られて複線電化された際に、長大トンネル頸城トンネルの中に移設されたもので、地上入口からホームまで300段も下るらしい。複線電化の新線に付け替えられたのは69年10月のダイヤ改正の直前とのこと。私がこの区間を初めて乗車したのは大学1年の終わり、79年3月だった。その時は、付け替えられてからまだ新しいなあという印象だった。開通からまだ10年経っていなかったんだもんね。半世紀経過した今は、かなり風化と老朽化が進んだように見えるね。
11:55 道の駅「マリンドリーム能生」に到着。ここで昼食。メータでは名立駅からここまで 14.72km,19125歩。実際は13kmほどだろう。

12:40 午後のウォーク開始。久比岐自転車道は続き、13:15 能生(のう)騒動のあった旧能生駅跡を通過。能生騒動については下記URLを参照されたし。
https://ja.wikipedia.org/wiki/能生駅#能生騒動
作り話ではないかと思うような内容だが、実際にあったらしい。「能生(のう)はNO!」というギャグもできたとか。
この駅も複線電化時に山側に移設された。13年6月に仕事で来たことがあり、2つの長いトンネルの間にある現在の新駅で乗降した。能生騒動で、それ以前から知っていた駅名・地名だが、仕事で行くことになるとは思っていなかった。曾良日記「直ニ能生ヘ通 暮テ着 玉や五良兵衛方ニ宿 月晴」の「玉や五良兵衛方」があるそうだが、見落として通り過ぎてしまった。
能生の先も久比岐自転車道、昔の線路後を西へ進んだら、14:10 頃、西の海上に陸地が見えてきた。方向から見て能登半島の東側だな。このあたりから能登が見えるとは思わなんだ。そのすぐ後、火災発生の放送があり、どこだろうと思ったが、放送の繰り返しを聞いたら訓練だった。
14:35 浦本駅の手前で久比岐自転車道から国道8号へ。ここからは国道とその旧道を歩いた。トイレを借りようと浦本駅へ行ったら、この駅にはトイレがなかった。

15:20 梶屋敷駅の手前で、早川にかかる橋を渡った。曾良日記に「早川ニテ翁ツマヅカレテ衣類濡 川原暫干ス」と記されている。今は橋だが当時は徒渡りだったのだろう。芭蕉が躓いて転んだらしい。濡れた着物をしばし乾かしたとのこと。

15:30 梶屋敷駅へ。この駅にはトイレがあった。16:30 糸魚川駅北口から海へ向かう道のあたりを通った。3年前の大火で焼失したのは主にこのあたりらしい。新しい建物が多いように見えた。新しい有料駐車場もあった。焼け跡を駐車場にしたのかな。焼け跡はさすがにもうなかった。
そのまま歩いて 16:45 ビジホに戻った。iPodのウォークメータでは昼食後、20.90km,26220歩。テレビでは、本田美奈子.の追悼ニュースを流していた。もうじき14年か。本田美奈子.が白血病で亡くなった18日後に、私が白血病の初発初入院したので、印象が強い。